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「きみのお金は誰のため」と私の好きなレストランの話。

20時過ぎに娘とそのまま寝てしまって、さっき起きて本の続きを読んでいた。
娘はなめこ図鑑の絵本を借りてきて、息子も目をキラキラさせていたので私が大昔にやっていたなめこを生やして収穫するというアプリを探したらまだあって、ダウンロードして渡した。小さな頭を二つ並べて、一生懸命なめこが生えないか生えないかとみていて、面白かった。

「なめこは、ずっとにんきだったから、いまもあるんだね」と息子が夕飯を食べながら言った。彼が食べているのは、なめたけごはん。キャラクターとしてのなめこどころか、なめたけはもうきっと何世代も前から存在していて、二つの人気のきのこ、、とふふっとなった。

今日は痛めてしまった足が本調子ではないので、家で大人しくしていたのだけれど、このまえ幼稚園で一緒のママたちとお話ししていた、私の月一で行くイタリア料理屋さんのことをふと思い出してお昼時だし今日はやっているかしらん、とインスタで検索した。
人手不足により、6月からランチ営業を辞める決断をしたと書いてあって「うわーーー」っと思って思わず電話していた。「ああ、はい、カシオペアさん!いつものカウンターのお席でいいですか、お待ちしています!」と元気な声。長く歩かなければ大丈夫と思っているので、自転車にまたがって駅まで向かう。

いつものちょっと思い扉を押すと、たくさんのお客さんで賑わっていた。スタッフさんが手を振って目配せをしてくれる。たまにお客さんたちのおしゃべりが耳に飛び込んでくるのが申し訳ないけれど、この活気も含めてこのお店が好きだと思う。

ランチのパスタと、グレープフルーツジュースをえらぶ。
扁桃を取る手術をして、食べ物が何も食べられない時も、「ウブリアーコにいくんだ、、!」と気を確かに持ち、ワンオペが続いてこころがとげとげになったときも「とりあえずウブリアーコでおいしいものを食べたらお迎えに行ける、なんとかなる」と自分を鼓舞したり。月に一度、ここのお店でランチをする、月に一度くらいなら贅沢だっていいじゃない、この、恐ろしいほど美味しいランチを食べよう!で乗り切ってきた数年でした。

コロナ後から徐々に人の足がもどり、いまでは行列ができるほどのランチ。

我が父は、長年食品関係で働いていたということもあり
「あと何回健康でごはんを好きに食べられるか、というのを常に考えているんだよね」という人で、かつ携帯のアドレス帳に美味しい店が50件くらい常に更新されつつ入っている父で、美味しいものには、それ相応の対価と時間をよろこんで払おうね、という家風で育てられたので…つまり、美味しい物を食べることが大好きだ。

感動するものに出会うと、ほんとうに生きていてよかったこれを作ってくれた皆さん、農家さん、お野菜さん、海のお魚さん、まじで、まじでありがとう!!!

と天を仰ぎたくなる。

学生時代や新卒社会人時代は「美味しそうに食べるから」との理由で、ほんとうにいろいろなお店に連れて行ってもらい、上野の北京ダック、札幌の海鮮小料理屋、日本橋のシュウマイ、仙台の牛タン、六本木の鉄板焼き、銀座の回らない寿司、東京タワーの麓のフグ屋、フロリダのラムチョップなど、おいしかった記憶をひとつひとつ覚えている。

そして数年経って妊娠出産し、外食自体がままならない、子供のアレルギーと偏食にも配慮せな、みたいな環境になって、私はもともとお世話になっていたけれど、はま寿司、マクドナルド、ガスト、オリーブの丘、はなまるうどんとの蜜月関係がはじまった。いやほんと、お世話になりすぎて足向けてねむれないですが。

でも、いつも子供向けの料理だと、たまに、大人向けの料理がたべたい、、!一人で、ゆっくり、ごはんを!!と猛烈に欲する時がある。もう性欲なんて目じゃないくらいなので、そういう日はおとなしくスケジュールを確認し、行きたいお店に粛々と向かう。

あんまり冒険を好まないので、同じお店になることも多いけれど(そして彼らのクオリティーを追い越せるのはなかなかない)たまに美味しい!と頭の中でリンゴーンリーンゴーン♪と鐘がなるお店に出会えると
「す、末長く繁栄されますように!!」と心の中で祈ってしまう。長年の調査によると、それは価格とかではなく、お店がいかに真摯に料理と向き合っているか、肝要な気がする。お金を積めば美味しい物を食べられるのも真理だけれど、そうじゃない楽しみ方もたくさんある。

閑話休題

というわけで、私の中で鐘が鳴り響きまくったお店が平日ランチ営業を終了する、というのは、わたしにとってとても大きなことだったのです。この街に引っ越してよかったランキングがあるとすれば、交通の便がほどほどによい、森が多く生き物がたくさんいる、ご近所さんに会えた、図書館が近い、ウブリアーコがある!!くらいには入っているのですよ。特に私のようなアルバイターかつ子育て中となると、出歩けることができるのは平日のランチなの。うう。

そんなことを噛み締めながら運ばれてきたウブリアーコサラダが唸るほど美味しい。今日はキレッキレですね…と泣きそうになりながら咀嚼する。なかから現れたレバーペーストもおいしい、なんだかわからないものが震えるほど美味しい。これを腹一杯食べたい。隣のおしゃべりに夢中なお姉さんたちに、パスタ冷めちゃいますよ!!とか突っ込みたくなる。
本日のパスタはキャベツとしらすのパスタ。なんでキャベツは甘いのに、シャキッと感も少し残っていてオイルベースとしらすのバランスが完璧なんだろうとぼんやり考えていたらもうなくなっていた。

いつもほぼお客さんの顔全員覚えているんじゃないか?と思えるスタッフさんが、「ごめんね〜〜〜!料理の提供おそくなっちゃって!ね、みた??」ときてくれた。話しながら「う〜今月通います!」と言った。こんな料理出されたら、もう、通わないわけにはいかないでしょう。時間なんていくらでも待たせていただきます。

ミニデザートはガトーショコラ。甘すぎずにしっかりとしていて、これぞこれぞ私の求めていたガトーショコラです!と言いたくなる。他にもパンナコッタや大人のティラミスも以下同文である。

お店を巣立つスタッフさんがあいさつにきてくれて「カシオペアさん!お電話いただくの珍しかったのでインスタ見てくださったのかなっておもって、、」というお話から、自分の夢や目標を聞かせてくれた。めっちゃ素敵だ。そしてスタッフみんなに私の名前と顔が周知となっていることがわかった。

「まだいるんで!」と言われたので「通います!」と答えたら、さいご「じゃ、まださよならはいわないでおきます!」と返された。ほんと、地域っぽい。あったかいお店だ。

今日読んだ本、「きみのお金は誰のため」という本に、投資や贈与について書いてあって、読み進んで本を閉じる時、まさに私の大好きなあのレストランは、本に出てきた贈与とおんなじだと思った。
ランチの値段として、高いと思う人もいるかもしれないけれど、私が使ったお金は、美味しい料理をつくってくれる人、心地よい接客をしている人、それから美味しく食べられる器を提供してくれているお店や、料理の原材料を作ってくれる人、みーーんなに水のように流れていく。私も潤されるし、彼らも潤う。それをお金という媒体が可能にしている。お金自体に力があるわけではない。なるほどなーと思った。

今日は本屋さんで本を買った。それもまた、地元の本屋さんと古本屋さんで。お金を使うというのは一種の意思表示だと気づいた。仕事も、ボランティアもそう。自分が何に価値を見出し、投資したいと思えるのか、もちろん安い方がいいけれど、何が未来に残って欲しいと思うのか。自分が、わたしと、わたしたちのために真剣に夢中になってやっていきたいことはなにか。ちょっと考える夜でした。

はてさて、眠りましょう。おやすみなさい。



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