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何の話をしましょうか:D-DAY①


あたりめです。

何も覚えてね〜〜何も出てこね〜〜何も書けね〜〜〜〜〜

本当にそれしかなく、本気でムリだと思っていました。ちょっと、わりと、だいぶ困っていた。




新しい楽曲を聴いたりライブに行ったりしたとき、私は大抵 その "アーティスト自身" のことであったり、演出、アレンジの音や声に対してどう感じたのかみたいなことを、脳みそとか身体に詰めてきたのだと思う。だけど今回、それが全くと言っていいほどに出来なかったのだ。ピーマンの肉詰め、肉だけポロッとどっか行っちまったんです。

実際、横浜に滞在していた間に書き留められた文章はたったこれだけだった。↓

すごいな、なんにも覚えてないや。
ただ漠然と、身体の真ん中からじんわり、ぶわっと、"ほんとうにしあわせだった" という柔らかい温度だけが残っている。
うわぁ〜〜〜どうしよう。私は今、この文章をとある喫茶店で書いている。お昼時なのでお客さんがたくさんいる。なのに泣きそうだ。なんにも覚えていないと言っているのに、一体何を思い出して私は泣きそうになっているのか。泣くのを我慢しようとすると、喉の奥がつんとする。この "つん" ですら、今の私からすればたからものなのだ。



ウソだろ?推しのソロコンよ??フルバンドアレンジよ???しかも釜山コンの編曲チームよ?????なにしてんの???????


帰路の電車内で この短いメモを繰り返し何度も読んでいた。ほぼ家近くまで戻ってきた頃、心のなかで うァ〜、そっか、とボヤいた。




たぶん、聴こうとしたところ、感じ取ろうとしたところが、いつもと全然違ったのだ。

それが自分でも無意識の行動だったから、(ん〜〜〜、無意識の行動だったというより、無意識のうちにそう行動させられていた、のほうが近いかもしれない、) ライブが終わったあと、いつものように思い起こそうとしてもちっとも出てこず、ドツボにはまったのだと思う。脳みそとか身体に詰めたものがいつもと違うのであれば、その思い起こし方もまた違って当然なのだ。ここに気が付くまでに随分時間が かかってしまった。



というわけで(?)、このnote、演出やユンギさんの言動云々のような、『ライブレポート』的な色はたいへん薄めになっている。これは 1ユンギペンの私による、私のための横浜記なのだ。ただひたすらに、超つらつらと書かせていただくので、どうぞよしなに〜





これから先の人生であんな天候の中を突き進む機会ってあるんだろうか。「あれも今となっては良い思い出だよね」なんて、口が裂けても言えやしない。涙を流した人がゼロではないことを知っているから。
露骨に口が悪くなることを許してほしいのだけど、本当に糞だった。あの天候はどっからどう考えたって糞でしかなかったのだ。



あの天候を乗り越えられたのは、『ユンギさんのライブ』という予定があったからだと、マジで思う。その他諸々の予定だったらまずキャンセルしていた。(本当にすみません)
いや、だってあんな中 外を彷徨くなんて正直正気の沙汰じゃない。交通網がいつどうなるか分からなかったし、よそから そこそこデカめの物体がふっ飛んできたとしても何もおかしくない状況だった。街が冠水しなかったのが不幸中の幸いかも、くらいのもんだった。真っすぐ歩くなんてとてもじゃないけど出来なかった。

本当に、1ミリも大袈裟でなく、命懸けで向かった。これだけは断言できる。



向かっているその間、私の頭には「ヤバすぎる」「エグすぎる」みたいな、"大変だ〜" 的な感情はたくさんあったものの、「つらい」「もうやだ」とかの否定的な感情はいっっっっっさい、無かった。『今私が置かれている状況、メッチャヤバくてメッチャエグくて大変だな』って、スンと受け入れていたのだ。

『行かなきゃ』しか無かったんですよね、本当に。もはや喜怒哀楽って何だっけ、という感じ。行かなきゃという名の無心。


あの感覚、26年生きてきて確実に初めてだった。すごくない?シンプルにあの状況で (このあとイベントが控えている等のことは外して、)「つらい」「もうやだ」の感情がわかなかったの、すごすぎませんか?人間って必死の境地に達したとき、こうなるのかもしれない。




ぴあアリーナは元々待機スペースが少ない上に、この悪天候。屋根の下にまるでペンギンの群れの如くアミたちがひしめくも もはや屋根など関係なく、開場までの時間、あらゆる方向からの雨と暴風に襲われ続けた。シンプルに全員風呂上がりだった。

開場時刻になり、列が進んだ。チケットをもぎられる瞬間ですら、まだ真顔だったと思う。
人の流れに乗るまま入口の階段を上り、建物内に入った。アルファベットと数字が割り振られた各扉が開いていた。あの長方形のステージを、私の目が捉えた。




ヘッドホンをして、ノイズキャンセリングを設定して、限界ギリギリまでボリュームを上げたんかというくらいに、バカでかい心臓音がした。

ユンギさんの "気配" を認識したその瞬間、今の今まで『無』だった私の全部が、一気に『有』になったような感覚があった。



ヤバい、泣く



一瞬だけ捉えたステージからすぐ目を逸らして、トイレの列に並んだ。
そこからはもう、押し寄せる感情の大波との戦いになった。


やばいやばいやばいやばい

ユンギさんだ

ユンギさんそこに立つんだ

ユンギさん、会うんだ



排泄の待機をしながら脳内は完全に『ユンギさん』の洪水になっていた。己の今の目的は排泄だと必死に言い聞かせることでなんとか精神を保とうと必死だった。(よい子は推しを排泄でかき消そうとしないで下さい)

排泄インターバルを設けたことで結果的に激情から放心状態になれたので、効果としては絶大だった。なんでこんな話ばっかしてんの?



席は立見(2F・センター)だったため、自分の場所はすぐに見つかり、放心のなかアミボムに電池を入れたり ソ○ジョイでエネルギー補給をしたりしながら、その時を待った。

私は 演出諸々に衝撃を受けすぎることで起こる記憶喪失を少しでも抑えたいと、今回は事前に海外公演の映像を見ていたので、全体の流れ・演出は把握していた。把握していたのですが…



割れるほどの大歓声の雨を浴びながら、ステージ中央に横たわるその人が、マイクを口元に当て、地を這うようなあの声を、雨を裂いて響かせた。

たぶんね、私の脳みその何かしらがもうこの時点で機能しなくなったんですよ。空間に散らばる音や声をどうにか留めようとフルタイムで働いていたいつもの部分が、開始早々 お手上げでェス!と言い残しどこかへ去っていったのである。蛍の光が聞こえた気がした。



デケェんよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




あろうことかこれがいちばん最初に浮かんだ言葉だった。


むりじゃない?????デカくない?????メッチャデカくない???????デカいかデカくないかで言ったらデカいし、デカいかデカいかで言ってもデカいよね??????????なに?????にほんごおかしい?????知らんがな???????


私は別にデカい人が好きというわけではない。むしろ苦手なくらいだ。ただ好きな人がデカいだけであって、デカいから無条件に沸いているわけではな 〜以下略〜



当時僅かに機能していた己の正常な脳みそが残してくれた記憶の話をすると まず、ぴあアリーナ、本気で音が良い。良すぎる。完全に過去イチ。それも圧倒的。あのサイズ感と形だからというのもあるけれど、メチャクチャ輪郭のあるサウンドのまま会場の端まで届く。
ふつうだと遠くなればなるほど 空間や人間に吸収されるような感じで輪郭がボヤけてしまうと思うのだけど、それが本当になかった。完全に水風船。形を保ったまま自分のところへ投げられ、身体に接触することではじめて破裂する感じ。まるで自分だけに投げられた音かのように鮮明で 新鮮で、この上なく気持ちよかったのだ。

特に バンドのように生音ではなく、打込み音源を流すことになるビートたち、普段の生活の中なら聞き逃すこともあるだろうレベルのド低音ビートがとんでもなかった。1ミリも遠慮する気のない圧力をもってゆがひずみが会場を掌握していた上に、信じられないくらいクリアだったのだ。これがもう本当にたまらんすぎた。全俺の触覚がこの重低音の波に約2時間、大喜びしていた。



知識なんざ もちろん微塵もないため、トンチキ発言の連発になってしまうのだけど、ユンギさんのラップについて。私は普段から 声を音のひとつとして聴くところがある。なので、ユンギさんの 間髪入れずに畳み掛けるざらついた鋭利なフロウだったり、一瞬だけ裏返したり 嘲笑ったりするようなテクニックから生まれる緩急や抑揚みたいなものは、そういった意味で聴いていて一音一音が本当に楽しく魅力的で、圧倒されるものがあるのだ。

それに加えて最も好きなのが、ラップをしているときの表情や手の動き、立ち振る舞いだ。ラップスキルとはすこしズレた部分になってしまうけれど、私はユンギさんがラップを捲し立てながら、自ら生んだビートに乗り ステージを縦横無尽に舞うあの姿がたまらなく好きなのだ。


このあたりをこれでもかと見せつけられたのが冒頭の4曲だったと思う。完全に、ラッパーとしての名刺代わりのご挨拶タイムだった。



どこがどんな声だったか みたいな細かいところは1ミクロンも覚えていないので、全体のぼんやりした記憶でしかないのだけど、これまで音源やMV等で聴いたり見たりしてきたそういう部分が、一分の狂いもなくそのままそこにあった感じだった。特に一瞬声を裏返すあのテクニックの "間" の的確さに何度も1人でキレそうになっていた記憶がある。音源を聴いて「これいつ息吸ってんの…?」と疑問に思っていたところの 案の定のブレスの少なさにも衝撃を受け、何故か自分が必死になって息を吸っていた。たぶん金魚の顔になっていた。

記憶が正しければAgust Dのバース2冒頭がドラムのキックのみにアレンジされていて、この部分が最も好きな私にとって ユンギさんのフロウをこれでもかと堪能できたこの瞬間は最早ペットボトルの水を浴びせられたような精神状態だった。




なんというか、頭と心が視覚情報に追いついて、ユンギさんの存在を自分のすべてでちゃんと認識して、深く呼吸が出来たのは、seesawからだったと思う。

こういう場での予定調和的なのってナンセンスだよなとは思いつつ、LGOやSnoozeで自分はきっと泣くんだろうなと思っていた。そこに関してはそう思っていたのだけど、予定調和があるのなら予定不調和もあるということを、人は忘れてはならない。



seesawが始まったと同時、それはそれはもう突然に、猛烈に、爆裂に、号泣してしまったのである。



7人じゃん………………………………………居るじゃん、みんな居る、みんなでステージ立ってんじゃん…………………………………………ゥゥァァゥァァァゥァゥゥ涙鼻水嗚咽涙

5曲目にしてようやく深く呼吸が出来たとき、ユンギさんが『BTS』のひとであって、『BTS』のためにツアーをまわっていて、今『BTS』とともに、ステージに立っている、そんな感情が滝のようになだれ込んできたのだ。どうやら なだれ込んできたものを再び そのまま目から放出していたらしい。受け流さないでおれの身体!!?!?!もうちょい受け止めて!!!?!?浸透させよ!!!!?!??!




seesawのアレンジ、とってもあったかかった。あまりにもやさしかった。

この曲って結構、ザッザッザッてタテに刻む印象が強かったり、メロディアスだけどベースラインが濃ゆめだったりするんですよね。そのあたりの要素が、まるっと消えていた気がした。

最初の一音から最後の一音まで、ずっとひとつの糸でやわらかく紡がれているような、そんなアレンジだった。ストリングス・コーラスっぽい音が裏に入っていて、他の音も刻むことなくずっと繋がっている感じ。曲が終わる頃にはふわふわのマフラーが完成していて、それにくるまれているような感覚になったことを覚えている。あったかすぎてやさしすぎて、涙が止まらなかった。




現地で自ら声を出して参加しているときは分かりづらかったけど、ライビュやオンラインを見て、イルアミの魅力はここなんじゃないかなぁと思ったのが SDL 〜 People 〜 People Pt.2 にかけての部分だった。特に People Pt.2、イルアミの声がほんと〜〜〜〜〜うに美しかった。

ヘリウムガスかなんかで 声のトーン事前に揃えてきたんか?ぐらい綺麗だった。(それだとああはなりません) 1万人の声が1つの音になって、People Pt.2を鮮やかに彩っていた。

そして 事前に海外公演の映像を見ていたとは言っても すべてを確認していたわけではなかったので、当日に初めましてをすることになったシーンももちろんあった。

『Getting ファ〜ラウェ〜〜〜〜〜イ』、ここである。



お兄さん何してんの?????????????




この "ファ〜ラ" の返しと "ウェ〜〜〜〜〜イ" のロングトーン、マジで何が起こった??????????えぐすぎない???????このワンフレーズにラッパーとしての魅力とボーカリストとしての魅力完全に渋滞してたじゃん。キラーフレーズなっちゃってたじゃん。


まわりのアミはみんなキャァァァァァと可愛い歓声を上げていたけれど、私はあまりのことに2,3回ゆっくりと大きく手を叩いたのち 両手を頭上に上げ、そのままカッカッカと高らかに笑っていた。GIFでいうなら完全にOMGのアクションだった。



OMGのGIFになっちゃったおれの横浜記は②へと続く。

サポートの通知を目撃したときは涙と鼻水を渋滞させながら喜んでおります、読んでいただき本当にありがとうございます。感想はこの上ない励みに、サポートは新たな音楽を浴びにゆくきっかけになります。