見出し画像

#私の旅行記 エルパソで国境パトロールに捕まった(7)

私の事聞いてくださいシリーズ

出発:1980年6月30日大韓航空 
成田発ハワイ経由ロスアンジェルス行き
23歳女性。一人旅。初の海外旅行。
目的:振られた男を忘れる。
願わくば当地で職を得る。
総額費用:50万円。
定時制高校当時から貯めていた預金全額。
費用詳細:航空券往復18万円 
日航やアメリカの航空会社はこの2倍はした。
グレイハウンドバス
1ヶ月乗り放題周遊券7万5千円(342ドル)
為替レート:1980年6月1ドル226円
トラベラーズチェック1000ドル 約23万円
残金:小さな手土産代

(前noteからのつづき)

今になって気づく。
記憶は私の宝のはず。
私はそれを失ってしまった。

実は、当旅行中何をしたか
書き留めておいたメモ帳が
記憶とともになくなってしまった。
カメラも携帯していなかった。

L君と出会ったのが、7月の2週目。
前noteで前述したように、
彼とのデートが頻繁に続いた。

どこへ?
サンフランシスコの街を歩くだけ。
カフェに座ってお互いの身の上話。

時にはビッグイベントにも
私を連れて行ってくれた。

オークランドアスレッチクスのゲーム観戦。
前noteで前述したグリークホールでの、
ボズスキャッグスのコンサート。

そうそうL君は歌うことが好きで、
時々、私に歌を聴かせてくれた。
彼の高音は澄んでいた。

ある日のL君。社会保障年金事務所へ
私を連れて行った。
そこで私はアメリカ合州国の
社会保障年金カードの登録をした。
私が本当にこのままアメリカに在住
すると考えてのことだったのか?
そうしたいけど、その時は、
そんなチャンスは期待できなかった。

毎日私は、サンフランシスコの街で
何をしていたのか?
メモ帳さえあれば...

はっきり思い出せるのは、
フェリーに乗り湾向かい側の
サウサリートへは行った。
ゴールデンゲイトパーク。
パーク内にあるデヤング美術館。
ジャパンタウン。
チャイナタウン。
街中心部を毎日歩いていたはず。
と想像する。

7月下旬、9月L君が転入する
大学のキャンパスへ行った。
学生会館のカフェテリア。
掲示板でルームシェア
募集広告を彼は見つけた。
翌日L君のその部屋の内見に
私は同行した。

サンフランシスコのダウンタウンから
バスで20分くらい。
Florida Ave. と20th St.が交差する角。
そのタウンハウスはあった。

階下の入り口
白いドアが開いた。
そこには、
眼鏡をかけた、
無精髭、
ぼさぼざの髪、
よれよれのTシャツを
着た痩身の男性が立っていた。
遅れてきたヒッピー?

彼はL君と握手した。
私とも握手したかな・・・
この男性が代表してこの物件の
2階部分を賃貸していた。

挨拶後、
彼に続いて、L君と私は、
階段を登り、2階へ。

そのタウンハウスの2階部分。
3ベッドルーム。ダイニング兼キッチン。
巨大なスピーカーと超古いスタンドピアノ
が占拠しているリビング。
トイレ付きのバスルーム。
他にトイレ。

L君が入居するかもしれない部屋。
他、全ての部屋を見た直後、
L君はその場で、即決した。

ホームレスのL君に新居が決まった。
このタウンハウスの2階にだ。

私の旅の新しいチャプターが始まる。
とは、その時は考えもしなかった。

(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?