他人軸から、自分軸にシフトしてみる
自信がない。「これ」というものがない。長い時間を生きてきたのに、心のなかを覗き込んでも、特筆すべきものは、なにも育っていない。
「まるでわたしは、空っぽのかびんだ」
という気持ちがぷーっと膨らんで、はち切れそうになることがあります。
誰と会っていても、なにをしていても、むなしくて、さみしい。
そんな状況を変えたいときは、「自分軸」が糸口になるかもしれません。
参っているときは、極端な答えしか出てこない
虚しさを裏返すと、それだけ、何かを欲する自分がいるはずです。
その “何か” を知るために、「あなたは一体、どうなりたいの?」と自問してみるのはどうでしょう。
わたしの最初の答えは、こうでした。
「いい人に、なりたい」
極端すぎる答えは、一歩踏み出すための手がかりになりにくい。
わかっていても、自分を嫌いになり過ぎて、誰かに嫌われるのも誰かを傷つけるのも怖いっていう心境に達すると、えらく極端な答えしか出てこないものです。
いい人になろうとして、つまらない人になる
わたしがなりたかった “いい人” とは、誰も傷つけないし、正しくて、世の中から必要とされるような人物です。
よくよく考えると、そんな人、ドラゴンボールの孫悟空くらい? ですよね。そういう想像力も全然なくて、「いい人になりたいから、欠点を一つひとつ洗い出して、全部つぶして(直して)いこう」 と考えていました。
でもその頃、大げんかをした同居人に、こう言われたのです。
「ホンッとに、つまらねぇ人間だな!」
これはキツかった。
誰も傷つけたくない、正しくありたい、そしていい人になりたい、と願っていたわたしは結構がんばってました。なのに一番近くにいる人が傷ついて、嫌悪をむきだしにして、私の正義をちっぽけでクソつまらないもの、と言ったのですから。
おかしいな? いい人になろうとして、つまらない人になっちゃったよ。
「いい人でもないし、つまらない人」これがわたしの限界……?
ショックすぎてボーッとしましたが、おかげで、気づいたことがあります。
きっと「誰も傷つけたくない」「正しくありたい」「いい人になりたい」と思うだけでは、自分も含めて誰一人幸せにできない。あげくの果てには「つまらない人」って言われちゃうんだなぁと。
ん? まてよ。「つまらない人=詰まってない人」って、やっぱり、空っぽのかびんじゃん……。
からっぽ、
からっぽ、
からっぽ。
どうやってここから、抜け出せばいいのかな?
これ以上「つまらない人」にはなりたくない
この話に耳を傾けていたある人が、手の中のダイスを振りながらこう言ってくれたのを思い出します。「誰がどう思うとか、どうでもいいじゃない。自分が好きなことをすれば、周りはあとからついてくる」
周りから見て “いい人” かどうかなんて、あとまわしにすればいい。いわんとすることは理解できたけど、すぐには呑み込めませんでした。
けれど、自分でもうわけがわからないときは、こういう通りすがりの助言がいいきっかけになることがあります。
私はもう一度、「どうなりたいの?」と自問してみました。
「とりあえずだけど、これ以上、つまらない人になりたくないよ。」
じゃあ「つまらなくない人」ってどんな人か、考えてみよう。
「つまらなくない人」
↓
「漫画家」
↓
「伝えたいことを持っている人 」
これは、当時ハマっていた『おおきく振りかぶって』という高校野球漫画の影響だと思います。
秋丸が “空っぽのかびんキャラ” を返上した瞬間
『おお振り』を読んでいると「たとえ時間がかかっても、伝えたいことがあるんだなぁ」とひしひしと感じます。
超遅い連載スピードにも親近感を覚えつつ、そのうちに現実世界の時計がどんどん進んでしまうのが心配、という意味でも目が離せません。
この漫画『おお振り』には、空っぽのかびんキャラっぽい、“秋丸”というキャッチャーが出てきます。
秋丸には、“榛名”という天才的ピッチャーの幼馴染がいて、その存在が大き過ぎたために秋丸は自分を忘れ去り、黒子に徹してきました。ほんとうはピッチャーになりたかったけれど、榛名と張り合えるわけがない。だからキャッチャーとなり彼を支えています。
しかしある試合中、“自分はどうしたいのか” と考え始めた秋丸に、みるみる変化がおきます。そのとき、幼馴染の榛名が、秋丸に向かって心のなかでつぶやいたセリフがこちら。
まさに秋丸が、空っぽのかびんキャラを返上した瞬間が描かれています。
この、「スルスル通過するだけだった時間が、お前ン中にたまってくぞ!」という感覚。
この感覚をつかめたなら、「誰と会っていても、なにをしていても、むなしくて、さみしい」という状況も変えられるのではないでしょうか?
自分軸で考えたほうが、誰かを幸せにできるのかも
問題は、この「スルスル通過するだけだったものが→どんどんたまっていく」という感覚を、どうやって手に入れるかです。
秋丸は、結局、「榛名のために黒子になろう」と思っていたときよりも、「自分がどうしたいか」考え始めてからのほうが、榛名を幸せにできました。
つまり、他人軸から、自分軸にシフトして考えることが、空っぽのかびんを満たしていくきっかけになる。それは、どこかの誰かを幸せにする近道でもあるのかもしれない、と思うのです。
自分のなかの、空っぽのかびんに、少しずつ、水のような触媒のようなものが満ちていく。
そうしたら、草木は育つし花も咲く。魚だって、気持ち良さそうに泳ぐ。それを見ている人も、きっと、心地よく感じるはず。
きっと、「つまらなくない人」にもなれるのではないか?
まず、他人軸から自分軸に戻る。
自分がどうなりたいのか、考える。
どうやったら自己満足できるのか、考える。
そうして自分の気持ちを取り戻してから、改めて、他人の気持ちや、世間のものさしについて考えてみても遅くはない。以前の私はこの順番が逆で、さまざまな世間のものさしや、誰かの価値観に見合う自分になりたかった。
それはもうやめたい、と思うのです。
余談:『おおきく振りかぶって』を見守っていく
『おおきく振りかぶって』は、2003年に月刊アフタヌーンで連載が始まり、2018年末時点で30巻 発売済みです。ただ、この15年間で、作品中の時間はたった8ヶ月しか進んでいません(高校の入学式から、1年生の冬の市内大会まで)。
その間に、私の住んでいるまちに3軒あった本屋はすべてつぶれました。
この作品が、世間に求められるスピードの枠外にはみ出しつつある感は否めません。それでも、ひぐちアサさんの描く物語がどう進展し、完結するのか、私はすごく興味があります。これからも気長に、見守っていきます。
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こちらのnoteでも、自分軸で考えるためのきっかけを紹介しています。
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