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宝石の国。

息子が全快したので久しぶりに外に出た。いや、図書館に本を返しに行ったり、スーパーへの買い出しなんかはしていたから、外に出たのは久しぶりではないのだけれど、「気がかりな誰かを残してはいない」外出は身が軽くて気も軽くて、久しぶりに晴れたのも相まってピカピカと濡れたナルコユリの葉が宝石みたいに光っていた。

息子が風邪になって再び読み始めた宝石の国の最終話が今日発売の雑誌アフタヌーンに掲載された。読みたくて、コンビニに行くも売っていなくて、駅前の本屋さんまで来たら無事に買うことができた。幸福な色の表紙にほっとする。

レジに行き、すぐに隣のカフェに入り、包みをバリバリと開いて読み終わった。
これ以上ない終わり方だった。12年、途中休載を挟み、今日市川春子先生の「予定通り終わることができた」の一文を見て、よかった、よかった、、と一人頷いてしまった。美しくて、愛おしくて、悲しくて、嫌な気持ちになって、途方に暮れて、感情が迷子になるような物語を、確かな絵が支えていた。

最初読んだ時は、宝石少女!戦うの!?みんな可愛い!新鮮〜〜と思っていたのに、いたのに!!こんなぐっちゃぐちゃな気持ちにさせられるとは思わなくて、「世界を創る」ってすごい、もはや作者は一回本当に世界を創ったことが(そして滅ぼしたことが)あるんじゃないか?とすら思った。

そして絶望の淵に叩き込んだり、これどうゆうこと、、となる展開においてのアオリ(連載漫画の最終ページに書いてある編集さんのつける一文)が見事だったなぁとも。間違いなく、希望、だったんだフォスは。と思うラストページでした。

子供の看病でたった二日家にいただけで倦んでしまう私は、激よわで、母になるのに向いてないとしか言いようがなく、仕事も、民藝も、写真も文も中途半端でしかないのだけれど、そしてそれが時折どうしようもなく嫌で全てを投げ出したくなるのだけれど、こういう物語にまた出会えるなら、中途半端なままでも歩みを止めずに生きていてもいいかなと思うのでした。

12年間という長い時間をかけて、ひとつの物語を終わりまで運んでくださって、ありがとうという気持ち。
最初読んだのが高校生だと思っていたら、大学生の頃だということがわかり、自分が思っているより歳を重ねていることに驚いたのでした。あの時一巻を手に取った本屋さんも、二巻を手に取った本屋さんももうないけれど、紙から01の電子信号に姿形を変えたりしてもなお愛され続けている物語そのものが、宝石のようだと思う朝でした。


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