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同意とか、合意とか、以心伝心なきわたし達。

ずっと前から滋賀県大津の暮らしのファンで、愛犬やご家族にまつわるエッセイを拝読している、村井理子さんは翻訳者でもある。
訳書新刊のタイトルが「射精責任」と聞いて、アツくならざるを得ない。
おれたちの村井理子ォォォ!(敬称略)





あるとき地続きの話なのだと知る

プロ野球選手の性的暴行への市井の反応と、わたしは昔から何で「デートや婚活で割り勘派」なのか、関連性を感じられなかったトピック同士が、急に線となって見えた、ということが最近あった。
性的暴行の舞台とされたホテルは、宿泊したこともあるお気に入りの施設だったのもあり、「こういう構造だから最悪!」と言われたことを悲しく思っている。最悪なのは、悪用をしたそのひとである。

割り勘派、というか奢られることに対して、抵抗がものすごくある方なので、今まで出会ってきた婚活やマッチングアプリでの様々に、困ってきたという前段があって。
それはデート目的でなく、友人同士のやり取りであっても、なのだ。
(最近は友人からの厚意は、ありがたく受け取るよう、心苦しさから自分を解放する訓練をしています)

婚活やマッチングアプリでのデートでの支払いで、当たり前のように奢られることにやんわりと忌避感があるのは、「自分で納得して選びたい」ということと繋がりがあるのかもしれない、と俯瞰で見つめて考えた。
そして、たくさんの市井の出会いに起きた齟齬を分析すると、多くは「出会いの約束を取り付けた」ことであったり、「奢る」という行為によって、セックスがバリューセットのようにお得についているような、同意の誤認に見舞われるのだと思う。



デートのふりがなは、セックスではないんだけどな。

なぜ会う約束とセックスをすることは、イコールになってしまっているのだろうか。
デートの約束は、デートを楽しもうね、お店や行程を共にする、という合意であり、セックスを確約するものではない。
デートにはデートの、セックスにはセックスの、約束の取り付けが必要になってくるのではなかろうか。と、いうのも生理現象(月経をはじめ、体調の良し悪し、デート当日の天候や運動量によっての残HPも含めて)と尊重を差し置いてのセックスは、端的に言えばしんどいからだ。

また、セックスに応じたとしても、どちらかがダメ・むりと言えば成立しないことを、大人こそ認識し直したい。
これを性的同意と呼ぶ。
性的同意については紅茶の動画や、タレントで性教育YouTuberのSHELLYさんが性的同意年齢について多くへ呼びかけた動画が明るい。


会う約束をしたから、デート代を負担したから、当然セックスはできる、と考えているひとは本当に多い。
そして、致せないとわかると暴言・暴力に発展する。暴言・暴力よりもありふれているのは、あからさまに不機嫌になることだろう。



テンプレート通りではないから、わたし達は話したい

言語化をサボる側のご機嫌取りまでしなければならないのだから、デート代を自分の分は自分で払った方が、納得いくんだろうな〜。
それが、あなたの不当なやり方に同意しません、という線引きを示すことになるのだと思う。
多くの支払いを負担することは、セックスを確かに行えることとイコールではないことは、何度も強く言っておきたいし、そんなテンプレートはないのだと言いたい。
そのときそのときの正答は、相手のなかにしかない。個人単位でも、パートナー同士でも、価値観はまるで異なっているのだから。

思い返せば、婚活でモヤついた歴代の人々は、お金の支払いの段取りにおいて「こちら(=私)の意思を聞こうともしない」「聞いても譲らない」ことばかりだった。
いつもこの頑なな態度で、先々を想像できない相手だと、わたしは喫茶店やホテルラウンジの扉の先で残念に思っていた。

関係性を構築できる相手かどうかの見極めの場なのに「話し合いに応じない」「でも自分のことだけ押し通す」っていうのは、相当な油断だよね。
安心できる要素が、まるでないのだ。
だから、あなたのプライドを担保したくないです、って意思表示として、割り勘(というか自分の分は自分で払うということ)をしていたのだなと振り返っている。
負える責任だけ取りたい。
わたしに、他人の操縦桿を握る趣味はない。また、握らせることもない。



数多あまたのなかの一部の世界、とわかっていても

婚活もマッチングアプリも辞めて久しく、その後は多様な価値観に触れるコミュニティとの縁があった。まともな価値観の、「こういうひとと恋愛できたらパートナーは幸せだろうな」って人に、恋慕を持たなくとも出会えたから、世の中に希望を持てるようにはなったものの。
星の数ほど恋愛対象となる属性のひとがたくさんいても、その中で良識ある人には出会いにくい、とゆーのが、わたしの感想である。

わたしは、わたし達は、安心できるひとに身体を開きたい。
ともに快感を探りたいからこそ、性的同意は重要で、たとえそれが紙面上にたしかに約束を交わす必要があっても、致したければしっかり署名してでもムードは壊れないのだ。
安心なくして性的興奮がありえないのは、わたしがデミセクシャル / デミロマンティックの傾向があることも関係している。

デミセクシャル
精神的なつながりを感じる相手に対してだけ、性的な欲求を抱くセクシャリティ(性的指向)のこと。
基本的には、デミセクシャルの人は性的欲求や性的興味を持たず、強い愛情や深い友情など精神的なつながりがある相手にだけ、性的な欲求を抱く。

デミロマンティック
感情的な絆や信頼関係が築かれている関係の人に対してのみ、まれに恋愛感情を抱くセクシュアリティのことである。
このように説明すると、「全員がそうではないのか」と思う人もいるのではないだろうか。しかし、デミロマンティックの人は、深く誰かと精神的に繋がるまでは恋愛感情を抱かないとされている。

IDEAS for GOODより引用

わたし自身は異性愛者(今のところ)のため、男と女のセックスは平等ではないとゆーことを日々、感じている。
生殖の機能の違いが、平等にさせてはくれないってことを明快にしたのが、瀧波ユカリさんの「わたしたちは無痛恋愛がしたい」で、これをど真ん中で描いたエピソードがある!第11話!


同性間の恋愛の場合でも、自らの属性によって出会いの少なさとか、金銭のこととか、生活の主導のこととかで、勾配が発生しやすいように思う。
愛し方も自信のつけ方も、性行為に依らないひとは、より多くの楽しみ方、満足する方法を知っていると思うんだよね。



人格の見えない話、サイゼリヤ論争

承前の割り勘と性的同意の話は、SNSで定期的に上がってくる「サイゼリヤ論争」や「結婚指輪を安く見積りたい」などの、相互のやりとりが破綻した問題にも通じる。
「サイゼリヤ論争」とは、初デートでサイゼリヤに行くことで、デート相手の金銭感覚を試す目的の行いのことを指している。
ここでは、女性=むしりとるもの、という見解が一定数、賞賛されていることがなかなか怖いと思う話題だ。むしりとられては敵わないから、防御として「わからせる」必要がある、と信じてやまない人々がいる。

欲求をたしかな言葉にせず、しかし目の前の相手の希望を汲むこともせず、といった「拒否、突き放しの不安」が引き起こす、人格不在のやり取りから分かるように、その場に不足しているのは調べる労力と適宜、聞き取る質問の能力。
質問が下手なひと、ってのは居る。
バウンダリーがめちゃくちゃだった頃の、かつての自分がそうだったし。
だからこそ、質問がうまい、とは、どういう状態なのかが見て分かるようになったのだ。



自分の状態を言葉にしたら、解像度があがる「質問の効能」

質問がうまい、とは自分からある程度は調べて、その上でうまくいかなかった点などを粒立てて説明できること。
そうすると、「わからないところだけ」にスポットがあたり、周りもつまずいた箇所や何が起きて事象が発生したのかを飲み込みやすく、結果として解決が早まる。
質問がうまいひとは、答えることもうまい。その体験を見せることで、同じ疑問を持った人々への答えとしてインフルエンスされる。
言葉を知り、知識を有し、咀嚼できるひとであるとも言える。

また、解決が目標ではなく、進展があることを大事にしている。
これは対話によって得られる「お互いに一緒の問題について取り組んでみた」という納得感のあるポイントだと思う。

漠然と「わかりません」と言っても、主語がなければ自分以外のひとには「何が」わからないのかが、わからない。
言っていないことは伝わらない、以心伝心はまじでないわけ。
わたしが見てきたパートナーシップの在りかたで、見習いたい!と思った人々が対話をないがしろにしている場面は、ほぼないと言える。
人間としての良し悪しを共有した上で、自分たちはどうしようかを必ず話し合っていた。



自分の取り扱い説明書をつくろう、そのために自分に質問をする

言語を有している存在だからこそ、わたしたちは愚かにも「無視」という最も効果的な拒絶ができてしまう。
そして、言葉を尽くしても、それが同じ言語だったとしても、尊重が欠ければこれもまた拒絶に繋がってしまう。
自分の気持ちをたしかに表明すること、耳を傾けること、理解をあきらめないこと、いずれもパートナーシップと密接だ。
その対象が恋人や婚姻関係を結ぶ相手でなくとも、友人との仲だって、どちらかがサボれば遅かれ早かれ、リストから削除されることだろう。

わからないこと自体は、仕方のないこと。無知はスタートでもある。
ただ、調べず探さず知ろうとせずにいることに、腰を落ち着けてしまっているのは、他者に対して横柄な態度に繋がるため、恥ずかしいことだと思う。
サービス業の面前で怒鳴るひとに、わたし達は憧れるだろうか。

自分にとっての納得や解決って、待っていても訪れないから来歴や文脈をセルフサービスで取りに行き、そこから汲み取ることが学びに幾度も繋がっていくから、「まず知っていく」「そして問う」ことは現代のデフォルトなんだなって思う。
(上げ膳据え膳で自分を変えてもらえると思ってるひとは、関係性からの離脱も早かろう)
セルフケアやセルフラブは、自分の取り扱い説明書を自分でつくるために役に立つ。自分の要望を誰かに伝えたいと思ったら、やはり自分の言葉で話せるように少しずつ整理しなくてはね。

じぶんZINE「pooks プークス」では、わたしにまつわるボディポジティブとフェミニズム、そしてホテルステイの記録を書いています。

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