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何の話をしましょうか:D-DAY②


ここから先は、いつ組み込まれても輝けるMoonlightの汎用性の高さにキャッキャし、会場を一瞬でロックフェスへと変貌させたBurn Itの熱さに燃え上がり、もはや転換映像ではなくセトリの一部と言えるVCRからのShadowの流れに鳥肌が立ち、間髪入れずに畳み掛けられる怒涛のバンタンメドレーに喉も腕も満身創痍を迎え、気が付けば 中指を立てられ軽く膝から崩れ落ちそうになったHUH?!が終わっていた。


そう、めぢゃぐぢゃに、楽しかったのである。


この男、空間掌握力が本当にハンパじゃなかった。ユンギさんが居る場所 居ない場所とか関係なく、ステージ上〜客席の隅々まで、濃度的なものがマジで一緒。今向こう行っちゃってるからこっちは薄いとか そういうのが微塵も無い。空間のありとあらゆるすべての要素がSUGA / Agust Dでミッチミチになっていた。ユンギさんの海のなかだった。




そしてこの『めぢゃぐぢゃ楽じい』と同じくらい感じていた感情が、『めぢゃぐぢゃ可愛い』である。

ラッパーとしての格好良さと アイドル(というより人間ミンユンギ)としての可愛さの狭間で、えげつない反復横跳びをさせられていた。トンデモねぇリーチの長さだった。おそらく一発で股が裂ける長さだったし、相当足が長いか股関節が柔らかいか とかじゃないとマジで無理なやつだった。ここに関しては完全に鍛錬が足りていなかったのだと思う。25年以降の7人の場に挑む際には股のトレーニングが必須であることを学んだ。なんか違うこと言ってるのは分かっているのであたたかく見過ごしてください。

とにかくユンギさんはめぢゃぐぢゃに可愛かったのである。




ピアノを前に座った ちょこっと丸まった分厚い背中が愛おしかった。

ジャン! バン! ジャン!と好き勝手鍵盤を叩く どう見ても猫ちゃんな行動が愛おしかった。

曲が始まり、優しいメロディーをそこそこな強さでカンカン弾く骨太な手が愛おしかった。

空間に舞う音と声を確かめるように 時々目を閉じて上を見上げる仕草が愛おしかった。

終盤、力強い声で何度も繰り返された『Life Goes On』が愛おしかった。

最後、惜しむかのように自身のテンポでやさしく置いた『Life Goes On』が、たまらなく愛おしかった。




ア〜〜〜〜〜どうしようか。こんなにも愛おしくて、どうしようか。一体どうしろというのか。



大好きで、憧れで、尊敬するひとからの『いい子だ』に、ふにゃ と目を細めた画面の中のあなたは、どこからどう見ても ただのひとりの青年だった。

アミボムの海はやさしく揺れながら、山吹色に近い色と 白とをゆっくり繰り返していた。スポットライトに照らされスタンドマイクの元に1人立つ白い衣装のユンギさんも、私には海のひとつに見えた。

サビのウソンくんのパートで流れていた映像に、朝日と思われるものがあった。(※夕日かもしれないのですが、私にとっては朝日だったのでそう書かせていただきます…)


『다 괜찮아질 거야』



ユンギさんがひとつ、またひとつと、この言葉を融かしていったあのとき、たまらなかったなぁ。


どこかの誰かがこの曲に出会ったとき、ユンギさんの『다 괜찮아질 거야』に触れたとき、この温度が その誰かの "しこり" をほんのすこしでも融かしてくれるものでありますように

ユンギさんの『다 괜찮아질 거야』の そのひとつひとつの先に、どうか霧が晴れた朝がありますように

ユンギさんの『다 괜찮아질 거야』を受け取った その誰かから生まれた言葉や音楽がまた、巡り巡ってユンギさんの心臓を動かすひとつの理由になりますように


ひとりそんなことを想いながら、本当にたくさん泣いた。Snoozeは、どこかの誰かの "今" をそっと抱きしめることが出来る、たいせつな曲だ。





극야(Polar Night) に入ったとき、この空間の終わりがいよいよ近いのだということを急に意識してしまい 寂しくなったことを覚えている。素直にわがままだから困ってしまうなぁ。

AMYGDALAを歌い切り また横たわったユンギさんの姿を見て、今 脳裏には一体何が浮かんでいるんだろうとぼんやり考えたり、自らの手で映像を止めて部屋を出たところからD-DAYへ繋がる完璧な流れに震えて大興奮したり、と思ったら 登場したユンギさんが日本限定ちょいタイトTシャツを着用していたことにより発生した『デケェ』の再来に声にならない声を上げたり、それはそれはまァ〜〜〜大忙しだった。

半袖の袖の長さに関しては 半袖という名の五分袖以外は許した覚えが無いので、どうか今後は気を付けていただきたいと心から思っている。(※3日目、あろうことかロールアップをしていて雄叫びを上げた)




Never Mindはどうしても拳を上げたくなったので、拳を真っ直ぐ上げることを優先した結果、アミボムを横持ちするような感じになった。鷲掴みなんよ。

すっかりフロアライブと化したアンコール、残された階段の踊場は、なんだか灯台のように見えた。そこに立ってこちらへマイクを向けるユンギさんは、とてもアーティストで、とてもアイドルで、とても 人間 ミンユンギだった。すっきりとした、とても気持ちいい表情かおをしていた。





2:40『상상만 하던 것이 현실이 돼 어릴 적 꿈이 내 눈앞에』から、

特に3:13『세이코에서 롤렉스 악스에서 체조』から、

もう、ここがすべてだったと思う。


投げられているエネルギーがとてつもなすぎて、圧倒されすぎて、息も止めるようにしてその姿を見つめていた気がする。受け止めるのに必死だった。浴びながら何か感情を抱えられるような そんな隙はどこにもなかった。ただ、どんどんどんどん自分のなかが、足元から頭のてっぺんまでが沸々としていく感覚だけがあって、その熱でいっぱいになった瞬間、ユンギさんはステージから去っていった。






「規制退場になります」から、「2階立見エリアの方々は_」のアナウンスが入るまで、何分あったんだろうか。1分でも、1秒でも、とにかく長くこの場に居たいという想いも虚しく、いちばんはじめにその場から離れることになった。

外の様子は、明るさ以外何も変わっていなかった。当然傘などさしていられないので グッズのタオルを赤ずきんの如く纏い、暴風に煽られまともに進めないなか、なんとかホテルへ帰った。

部屋に着いてから、どれくらいの時間泣いていたかあまり覚えていないけれど、ただ とても幸せな気持ちでいっぱいだったということだけは、鮮明に覚えている。




翌日の3日は湘南付近のライビュに行くことになっていたので、午前中に横浜からそちらの方面へ移動した。

夕方まで時間が空くことは分かっていたし、殴り書きでいいからなるべく早く 書けることは書き残しておこうと、ランチを兼ねて喫茶店に行った。

ランチのセットはパスタにした。ケーキまで選べるとのことだったので、"黒豆きなこショートケーキ" という食べる前からもうウマい系のネーミングを掲げていたものにした。登場したそやつはあろうことか頭にアイスと黒蜜を装備しており 中には黒豆がごろごろと入っていて、それはそれは劇的なウマさだった。最後の一口までとても美味しくいただいた。



あったかい紅茶を飲みながら、ヨシ、とメモアプリを開いたはよかったものの。
思い起こせど、思い起こせど、な〜〜んにも出てこないのだ。

ちょっとまって、私ユンギさん見たよね?会ったよね?声聴いたよね?

これが例えば人に埋もれて姿をほぼ確認出来なかったとか、なんかそれなりの状況的理由があったなら (いやそれでもアレだが) まだ分かる、まだ許せる、うん。でも2時間の間、ユンギさんが見えない時がなかった。ずっっっと、ガン見していた。なのに、ユンギさんの姿が全く浮かんでこなかったのだ。



えっと、アレンジは?アレンジどんなだったっけ?Agust DとかMoonlightとかBurn Itとかメチャクチャ良かったよな、どこがどんな風に変わってたんだっけ? ………???

メ、メント!メントの時のユンギさん!!!話した内容は覚えてる、表情、声のトーン、身振り手振り、えっ、と………?

ユンギさん、どこ?

シンプルに悲しくなった。なんでこんな覚えてないんだろう。なんで?次いつ会えるか (そもそも会えるのかすら) 分からないというのに、あんなに近くで長い時間見たというのに、私のなかに、"私が見たユンギさん" は驚くほど、ほんのすこししか残っていなかった。

ズーンと重い感情に襲われながら、かろうじて覚えていたSeesawのアレンジをゆっくり脳内で思い起こした。急に目に涙がたまる感覚があった。


なになになになに
なに泣きそうなってんの私!!!?!?


このときの状況が、①の冒頭で出てきたあの短文である。

なんにも覚えていないと言っているのに、一体何を思い出して私は泣きそうになっているのか。



このあとも何かを思い起こそうとするたびに、見えないユンギさんの姿に切なくなる感情と 無条件に泣きそうになる感情とを繰り返し 全く使い物にならなかったので、気分を変えようと違う喫茶店に移動してみた。が、やはりここでも同じ状態だったので、一文字も書けないまま 胃をレモンスカッシュでひたひたにしただけで会計を済ませることになった。
お釣りを片付けているとレジのおばあちゃんが1リットルくらい入りそうなバカデカスプレーを優しく微笑みながらスタンバイしていた。アルコール消毒だった。

このとき、たぶん14時半くらいだったと思う。

ライビュは17時から。また店に入っても同じことの繰り返しになる気しかしなかったので、どうしようかと 駅前でしばらくぼけ〜と突っ立っていた。



『海行こう』



自分が今湘南に移動していて、海が近いということを急に思い出した。



バスに揺られて到着した海は、前日に通過した台風の影響もあり 想像の500倍ビッグウェーブだった。いわゆる「おもてたんとちゃう」状態。完全に陽キャの波だった。

前日散々泣いた空はとても澄んだ表情をしていて、それに微笑み返すように海の表面はきらきらしていた。

どうしても あちこち入ったり付いたりしてしまうので砂浜は避け、ちょっと出張っているコンクリートの細長い道みたいなところに座った。道の先っちょでロン毛のおじさんがビッグウェーブをものともせず 1人で釣りをしていた。よい子は真似しないでください。

左の先っちょに居るのが そのおじさんです



特に何をするでもなく、ただぼや〜っと波を眺めてはその音を聴き、まだ残る強風にごちゃごちゃにされた髪を直そうと触ると 塩にやられてちょっとベタついていた。早くない?距離詰めすぎたから?


波の音に心のなかでごめんねをして イヤホンを付け、Life Goes OnとSnoozeを1回ずつ、聴いた。


好きな音楽を好きな場所で聴く、満たすようで空っぽになるような、こういう時間。



幸せだよなぁ〜〜〜〜〜こういう時間。

幸せだったなぁ、ライブ。私本当に幸せだった。ユンギさん、私ね、メチャクチャ幸せだったんです。



うぁ、また泣きそう






私はユンギペンでありながら、ユンギさんの曲をなかなか聴くことが出来ないというヘンテコな悩みがあった。

それはすごく痛みがあって、つらいものだった。

ぴんぴんに尖っていた鉛筆が、あの2時間で、自分でも気が付かないうちに 丸くなっていた。いつ折れるか分からず、時に紙をえぐることもあった鋭利なその芯は、ステージに立つ目の前の人の話ではなく、自分自身の話でないと角が取れないものだったのだと、帰路の電車のなかで ようやく気が付いた。



読んでいて気付いた方が居るかどうかは分からないけれど、書いてきたこと、ほとんど私の感情の話なんですよね。私個人の心の動きの話ばっかりなのです。


すごく自分が真ん中にいる時間だった。


今思うとあの2時間の間、すごく自分に集中させてもらっていたような気がするのだ。自分の感情の動きに。

ユンギさんの姿を見たくて、ユンギさんの音楽を聴きたくて、そう思って向かったライブで、一瞬も目を離すことなくすべてを目撃したのに、そのユンギさんの記憶はほとんどなくて、自分自身の心の記憶だけがどこまでも鮮明に残るなんて、そんなことがあるのか。
私が見たのはユンギさんではなく自分で、私が聴いたのはユンギさんの音ではなく自分の心音だったような、ユンギさんを、ユンギさんの音を通したその先に、自分が居たような。

私にとっては そんな2時間だったのだと、今になって思う。



『なんにも覚えていないと言っているのに、一体何を思い出して私は泣きそうになっているのか。』

ユンギさんの話じゃなくて、私の話を思い出してたんだなぁ。



ウワ〜〜〜〜〜 "幸せ" の話、たくさんした。ちゃんとたからものになっちゃったな。ありがとう、ユンギさん。

"皆さんの中に素敵な思い出だけが残ることを願っています"

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