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週報プークス5月 鼻づまりで深呼吸

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4月29日(月) 仮称きつねさん


先週木曜のTBSラジオ「こねくと」で、土屋家に蓮華さんときつねさんが遊びに行ったとのことで、2週前を振り返るふたりが居た。きつねさん、とは蓮華さんのパートナー。チベットスナギツネ似であるらしい。
おもてなしの小さい反省の話などで、他人に丁寧に接してるんだなと感じられるオープニングトークでした。



4月30日(火) デバイスから離れる

通信オフで過ごす日を少しずつ増やしている。
思考のデブリは脳内に溜まりやすく、総量を減らすイメージでいる。
実際どうなってるかはわからないし、どうなってるかを研究した結果とかはもう出ているかもしれない。
ただ、生理期間中の、体温とは異なるからだの温かさで、夜は目が冴えて眠れないときを除けば、おおむね寝付きが良く、ぐっすり眠れて、目覚めの気持ち悪さや起床に時間がかかる(脳と身体のプラグが一致しない時間が長い、ってことがあったんです)といったストレスが、ほとんど無くなったので、自分の実力のメモリを知り、過ぎることには「無理っす」と言っていくことが、今のところは良いみたい。
社会に参画するには働くことが成人には必須、という条件のもとでは、わたしはあまりにも「生きる」においてセンスがない。



5月1日(水) 風呂はなんかいやで、銭湯は大喜びの理由

銭湯に行ってきた。
雨が降っていたので、帰りはほどよく冷えた空気が気持ちいー。とはいえ、風の温度は確実に高まっていて、すこしぬるく感じる。
電灯の少ない農道で水たまりを踏まないよう、慎重に道のまんなかを歩く。
以前、旅館で住み込みで働いているというひとがTwitter(X)で、浴場にいる女性たちの各々が自分らしい姿をしている、という主旨のツイートに、わたしもそれを同じく感じているなと思う。
老若さまざまな体型。タトゥーをしているひともよく見る。
この光景を知っているからこそ、一義的な女性のスタイル(を表象だと思って描いたり撮ったり作ったりしている人々)には違和感しかない。
競争、なんてないからね。しても意味のないことだし。
そういうなかで、低めの温度設定がされたタイル貼りの浴槽に寝っ転がって、水に溶けるようぼやーっとしている時間が、たまらなく好きだ。
ほかのひともそうだったらいいな。

思うに、自宅で風呂に入るのは苦行レベルの重いタスクなんだけど、銭湯はもう風呂に入るのが主目的なので、喜んで入れる。よほど体調悪いとかでない限りは、来ておいて入らないほうがヘンだしな。
自宅だとほかにずるずる後回しにしたくなる理由(主にSNS徘徊)が山積してるのと、わたしは生活のなかに様々な「めんどうくさい」を見ているから、ずるずるとしてるんだろうなあと思った。



5月2日(木) それが役立つ仕事ってないですか?

あれってなんなのか? ヨシ、調べよう。
っていう辞書引きや検索は、わたしが意識をしないレベルでやれることである。毎日、何かしら検索して、たいてい語句の意味がわかれば満足する。
今、気になっているのはPC用のアダプタって、なんで大きいの〜?



5月3日(金) 日記のこと

あっ、という間に過ぎていく日常を書き留めることで、忘れたり気にもかけてなかったことの存在をちゃんと見て、記憶に残すよう働くのだと思う。
これって、夢に対して「覚えておきたい」とつづりたくなる感情に似ていて、そしたら日常ってかなり夢なのだなあ。
ディティールが曖昧で、だからこそ突飛に物事を捉えたりする。

わたしが日記を始めたのは、フォローしてるアクティビストやライターがメルマガで日記配信をしていて、それをまねて習慣化しているのだけど、日記が一ジャンルとしてこれほどまでに大きく、そして細かく、意識の集合体として存在しているとは、自分で書きはじめてから知りました。
その際たるひとと言えば、古賀こが及子ちかこさんなわけだけど。
古賀さんはwebメディア・デイリーポータルZで長く編集に携わり、編集長の林さんが独立し、編成縮小に伴い退社。現在もデイリーポータルZへ寄稿している。ご自身のnoteで日記を書き、書籍化されて、今は他メディアでも日記を書いている。
一個人に複数の日記帳があるのが、まずすごい。やっていいんだ! という発見がある。同じ日のことを書くにでも、変わらず古賀さんの目があって、けど違う質感で書き出すための更なる目がある、それってどういうものなのかを見比べることもできちゃうわけだ。家の一室でのことから、自分が、お子さんが、生活が、と削って表れる彫刻のように思う。
装丁家の名久井 直子さんや、作家・歌人のくどう れいんさんの日記は、潔く簡素な日もある。
それもまた自然である。



5月4日(土) でも許しは請えないので立ち向かうしかない。

ほうぼうから朗らかなお子たちの声や、異国の方の香りを感じている。
この賑々しさと競馬のワードからでしか土曜日は味わえない。

書き物が進んだ昨日、イートインのうしろに座っていた制服の少女たちが、今日って憲法記念日だよね、と雑談のなかで選挙の話をしていて「いいぞいいぞ」と頼もしく思う一方で、彼女たちもヤバいと感じる情けない現状を用意して先達の者として申し訳ない気持ちになるなど。
最後にお互いに「おつかれさまです」と言い合っていて、なんだか心が洗われた。競技者の一礼のようだった。



5月5日(日) 今夜はよく眠れると思う

海へ行ってきました。
また改めてこのことは書くと思います。
(そういって出してないものがいろいろありますが、この記憶はできるだけ残しておきたい)

午前中ですでに暑く、この日は出かける直前に町の放送(防災無線とか市のお知らせとかのやつ)で広く「蜃気楼が出たぞー」と、言っていた。
そういう土地柄。
30年ほど前などは、この放送に対する市民のリアクションには凄まじいものがあって、学校も会社もとにかくいったん手を止めて、海の向こうを見に行けと迫るものがあった。あの熱狂とは一体なんだったのか。
今も観光資源として駅前などでしっかりとフラッグを立てたりしている。なにぶん気象現象なので、そういつでも見られるものではないのに、フラッグは「見れたか?」と迫ってくる姿勢がなんだかおかしい。
(出てても、カメラや望遠の機材がないとわかんないもんです)

それはそれとして、海でのことは、自分にとって素晴らしいことのように思えた。半生のほとんどを田舎で過ごしているので、自然を求める人々に今ひとつピンとこなかったけど、自分を押し倒さないやわらかな刺激を得る、って心地よいのかもしれない。
そして今日1日、上機嫌でやたらとテンション高く過ごしていて、なんだか恵みとか天啓とかひらめきとかとかを信じるまであるが、単に寝てないだけとわかって自分のポンコツ具合に笑いました。
でも、いい日だったんだよ。





今週も読んでくださり、ありがとうございました!
過去の週報はマガジンにまとまっています。そちらもどうぞ。

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