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【アルギュストスの青い翅】 第1話 始まりの青

あらすじ

北の浮島にある町。薬屋の息子Jは、夏休みが始まる前の晩、運河で少年ヴィーと出会う。すぐに意気投合し、抱えていた苦しみを打ち明け合った二人は、自分たちと深い関係がある蝶を見に深夜の湿原へと出掛ける。美しい風景の中、互いの家に伝わる物語を通して思いを深め、永遠の友情を誓い合うものの、Jはヴィーとの別れを予感する。自分も持っている古楽器なら再会の目印になるはずだと、ヴィーに似合うものを探し出し手渡すJ。自分も贈り物をすると言い残し、ヴィーの舟は運河の闇に溶けた。夢のような五日間はJに勇気をもたらす。夏の終わり、父の仕事に同行したJはヴィーの真実にたどり着き、それは彼の未来への大きな一歩となった。


第1話 始まりの青


「J、きみの生まれ故郷って本当、聞けば聞くほどおとぎ話の世界みたいだよね」
「あぁ……すごすぎてため息しか出ないな。そんな場所がこの世界にあるなんてな……」
「ありがとう、みんな。気に入ってもらえて嬉しいよ。だけど、まだまだなんだよな……もどかしいよ……。あの風景はね……そうだな、やっぱり自分の目で見て感じてもらわないとダメなのかもしれない」

 俺の言葉に、集まっていた研究室の仲間たちが一様に頷いた。

「わかるよ。もちろん、Jの言葉だって十分だよ。でも、言葉を超えたものってあるからね。それだけの美しさかあ……そうだね、行くしかないね!」
「うん、行くべきだ! 北の湖の青はきっと……僕たちにとっても、かけがえのない第二のふるさとになるはずだよ。そのためにも気合い入れて頑張らないと!」
「世界を揺るがす大発見のご褒美は『Jの島への旅』に決定だな! 教授も喜ぶぞ」

 俺は楽しげに声を上げるみんなを見渡した。
 
(ああ、いつかきっと……!)

 ずっと抱えてきた夢。遠い遠い幻なのかもしれないと、諦めかけた時もあった。だけど仲間たちの情熱に触れ、その日は必ず来ると思えた。俺と彼が見たあの景色を、みんなで分かち合える日が。
 
 明るい光が降り注ぐサンルームの向こうには今日も青い海が広がる。テラスに向かって開け放たれたドアから滑り込んでくる潮騒。すっかり馴染んだその風景と音の中に、けれど俺は大切な場所を思い出さずにはいられなかった。
 
 深い霧立ち込める北の湖に浮かぶ島。その周りは水生植物ロトの大湿原地帯だ。夏の夜、墨色の湖面から立ち上がる、月光にも似たゆらぎの上を、無数の青が飛び交う。
 それは発光する蝶たち。軌跡は闇に溶け出す風景の中に燦然と輝き、余韻は陽炎のようにたゆたって、忘れられない色に形になっていく。それは見た者の心の奥に深く刻まれ、二度と離れることはないだろう。
 
 けれど、何人もそこに生身で近寄ることはできない。なぜならその色は人を蝕むからだ。青は毒。人を拒絶する力。そしてその毒こそが、俺たちの町を外界から守ってきた。
 島民でさえ、限られた季節の中、隔たれたガラス越しに一時の美しさを知るだけだ。妖艶で、残酷で、無慈悲な青。その禍々しくも美しい光景を人は夢のようだと言う。そうかもしれない。手の届かないもの、隔絶された世界、それは幻のようにも思えるだろう。
 
 だけどすべて真実だ。霧に閉ざされた湖面も、ロトたちが風にそよぐ様子も、毒の鱗粉が舞い踊る瞬間も、すべて実在するもの。とんでもなく幻想的で、目の前にすれば、陳腐な言葉しか並べられないような衝撃に満たされるとしても、でもそれは……俺たちと同じように息をしてこの世界にあるものだ。
 
 そんな光景の中で、俺はかつて約束をした。自分らしい道を見つけたいのだと。それが何なのか、漠然としすぎてあの時の俺にはわからなかった。それでも必ずこの手に掴みたいと、俺は彼に約束したのだ。
 あの夜まではそんなこと、考えたことがなかった、考えたくもなかった。だけど気がつけば俺は……。彼だったから、そう彼だったからだ。青がざわめいていた。それはそれはたまらなく綺麗な光景だった。
 
 今、それが何なのか、俺はようやく求めるものにたどり着いたと思っている。人を拒絶する厳しさの中に隠されていた奇跡を出発点に、その毒をすべての人と分かち合うための道を見つける。俺と彼だけが知っている秘密を、その美しさを、いつか誰もに肌で感じてもらうために。

『ずいぶん太っ腹だね。独り占めしたっていいのに。毒に助けられ、毒に苦しみ……だけどやっぱり、とことん毒が好きなんだよね、僕もきみも。まあ、それでこそ僕のJだよ』

 懐かしい声が鼓膜を震わせたような気がした。

(そうだな、きみならきっと、そう言って笑ってくれるよな。あの日きみが俺を救ってくれたように、俺もいつか誰かに何かを手渡したいんだ、ヴィー。でも俺は俺のままで精一杯だから、太っ腹かどうかなんて……まずは成功してからだ。思うことをがむしゃらにやって、それが形になってくれることを願うばかりだよ……)

『ロマンチストなのに、そういうところ妙に現実的なんだよね。相変わらず、消極的というか自己評価が低いというか……それでもみんなを霧の浮島へ招待したいって、きみにすれば上出来な提案じゃないか』

 俺は知らず笑みを浮かべていた。俺を自分の特別だと言ってくれたヴィー。彼の言う「ロマンチスト」が、世界で一番美しいと思ったもの、それが俺たちのあの夏の夜だ。
 二人で過ごした五日間。そこには有限なんていうちっぽけな囲いはなかった。時というものがどこに存在し、何に結びつくのか、俺にはそれを人に説明できるような才能はないけれど、それでも一つだけわかることがある。この世界には……強い想いがつながる奇跡の瞬間があるということだ。

 月の輝きが冴え渡る頃、湖の霧が消えてロトたちは風に歌う。煙るような光に満たされた世界の中で、青を引き連れて何よりも美しかったヴィー。
 その月色の瞳に南の海の夢の色を重ねて、それはそれは嬉しそうに彼は微笑んだ。湖の美しさをみんなが知る日が来ても、俺が見たその微笑みだけは……ヴィーが俺に与えてくれたこの世ならぬ美しさは、永遠に俺だけの秘密だ。

「やっぱり太っ腹は無理。あの時間だけは、誰にも渡せないから」

 デスクに向き直り、広げた資料に目を通しながらこっそり苦笑する。
 いつの頃からか潮騒は、生まれ故郷の運河を満たす波音のように、俺を安心させるものとなった。町を出てからそれだけ長い時間が経ったということ。けれど焦りはない。夢へ、俺たちは着実に近づきつつある。

 夏に向かう今がロトの花開く時。青たちが生まれる季節。銀のうねりの中ではねの輝きはより一層狂おしく、あの満月の夜のように、幾千幾万の蝶たちが世界を彩っているだろう。
 最果ての島、セオドゥージ・フィンドゥランシア。その上にかかる金色の月は、大切な人の優しい微笑みを思い出させる。夜があんなに優しいなんて、あの時まで知らなかった。

「ヴィー……」

 青に包まれた霧の浮島は、俺たちの帰る場所。この呼吸を、情熱を、永遠を刻んでいく場所。
 ヴィーとの約束を胸に、また霧深い湖へとこぎ出そう。その舟に、今度は誰が一緒に乗っているのか、今から楽しみで仕方がない。そしてその日が来たら、ルシーダをつまびきながら、喜びを込めてこう伝えよう。

「青き毒の蝶たちの、世にも麗しい世界へようこそ。時を結び、大切な人に出会える夜になりますように」



第2話に続く https://note.com/ccielblue18/n/nb4a98086eedc         



全36話を予定しています。
お付き合いいただければ幸いです。


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