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Virgil Abloh(ヴァージル アブロー)の軌跡を振り返る。「OFF-WHITE」の成功の要因と、世のデザイナーが学ぶべき点とは?

ラグジュアリーストリートブランド「OFF-WHITE(オフホワイト)」の創設者であり、「LOUIS VUITTON(ルイ ヴィトン)」のアーティスティックディレクターにも抜擢されたVirgil Abloh(ヴァージル アブロー)氏。

ストリートのトレンドを牽引し、ファッションの領域で2010年代に最も輝いたクリエイターでありながら、2021年に惜しまれつつもこの世を去りました。

この記事では、Abloh氏がファッション界の頂点へと駆け上った軌跡とその凄さを改めて振り返り、さらに「OFF-WHITE」の成功の要因と世のデザイナーがAbloh氏から学ぶべき点などに迫りたいと思います。



ストリートファッションにラグジュアリーという概念を持ち込み、ファッションのメインストリームへと押し上げた革新者

様々なメディアで特集を組まれるほどの注目を集めたAbloh氏

まずはAbloh氏のどこが凄いのかという点について考察していきたいと思います。

ストリートファッションと聞くと、オーバーサイズのスウェットやTシャツ、パンツといった、スケーターのような格好が思い浮かぶと思います。

ブランドで言えば、「Supreme(シュプリーム)」や「A BATHING APE(ア ベイシング エイプ)」などの裏原ブランドが典型的なストリートブランドとして挙げられますね。

アラフォー以上であれば、こうしたブランドが90年代に一大ブームとなったのを覚えている方も多いのではないでしょうか。

ただ、ブームと言っても、従来の所謂ストリートブランドはファッションと言うよりサブカル的な要素が強く、当時は、パリコレを頂点とするファッションのメインストリーム(主流)とは別世界に存在しているような感じでした。

商品のデザインや質といった側面から見ても、素材、フォルム、ディテールに拘った一流ブランドやデザイナーズブランドのプロダクトとは明らかな違いがあり、デザインもグラフィック的な要素のみで、品質に関しても良質と言えるものは殆ど見当たらなかったと記憶しています。

そして、2000年代に入ると、徐々にストリートファッションは下火になり、クローズするブランドも出てくるようになりました。

ところが、2010年代に入り、再びストリートに脚光が当たります。そして、このストリート再興の主役とも言えるのがAbloh氏と言っても過言ではありません。

彼がデザインする「OFF-WHITE」のアイテムは、従来のストリートブランドに見られるようなグラフィック一辺倒のデザインではなく、上質な素材を用いたり、ディテールに拘った、ラグジュアリー感のあるストリートウェアと呼べるモノで、デビュー早々に注目を集めます。

そして、このラグジュアリーなストリートファッションは次第にパリやミラノコレクションのランウェイでも見られるようになり、ストリートがファッションのメインストリームとなっていったのです。

それまでは、ファッションジャンルのヒエラルキーなるものが存在したとすれば、ラグジュアリーは上層、ストリートは下層に位置付けられるような意識があったと思いますが、Abloh氏は、このヒエラルキーなるものを覆す革命的なファッションを打ち出したと言えるのです。

因みに2010年代前半は、リーマンショックにより地に落ちた世界経済が徐々に回復を見せる中、ラグジュアリーが勢いを増していた時期でした。

中でも、英国のラグジュアリーブランドである「Burberry(バーバリー)」は、オンラインにフォーカスした革新的なブランディング手法により大きな注目を集めます。

その戦略は、限られた人達のものであったラグジュアリーを大衆へと解放したという点から、「democratic luxury(ラグジュアリーの民主化)」などと語られる事もありましたが、Abloh氏は「大衆ファッションをラグジュアリー化」したと言えるでしょう。

つまり、「Burberry」はヒエラルキーの上層に位置するラグジュアリーを大衆(下層)へと拡げたのに対し、Abloh氏は下層に位置するストリートファッションをラグジュアリー(上層)へと昇華させたのです。

方向性は上下逆ですが、双方ともラグジュアリーに包括性を与えた(ラグジュアリーをより多くの人が享受できるものへと変えた)という点では共通していますね。


ファッションの教育は受けていない

さて、そんなAbloh氏ですが、ファッションの教育は受けていません。

所謂デザイナーズブランドを立ち上げる人の多くは、ファッションスクールや美大・芸大のファッション科等で学んだ経歴がありますが、Abloh氏は違います。

大学では建築を学び、卒業後、イタリアのラグジュアリーブランドである「FENDI(フェンディ)」でインターンを経験。その後、すぐに「OFF-WHITE」を立ち上げました。

因みに、2024年現在「CELINE(セリーヌ)」のディレクターを務めるHedi Sliman(エディ スリマン)氏や、過去に「Dior(ディオール)」のディレクターを務めた事もあるRaf Simons(ラフ シモンズ)氏、Comme des Garcons(コム デ ギャルソン)の創業者である川久保玲氏もファッションの教育は受けていません。

こうして見ると、「ファッションの教育を受けたかどうかは、デザイナーとして成功するのに重要な要素ではないのでは?」とさえ思えてきます。

それよりももっと「大きな絵(ビジョン)」を描けることの重要性が増しているような気がします。


圧倒的なスピードでファッション界を駆け上がる

2014年の春夏シーズンから「OFF-WHITE」をスタートし、2016年春夏シーズンにはレディース、秋冬にはメンズでパリコレ(ランウェイ)デビュー。

さらに、東京・南青山に旗艦店もオープンさせます。

OFF-WHITEが南青山に構える旗艦店

また、NIKEなど様々な有名ブランドとのコラボレーションも活発に行い、商品は即完売となるほどの人気ぶり。

一般的に言って、数年という期間では、大きな資本を持たないデザイナーズブランドにとって、ある程度認知されるようになるだけでも難しいのですが、「OFF-WHITE」は、世界でも最注目のブランドへと一気に躍り出ました。

個人的には、一気にブレイクし人気化したブランドは、その分沈むのも早いという印象がありますが、「OFF-WHITE」の人気は衰えを知りませんでした。

Instagramのフォロワーもファッション界でのプレゼンスも右肩上がりで伸びていきます。


黒人として初めて「LOUIS VUITTON (ルイ・ヴィトン)」のアーティスティック・ディレクターに就任するという半端ない快挙を成し遂げる

2019年に原宿に期間限定でオープンしたLouis Vuittonのポップアップストア

圧倒的な勢いでファッション業界を駆け上がるAbloh氏。そのサクセスストーリーのクライマックスとも言えるのが、誰もが知るラグジュアリーブランド「LOUIS VUITTON (ルイ・ヴィトン)」のメンズ 部門のアーティスティック・ディレクター(デザイン部門のトップ)への就任です。

これは非常に大きなニュースとなりました。その理由は、Abloh氏が黒人として初めて同ブランドのアーティスティック・ディレクターとなったからです。

我々日本人にはピンと来ないかもしれませんが、2019年の米国アカデミー賞で作品賞を受賞した映画「グリーンブック」でも描かれたように、欧米では昔から人種差別の意識が蔓延っていました。

特に、欧米のラグジュアリーブランドを中心とするファッション業界では、白人主義的な傾向が無意識に形成されてきたように感じます。

そういった背景を考慮すると、Abloh氏がファッション界の頂点に君臨するようなブランドである「LOUIS VUITTON」のディレクターに就任した事は、ファッション史に残る出来事と言ってもいいくらいの快挙なのです。

2019年に原宿に期間限定でオープンしたLouis Vuittonのポップアップストア内の様子

おそらくAbloh氏は相当なプレッシャーを感じていたと思いますが、「LOUIS VUITTON」での最初のコレクションとなった2019年春夏メンズコレクションでは、素晴らしいクリエイションを披露し、ショーの後、友人のKANYE WEST(カニエ・ウエスト)と涙ながらに抱擁を交わした姿は、ファッションに携わる多くの人の心を打った事でしょう。

以上、Abloh氏の並外れた軌跡を簡単に振り返りました。ここからはAbloh氏の成功の要因を考察し、世のデザイナー(特にコレクションブランドをやろうと考えているデザイナー)がAbloh氏から学ぶべき点を提示していきます。

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