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初体験

セブにやって来て二週間、この地で生まれて初めての経験をしました。

それは、

「全身ユニクロ」というコーディネートのまま、ユニクロで買い物をする。

というものです。

日本では到底できないこの荒行。さすがの私も入店前にはじわりと冷たい汗をかきましたが、そこはセブの海と太陽が、背中を押してくれました。

ここは熱帯。自意識など捨ててしまえ。誰もお前のことなんて見てないよ、と。

店内に足を踏み入れると、当たり前だけど、そこはまるでユニクロ。置いてあるものは日本のユニクロとあまり……というか、まったく変わりがありません。

必然的に、私が着ているものも、そこかしこにある。

私が着ているパーカーも、Tシャツも、スウェットパンツも、普通に売ってる。私の格好を見ると、「トイ・ストーリー」のごとく店内のマネキンが突然歩き出したかのようです。

私の血の色は赤。つまりユニクロレッド。いまの私はユニクロ色に染まりきっている……。

思えばユニクロ……ユニクロよ。

いまの若者の感覚は知りませんが、ユニクロがダサいとされる時代は、かつて確かにあったのです。フリースでドカーンとユニクロの認知度が高まったあの時代。誰もがしょうもないフリースを着ていたあの時代……。

当時、品川庄司の品川みたいな髪型をしていた私は、あのだっさいだっさいフリースを心底見下していました。「なーにがユニクロだよ!だっさ!フリースとか勘弁してけろけろー」と。

だけど、そんなこと言ってる私が着てるものはTAKEO KIKUCHIだったりするんですけどね。伝説のマルイブランド。当時の学生は皆、TAKEO KIKUCHIからオシャレを学んだものです。TAKEO KIKUCHIこそが若者のメンター。TAKEO KIKUCHIの顔も知らないけど。

当時はマルイが元気でねぇ……学生はみんなエポスカード作ってさ、マルイで買い物する訳ですよ。誕生月だと10%割引とかあったんですよね。金がなくてもリボでOK!お小遣いがピンチでもキャッシングがある!結果、バイトの給料がそのままマルイ様への年貢になっていく……。

そんな時代です。当時の私の血の色は赤。マルイレッド、そしてエポスカードレッドでした。

さて、マルイの話はともかく、とどのつまりダサかったんですよ、ユニクロは。だからユニクロでは下着とか靴下とか、そういうものしか買ったことなかったんですけど、近年、ユニクロなかなかいいぞ、という話がそこかしこから聞こえてきており、商品を見てみると確かに悪くない。

ていうか、仕事の時に着るものなんてここにあるもので十分。セーターとか、ええやん。カラーも豊富だし、ネックの形も選べるし。

そんな訳でちょこちょこユニクロで買い物をしていた訳ですが、昨夏ついにジャケットにも手を出してしまいました。そう。感動ジャケットですよ。軽いし、涼しいし、ジャンジャン洗えるし、なんかもう……すごくいいよ。やばいよ。そのうちコートにも手を出しちゃうよー……なんて思ってる最中のセブ渡航。

灼熱のセブに備え、私はユニクロでジャンジャン服を買いました。洗濯の質が悪くて服がボロボロになっても「いいじゃんいいじゃん。どうせ980円だし」みたいな感じで捨てても良いように、一年分の衣類を買い込み、セブに持ち込みました。もう心配ない。良かった。この世にユニクロがあって良かった。神様仏様一勝九敗の柳井様。

しかし、一寸先は闇。ここは熱帯。マジックリアリズムの世界。異国の地で直属の上司とジャケットがかぶるという事態が発生。こちらは後攻。圧倒的不利。真似したと思われる。笑われちゃう。異国で笑われるのは、悲しい。

という訳で、渡航から二週間、ふたたびユニクロにやってきた訳です。日本であんだけ買ってきたのに!馬鹿!

人は異国において、少しでも慣れ親しんだものを求めるものです。色々探し回るのもだるいし、会社からも割と近いし、ということでユニクロです。

その結果、何も買わずに帰ってきました。

感動ジャケット、セブにないんだもん。品揃え、微妙に悪い!頼むよ、一勝九敗!セブにもっと!感動を!

今日もパイナップル食べました。パイナップルジュースも飲みました。美味しかったです。

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