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彼らは自分の死に場所を探して戦場へ行ったのではないか

露宇戦争というのは双方の指導者がまだ生きているため終わる兆しは全くありません。
正直なところ、日本が今ロシアから攻撃を受けていないのは奇跡としか思っていないのですが、日本人の義勇兵も何人かはウクライナ側に付いて参戦しています。

その一方でロシア側に付く日本人義勇兵も出てきており、ともすれば日本人同士が戦場で争うことも起きそうな状態です。
戦争報道には事実ではなく、願望に基く報道が出ることがしばしばあるため両国間のどちらに義があるとか、有意であるかと言ったことについては、思考を放棄いたしました。
特に日本には西側視点の報道しか入らないですからね。

日本の一般社会に適応できていたのか

かつてISISに参加しようとしていた大学生がいましたが、露宇戦争では中年世代の義勇兵をチラホラ見ています。
40代、ちょうどミッドライフ・クライシ真っ只中の世代で、思秋期とも呼ばれる「これまでの半生」や「今後訪れる死」について悩む時期です。

そうした世代が義勇兵として参加するのを見るに、果たして彼らが日本の一般社会に溶け込めていたのかは気になるところです。
一般社会に溶け込むというのは、一見当たり前にできそうなことですが、人によってはこれが偉くメンタルを削られます。

人間社会というのは常に他者との比較で成り立っています
自己肯定感に関する本や記事では決まって「自分と他人を比較せんとこ」ということは書かれていますが、自分と他人を比較しないなどほぼ無理です。
残念ながら組織に属すると常に自分は他者と比較されますし、よほど絶対的な信条でもないと、他者と自分を比較される、自分を他者と比較するという現実から逃れるのが難しいのです。

中年期に入ると、何かと差が出やすいんですよね。
例えば既婚者と独身者で、仕事のハリに違いがあったり、或いは自分の能力の限界を感じやすかったりします。

そして集団には暗黙の了解が多くあり(日本の組織は特に)上手く溶け込めずに外れる人間がどうしても出てしまいます。
ロ軍にしろウ軍にしろ、義勇兵として戦場に向かった人達は、日本での生活に相当鬱屈したものを抱えていたことも考えられます。

自分の死に意味を持たせたいのではないか

もう一つ抱えていた悩みと考えられるのが、やはり自分の死に意味を持たせたかったのかもしれません。
先日、ロシア側に付いて戦闘に参加すると言っていた日本人がいましたが、彼のFacebookは女性嫌いの人間に見られるような内容だったそうです。

日本にいても希望がない。
例え希望があろうと無かろうと、人はいずれ死にます。
中年世代にもなると、人によっては「どのように死にたいか」を考えるでしょう。
死ぬのなら、自分の死に対して何かしらの意味(価値)を持たせたい。
そうした価値観もあるのではないかと思います。

一般社会に溶け込んだ大人として生きる。
これだけでも結構シンドイと思うことが私自身、結構あります。
それでも700万円というわ僅かな貯蓄があるから何とかやっていますが、失うものが無く、かつ自分の死に何かしら意味を持たせたいと思う人は、死地に赴いてしまうのかも知れませんね。

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