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丁寧の刹那:FACE


このあと(すでに出ているものもあるのだろうけど)、どんどんビハインドだったりインタビューで楽曲についての話が本人の口から語られて、それがある種 "事実的な正解" になるわけじゃないですか、まだそれを知りたくないというか、もうすこし遊びたいし遊ばせてくれよという気持ちでいっぱい、なのだ。




あたりめです。

まだジミンさんのFACE、歌詞や "事実的な正解" を何ひとつ確認していない。今の段階の、どろっとしたようなぼやっとしたような、「何か分かんないけど、」という感覚、この感覚をもうすこし抱えていたい。そしてこれは遅かれ早かれ、必ずかたちが変わってしまうことも分かっている。そのときに見返したら随分とひどい内容かもしれないけれど、残しておきたい、と思ったので。


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本人がリリース前から何度も言っていた、『自分と向き合う』ことが、"本質的にマジ" なのだということがバチバチに伝わってくる作品だと思った。楽曲を生むために自分と向き合ったというより、自分と向き合った先にかたちとして楽曲が生まれたという感じ。

だからとことん『自分』、精神的・メンタル的なところだけではなく、肉体的・フィジカル的なところ、『自分』を構成するすべてのものへの向き合い方が極限まで緻密で、誠実だったんじゃないかなぁ。でもこれって、決して何か特別なことなのではなくて ジミンさん、これまでと何ひとつ変わらない、あなたの "丁寧な生き方" そのものですよね、きっと。



国も年齢も性別も何もかも関係なく、一人ひとりがそれぞれのかたちで悩み苦しんできたであろうこの数年、あなたはこれまでと何ひとつ変わらず、とても、とても丁寧に、生きてきたんだなぁ。




人は逃げ方を知っている。逃げ方には『考えずに逃げること』と、『考えて逃げること』があると私は思っている。

おそらくこの数年、考えずに逃げることを本能的に求めて、もがきながら過ごしてきた人がとても多かったのではないかなと思うし、ハッキリは分からないけれどたぶん私もそうだった。



ジミンさんのFACEには、この数年間の音が詰められているという。




数年って、メチャクチャ長いじゃないですか?そんなに長いものをギュッとしたら、ふつう一つひとつを鮮明に残す・表現することって限りなく難しいと思うのです。何かぶつ切りになってしまったり、部分的につぶれてしまったり、そういうことがあっても全然不思議じゃない。

FACEを初めて一通り聴いたとき、これが数年間の音だなんて信じられなかった。これは『1日』じゃないのか? 1日の鮮明さじゃん。1日の緻密さじゃんか。

どんな状況でも "考える" ということをやめずに、丁寧に生きてきた人が 振り返ったときにしか紡ぎ出せない音だった。




考えずに逃げることは、決して悪いことやダメなことではない。誰にだって必要な時が必ずあるから。

考えて逃げることは、たぶん苦しい。先の見えないその状況下で "考える" ということは、おそらく最も苦痛なことの一つであると思う。そこから彼は逃げなかったというより、これまでと変わらず、ただ、そうすることを選んだんじゃないかなぁ。



『FACE』は、ジミンさんの "丁寧な生き方の刹那" が詰まった作品のように感じた。




作品イメージや心情等の要素以外の、全体を通した音楽としての感想を本当にざっくり言うのであれば、ボーカルエフェクトが超超超超超〜ォ イケてる楽曲たちであるということ、そしてエフェクトからくる声色の変化とは別に、ジミンさんの喉の開き方みたいな部分へのこだわり(=『自分』の肉体的・フィジカル的なところへの向き合い)からくる 声の表情の変化がたまらない楽曲たちだなぁ、と感じた。



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冒頭でも書きましたが、改めて。
ここまでの内容も、ここからの内容も、一個人が音源のみから感じた かなり感覚的な感情、たくさんの事実的な情報を知る前の 今の感情の記録のようなものになります。ゆる〜く読んでいただけますと幸いです。
※『Like Crazy (English Version)』、隠しトラックの『편지』、Remixの2曲については触れていません。




" Face-off "


あんなので始まるなんて、あんまりじゃないですかか。




都会の喧騒のようなバックサウンドのなかで鳴る、ヌコチャンソング。

うわぁぁぁぁぁこれ入れてきたんだ可愛いジミンさんらしいソロの良さここですでにカンストじゃねぇかうぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ(ここまで約9秒)

となっていた感情が、00:10からズタボロに崩れた。




メチャクチャ『やだ』と思ってしまった。なんだろう、人間が本能的に嫌悪を抱く類の音なのかもしれない。この歪み一つで、さっきまでの歓喜がまるで嘘のように、一瞬にして嫌悪に染まってしまったのである。不快、恐怖、不安、切迫、矛盾のようなもの。

この歪みが入ったことで、あとに繋がるシンセの音の聴こえ方もかなり変わったんじゃないだろうか。どこか歪みを引きずったような状態で聴くことになるので、このシンセの音にすら若干の不安定な要素を私は感じてしまった。



たぶん、思うツボだったのだと思う。ここまでに書いた内容、曲でいえば冒頭のたった20秒そこらの話なのだ。20秒の間に、こんなにも感情を揺さぶられている。しかもイントロ、ボーカルは始まってすらいないという恐ろしさである。



ほいで、アノ………ちょっとよろしいか……………?

これ、トラック数………多ない…………………?




基本的に楽曲のトラック数(※)は平均20〜30で構成されていると言われているけれど、Face-offは…なんだかそれより多い気がする………実際どれくらいあるんだろうか……………?(ただの気のせいの可能性も大いにありけり)

※トラック
例えるなら、競技用トラックが何レーンあるか、というようなもの。極端だけどボーカル・コーラスで構成されている曲であればトラック数は2になる。始まりと終わりの地点、鳴る頻度などは関係ない。仮にギターの音が途中ワンフレーズの5秒だけ含まれていたとしても、"ギター" として専用レーンが1つ必要なので、トラックの1つとしてカウントされる。

私が知っているアーティストだと、KingGnuの楽曲なんかは基本的に80以上のトラック数で構成されているそう。制作をしている常田さんはMilleniumParadeというグループも兼任しているが、こちらはそもそも編成がオケのように特殊なことも相まって、150〜300近いトラック数になることもあるんだとか。笑えねぇすぎる。メチャクチャエンジニア泣かせである。



ゴチャゴチャしてしまったりして、完成度を上げることが難しくなるので、トラック数は単に多ければ良いというものでもないそう。複雑なお話すぎる。音楽って緻密で繊細だな………制作に携わっているすべての方を尊敬します…………………



知らぬ間に制作陣へのリスペクトを綴ってしまった(大事です)。とにかく、アルバムのスタートを飾るこの楽曲、特にきめ細かく手をかけたであろうことは想像がつきやすかった。



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" Interlude:Dive "

公式が最初に上げていた映像の音、これだったんだなぁ。

なんて解像度の高い間奏なんだろうか。ジミンさんの心臓の音まで聞こえてしまいそうだった。いや、私の心臓がバクバクしていただけなのかもしれない。それくらい、なぜか緊張感のある間奏だった。『ジミンさん、おじゃまします』、そう言って、彼の内面の深いところへ潜り込んでいく感覚だった。



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" Like Crazy "

相当深いところまで、潜り込ませてもらったらしい。

どこか酸素の薄いジミンさんの声と、MVの描写は、そこが深海であるかのように感じられた。



内面から沸き起こる波は、ネオンの音がした。なんだか 渇いた夜の黄昏みたいな音でもあった。どうしても聴いている音楽に偏りがあるので、こういう例えは良くないのかもしれないけど、含まれている要素的には80年代の音のように聴こえた。竹内まりやと松原みきが居たなぁ………

実際どこを狙って制作したのかというのは もちろん本人・制作チームにしか分からないので、あくまでも そんな要素を感じるなぁ、というものです。シティポップ、魅力的ですよね…!



ウワ〜〜〜、これメチャクチャ夜のドライブで聴きたい。窓を開けられる季節がいいなぁ、絶対気持ちいいだろうな。あとは雨のときか雨上がりのときの、水たまりのなかに広がる反対側のネオンの世界を見ながら聴きたい。

音と声から あらぬイメージを膨らませ楽しむ癖が出てしまった。失礼しました。夜のドライブも、反対側のネオンの世界も、なんというか、逃避なんですよね。私にとってLike Crazyは、逃避の音で構成されているような、そんな楽曲なのだ。(結局イメージなんよ)



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" Alone "

リード曲はある程度ロジックに基づいて 聴きやすさなども意識しているかと思うので、そういう意味では、リードではない楽曲にそのアーティストの根っこの濃さが出ると考えて楽しむのも良いのかなぁ、と思っている。Aloneはその濃さがハンパなかった。



アルバムの頭から、ずっと時の流れとして楽曲同士が繋がっていたけれど、Like CrazyからのAloneはその部分がかなり明確で、すごく心にストンと落ちてくる感覚があった。

全体的に重力を感じさせるような、重く気怠いジミンさんの声。冒頭なんて「アァ〜〜〜コリャ飲んだワァ」とよからぬことを言ってしまいそうだった。(しっかり言ってます)



音がメチャクチャシンプルなぶん、ジミンさんの声の多さに耳がいく。Aloneには本当にいろんな声のジミンさんがいるなぁ。

比較的温厚で穏やかな音の進行が続いていた最中、サビで突如として現れたあの "絞る" ようなアレンジ、あまりにも心臓に悪すぎた。なんでか身体をよじらせながら聴いてしまった。

たくさんのジミンさんの声が、一箇所に無理矢理詰め込まれるような感じだった。この部分は、ちょっと苦しかった。



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" Set Me Free Pt.2 "

Set Me Freeは先行公開されていたこともあり、咀嚼はまだちっともできていなかったけれど、耳には馴染んでいた。


まだ歌詞を確認していないからそう思うだけなのか、アルバムを通して聴いたときに、AloneとSet Me Freeの繋がりにだけ、すこし違和感を感じた。飛ばしている時間があるような、間に何かもう1つ入るんじゃないかなぁ、という感じ。


この楽曲の強烈な魅力は、間違いなくボーカルエフェクトだと思う。ここまで多用したことってあったんだろうか?

それから、ボーカルエフェクトがかかる前のジミンさんの声もメチャクチャ聴きたい。喉の開き方みたいなものがこれまでと全く違う気がするのだ。



ジミンさんは、どちらかといえばそんなに喉を開いて歌うタイプではなかったように思う。むしろ閉じるように、どこか声を引くようにして歌っていた気がする。仮にこれまでの喉の開きが100だとしたら、Set Me Freeは300ぐらい開いているような、そんな声に聴こえる。シンプルにトンデモねぇことが起きている。



この楽曲を聴いたときに、Black Swanを聴いたときと似たような、絵画をみたような気持ちになったこともすごく面白かった。表面ではまるで何も起こっていないかのように 美しく静かで時よりどこかドライなものさえ感じるのに、その内では煮え滾るほどの何かがうごめいてる感じ。超エナジ〜〜〜〜〜



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ジミンさん、渦中じゃなくて、全部すこし過ぎてからなのですね。

制作を開始した時点で、おそらくジミンさんのなかではある程度過ぎたことになっていて、それを思い出すような、振り返るようなかたちでFACEは作られていったんじゃないかなぁ。

パダ



渦中で制作をすることは その良さがもちろんあるけれど、同時に自身への追い込みがとてつもない気がする。

単純に制作という作業への苦しみはどうしたって付いてくるものの、渦中を過ぎてからで あったならば、そういう 自身への追い込みのような部分に関しては比較的前向きな状態で取り組めたんじゃないかなぁと思う。



ジミンさんは過去いちばんと言っていいほどに、ずっとずっと素敵なかおをしていた。



充実した時間を過ごしていて、一つひとつ、ちゃんと楽しくて幸せなんだということが、何も話さなくても全部伝わってくるようなかおをしていた。音楽を、活動をすることで取り戻すことのほうが うんと多い人なんだな、と改めて思った。本当にどこまでもアイドルだなぁ。



もうすこし遊ばせてもらったあと、ジミンさんの紡いだ言葉、想いに会いに行こうと思います。ゆっくり、じっくり、しがませてね〜〜

月の満ち欠けみたいで 綺麗だなと

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