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エッセイ|第24話 情熱の舞、私のフラメンコ

中学生の時、母の友人に誘われてフラメンコを見に行った。友人の友人が切り盛りする小さなバーで、その友人の友人が踊るのだ。
テーブルを脇にどかしてできた空間。目と鼻の先のフラメンコはなんとも本場感溢れるもの。もちろん当時はそんな知識などあるわけもなく、ただただ迫力に圧倒された。

数ヶ月間、毎週末。夜九時前後の期間限定リサイタルにせっせと通った。時間といい場所といい、十代前半の少女が行くにはふさわしいものではなかったと思う。けれど両親は咎めなかった。よっぽど信頼のある方だったのだろうと、今はおぼろげになったその方を思う。

最後の日、一緒にスペインに行かないかと誘われた。ただ見ていただけだ、踊れるかどうかなんてわからない。だけど好きが始まりで情熱がそれを後押しするという彼女の言い分はよくわかった。だから私は選択した。高校生になってみたいと、普通の高校生をやりたいと。彼女は笑って頷いてくれた。

そんな私は高校で新体操に明け暮れ、大学生になってようやくいい先生に巡り合う。歳が近く、大学でフラメンコを専攻した人。母親がバレリーナの彼女はまさに踊るために生まれてきたような人だった。だからその情熱も半端なく、私は始めて一年もたたないうちにクラス終了を切り出されてしまう。スペインに行きたいと彼女は言った。そして私はそれを快諾した。

残念ながらそのあとはない。あまりに素敵な人たちに接し、それ以上の人に出会わなかったからだ。仕事も忙しく時間もなかった。それでもやはり音に動きに深く魅せられていて、クリスティーナ・オヨスの公演に何度か足を運んだ。

その手首が緩やかに一回転しただけで、世界が変わるかのような衝撃を覚えた。行かなくて正解だったと苦笑が漏れた。あんな何者かには絶対なれない。フラメンコが好きなまま、高校生に大学生になってよかった。それでもそんなフラメンコに触れることができた喜びには感謝しかない。

最後に踊ったファンダンゴのステップをもう思い出すことはできないけれど、手元の靴とカスタネットがあの日々は夢じゃなかったと教えてくれる。いつかまた、胸を焦がすようなダンサーに出会えるだろうか。

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