千慶烏子

千慶烏子(せんけいからす、男性)は日本の詩人・批評家。欧文表記では「Callas Ce…

千慶烏子

千慶烏子(せんけいからす、男性)は日本の詩人・批評家。欧文表記では「Callas Cenquei」と記す。代表作に『やや あって ひばりのうた』『TADAÇA』『冒険者たち』など、著書多数。千慶烏子の作品をP.P.Content Corp.編集部がお届けします。

マガジン

  • Callas Cenquei Collection

    千慶烏子コレクション。紙書籍をはじめ、Amazon、Apple、Googleなど5つのブックストアで出版された書籍のコレクション。随時更新。

  • VERNISSAGE

    1997年詩誌『VERNISSAGE』翌1998年詩書『やや あって ひばりのうた』から八編を収録。

最近の記事

千慶烏子『冒険者たち』解説

死を見つめ、病を見つめ、これに打ち勝とうとする力――。本書は千慶烏子の癌闘病記である。実に素晴らしいできばえに仕上がっている。何も考えずに頁を開き、何の予備知識もないまま、のめり込むように書籍を読み耽るのが一番良い読み方ではないだろうか。皆さんが期待している以上のものを確実に本書は読者の皆さんに返してくれるにちがいない。この購読案内では、購読を検討している皆さんに向けて、多少の事実関係のまとめと読みどころを掻い摘んでお話ししてゆきたい。 本書『冒険者たち』は千慶烏子の癌闘病

    • 千慶烏子『冒険者たち』表紙画像

      • 千慶烏子『やや あって ひばりのうた』解説

        天使との格闘──。本書は千慶烏子の二番目の書物である。230ページ余り、彼の本分とする長編作品である。まずは本書の出版に至る経緯について整理しておきたい。本書の最終稿は、彼の処女作『ねじふりこ』が出版された1996年の終わりにはすでに完成を見ていたという。しかし、本書を出版するに当たって、まずは書籍に先行するような形で、雑誌を刊行しようということになった。収録予定のテクストは編集され、モンタージュされ、これまでの詩誌にはなかった視覚表現が大胆に取り入れられ、雑誌は極めて美的に

        • 千慶烏子『やや あって ひばりのうた』表紙画像

        千慶烏子『冒険者たち』解説

        マガジン

        • Callas Cenquei Collection
          16本
        • VERNISSAGE
          9本
          ¥1,500

        記事

          千慶烏子『TADAÇA』解説

          人類の歴史にはじめてインターネットが登場したときに、人はどのような未来をそこに見いだし、詩人はどのような書物をそこに創造したのか──。 本書はSWFフラッシュ形式のデジタル作品として2001年に初版が出版された。わが国で最初かどうかは断定できないが、デジタルで書物を出版するという企ての最も初期に位置するものであることだけは間違いない。以来2003年、2007年、2011年と本書は版を重ねている。これはよく売れるから版を重ねているのではなく、伝統的な出版文化に慣れ親しんだ文学

          千慶烏子『TADAÇA』解説

          千慶烏子『TADAÇA』表紙

          千慶烏子『TADAÇA』表紙

          千慶烏子『クレール』解説

          思えば、あの日はじめてサーカスの馬屋で見た中国男がわたしに微笑みかけることをせず、罌粟の咲き乱れる裏庭の片すみで、弦が一本しかない中国のセロを弾いてわたしたち家族を感嘆させることもなく、柔らかいなめし革のような肌を輝かせてわたしの手にうやうやしく接吻することもなく、そのまま馬に乗ってこの小さな村から出て行ってくれたのなら、どれほどよかったことだろうか──。 Claireとは明晰にして澄明、清澄にして純粋。光輝くような美貌の女クレールが繰り広げる愛の妄執はかくも清冽であり、ま

          千慶烏子『クレール』解説

          千慶烏子『クレール』表紙画像

          千慶烏子『クレール』表紙画像

          千慶烏子『デルタ』解説

          ヴィヨンよヴィヨン。おまえたちが太陽と呼ぶ、あの太陽の廃墟の太陽の、ファーレンハイト百分の一度の乱れがわたしの心臓を慄わせる。おまえたちが海洋と呼ぶ、あの海洋の廃墟の海洋の、高まって高まって高まって砕ける波の慄えがわたしの心臓をふるわせる──。 デルタとは誰か。それは謎めいたアナグラムなのか。それとも名前に先立つ欲望の集合的な属名なのか。きわめて今日的なカタストロフのもとでボードレールのファンタスムが、あるいはコルプス・ミスティクスのシミュラークルが、全く新しい光を受けて上

          千慶烏子『デルタ』解説

          千慶烏子『デルタ』表紙画像

          千慶烏子『デルタ』表紙画像

          千慶烏子『アデル』解説

          ヴィクトル・ユゴーの娘アデルの悲恋に取材した千慶烏子の長編詩篇『アデル』。その才能をして類稀と評される詩人の書き記す言葉は、あたかも暗室のなかの多感な物質のように、一瞬一瞬の光に触れて鮮明なイマージュを書物の頁に印しづけてゆく。そして恋の苦悩に取り憑かれた女を、その悲嘆に暮れるさまを、失意のなかで愛の真実について語ろうとするさまを、近接性の話法のもとで精緻に写しとどめる。傷ましいほどの明晰な感受性、あるいは極めて写真的なヴァルネラビリティ。 ──そしてここ、ガンジーの浜辺で

          千慶烏子『アデル』解説

          千慶烏子『アデル』表紙画像

          千慶烏子『アデル』表紙画像

          千慶烏子『ポエデコ』解説

          脱現代性の詩的方法論──。本書は『ポエジー・デコンタンポレヌ』の表題で2015年 P.P. Content Corp. より出版された。デコンタンポランという聞き慣れないフランス語は、現代性の危機に対抗するべくして千慶烏子の作り出した新しい文学上の方法論である。デコンタンポランは英語に置き直すならばディコンテンポラリー、脱構築の脱が加えられた現代性、すなわち脱現代性の方法論である。 一見すると、少年小説や空想科学読本、大人向けの残酷な童話を思わせるこれらの奇妙な物語群は、詳

          千慶烏子『ポエデコ』解説

          千慶烏子『ポエデコ』表紙画像

          千慶烏子『ポエデコ』表紙画像

          千慶烏子『ねじふりこ』解説

          Gender fluidity(流動的な性のあり方)――書くことの始まりにおいて、千慶烏子は、あたかも性の目覚めに遭遇した多感な少年が驚きをもって体験するように、あるひとつの「性の揺らぎ」に逢着する。それは必ずしも彼自身の性のあり方や性の自認に由来するものではない。むしろ、それは書くという行為そのものに内在している「性の流動性」なのだと言っていい。千慶烏子は、書くという行為のなかで、作者の性は揺らぎを帯びており、流動的であり、必ずしも彼自身が自認している性とは一致しないような

          千慶烏子『ねじふりこ』解説

          千慶烏子『ねじふりこ』表紙画像

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