見出し画像

オリジナリティみたいなもの。

水槽のイモリが、こちらに赤い腹を見せて立っていた。だんだら模様の赤と黒のコントラストが、いかにも「毒ですよ!」というふうなのに、その愛嬌のある、まぁるくくりっとした瞳と、横長の顔は平和そうで、意外と懐くのでかわいい。

怒涛の先週から、ようやく息子が登園できるようになり、ほっとしている。

雨降りの予報に行きだけでもと自転車に乗って家を出た。駅前の駐輪場に着いた時、お財布を忘れているのに気がついて大人しく家に戻った。無理して出かける必要もなく、体も少し疲れていたのでこうして家でパソコンに向かうことにした。

珍しく本をよく読んでいる。映像より本の方が楽になってきたのは、子供たちに手がかからなくなってきたからか、心の問題なのか、どちらもかもしれないし、どちらでもないかもしれない。

一つ書く予定の原稿があるので、その前に活字を摂取しないとと思って本を開き始めたら、思ったより楽しかったのだ。
小説もエッセイも歌集も、どれもそれぞれがそれぞれに違って、同じ日本語で、同じフォントだとしても、全然違う。書いている人が違うのだからそりゃそうだ、というのはわかるのだけれど、文字についている色が違うくらいに違って、とても素敵だと思った。同じ文章は、どんなに似せても、誰にも書けない。

黄色いネバネバとした鼻水をかむ。息子からもらった風邪は、というか子供からもらう風邪は、きっと子供達のぴちぴちの体の中でスクスクと成長しているのかなと思うくらい強力になって大人の元へやってくる。花粉症が楽になっても、ティッシュとの友好関係(一方的に搾取しているとも言える)は続くようだ。やれやれ。

同じ文章が書けないように、同じ写真も撮れないのだろう。同じ絵が描けないように、同じ歌は歌えないだろう。

そう考えてみると、オリジナリティというのは万人に等しく宿っていて、安心して歌って良いし作って良い、と思える。安心して、白い紙に絵を描こう。


たのしかったピクニック。

よろしければサポートお願いいたします!いただいたサポートはフィルムと子どもたちとの旅に使わせていただきます。