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【アルギュストスの青い翅】第4話 深夜の小舟

 ヴィーは俺の言葉に目を丸くしたあと弾けるように笑った。

「神秘的なって。いつから気味が悪いことが神秘的になったの?」
「大きく括ればさ、想像を超えた異次元的な? 俺はさ、綺麗なものが好きなんだよね。言葉だって同じさ、やっぱり綺麗な方がいい。気味が悪い、じゃないよ。神秘的な、だ。だからヴィー、今夜はきみの神秘的な話を頼むよ」
「……ありがとう。じゃあ……」

 そっと舟を寄せ、ヴィーは濡れている足に戸惑う俺に「なんの問題もないよ」と微笑んだ。その言葉に甘え、靴とガラス瓶を波止場に置いて舟に乗り込む。すらりとしたしなやかで品のいい舟。とてもヴィーらしいと思った。

 湖に囲まれた浮き島、町中に張り巡らされた大小の運河に水路。この町ではほとんどの住民が自分の舟を持っている。舟は自分自身だといってもいいだろう。古くからの言い伝えだってある。

『舟は必要な時に自らの意志でやってくる』

 いつかぴったりな舟に必ず巡り合うということ。運命とも言えるような逸話を、幼い頃からあれこれ聞かされて育った。迷信だと笑う人もいるが、実は誰もが心の奥底では、その日を待ちわびているんじゃないだろうか。
 だけど、俺はまだ舟を持っていない。そのこともまた、この町の住人らしさが薄いんだと言われているような気がして、時々肩身が狭まい。でもないものはない、仕方がない。まあ今のところ特に問題はないし、急ぐ必要も感じていないから、じっくり待てばいいと考えている。俺の運命とやらを信じて待つのもきっと悪くない。

 向き合って腰を下せば、舟はゆっくりと動き始めた。俺は心の中で舌を巻く。細い体に似合わずヴィーのオールさばきは安定していてなめらかだ。ずいぶん乗り慣れているように感じられる。俺たちはすぐに運河の中ほどに出て、煌々と輝く巨大な月を見上げることとなった。
 
 穏やかな水面は、月光を反射して金色の帯のように揺らめいている。不思議なことに、さっき放したアルギュストスたちが戻ってきて、船縁に飾られた輝きの上に並んで止まった。あぁ、こいつらもヴィーの話が聞きたいんだな。なんだかそんな風に思えた。
 集まったアルギュストスの光もあって、船縁の輝きはいっそう大きくなる。近くで見れば、それは光る青い石を張り合わせたアルギュストスの飾りだった。そこに生きたアルギュストスが寄り添い、まるで灯火のように輝いているのだ。俺たちを包む青い揺らめき。そんな月夜の「神秘的な」光景の中、ヴィーが静かに口を開いた。

 ヴィーの家は一番大きな運河沿い。予想通り、うちと同じくらい古い家系だ。舟にも飾られているように紋章はアルギュストス。それは、人魚の子孫だという証だ。

 俺たちの島、セオドゥージ=フィンドゥランシアは最北の湖の浮島。遠い昔、人魚たちがアルギュストスの始祖をはるか遠い南の海から連れてきたことで、町の発展が始まったと言われている。
 人魚と輝く蝶だなんて、まるで神話かおとぎ話のようで、なんだか現実味がないけれど、ここでは多くの人がそれを信じている。
 小さな島にある、とんでもなく長い歴史。現存する特別な蝶の存在も相まって、住まう人たちはみな、この土地に自分が関わっていることに不思議な縁を感じずにはいられないからだ。
 新しく移り住んできた人たちでさえ、そんな気持ちを強く抱いてしまう。子孫だと言われている人たちが、自分たちの血に誇りを持つのは当然だ。

 さらに、目の前のヴィーはとてつもなく端正な顔つきをしている。祖先は人魚だと言っても誰もが納得するだろう。俺の第一印象だって「月の精」だった。そんな言葉がためらいもなく口をついて出る程、美しい。
 幻想的な世界や常識を超越した創造物。俺はそんな類の物語を貪るように読んでいる。好きで好きでたまらない。俺が、出会ってすぐのヴィーに瞬く間にのめり込んでしまった理由の一つは、間違いなくそこにあるだろう。

 それはさておきヴィーの話だ。ヴィーは生まれつき体が弱くて歩くことがままならないのだと知った。舟の中、膝下に黒い布がかけられていたのはそういうわけだったのだ。
 でも家族は誰も落胆していない。なぜならヴィーの一族は祖先である人魚のことをとても誇りに思っていて、人魚の尾びれは地上には向かない、それはすなわち歩くことが難しくて当たり前、だからこんな足を持つヴィーはまさに先祖返り、と解釈したからだ。ヴィーの月光のような色をした髪が、伝説の人魚の王子と同じであることも、彼らの気持ちを後押しした。

 人魚。そう、人魚。ヴィーもまた、水の中では本当に自由だった。
 それがわかったのは、少し大きくなってからで、それもたまたまだった。家族が運河で水遊びに興じていた時、ヴィーも何気なく水に足を浸した。すると足は、今まで知らなかった軽やかさで弧を描いた。浮力に助けられ、痛むことも動きが妨げられることもなかったのだ。
 それに、清らかな流れは、いつの間にか心の中に溜まっていた澱までも流してくれるかのようで、ヴィーはその日から水に入ると笑顔になった。長らく見なかったその笑顔に、みんなが涙を流して喜んだ。水とヴィーの出合いは、一家に幸せな時間をもたらしたのだ。


第5話に続く https://note.com/ccielblue18/n/nde9086b82a44
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第1話はこちら https://note.com/ccielblue18/n/nee437621f2a7


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