嗚咽するほど泣きながら観ていたドラマ「アリソン・デュボア」
私が一番好きなアメリカのドラマは「ミディアム アリソンデュボア」。
若い頃はフレンズも好きだったけど、今もってダントツなのはやっぱりミディアム。
検事局で捜査の手伝いをする霊能力者のお話なんだけど、私がハマっていた理由は、スピリチュアルな世界の面白さ、、、だけではない。
もちろん、霊能力で色々な事件を解決に導いていくというストーリはとても興味深く、以前はそこに自分がハマっているんだと思っていた。
登場人物の中心となるのは霊能力者のアリソンと夫ジョー、そして3人の娘たち。
中でも私はこの夫ジョーが大好きだった。
優しくて、アリソンのことを愛していて、家族を大切にしていて、情に厚く、優秀。
ドラマの中では何度も何度も就寝前のベッドでふたりが色々と語るシーンが出てくる。
家族のこと、仕事のこと、他愛もないことも真剣なことも、お金のことや将来のこと、それはそれは多岐に渡ってふたりで語る。そしてそのまま愛し合ったり。
ドラマの中のアリソンは望むと望まないとにかかわらず、霊能力で色んなことに巻き込まれたり、奇異な行動をしたり、怒ったり悲しんだり・・・・
正直かなり「困ったちゃん」なことも多い女性。
特に普通とはかけ離れているのは、就寝中に殺人の夢(それが実際の殺人で霊からのメッセージだったりする)を見て絶叫しながら飛び起きる、ということ
その度に一緒に寝ている夫ジョーは心臓が喉から飛び出るほど驚きながら起こされてしまう。
「もう!!!アリソン!!!」
ってさすがに怒ってしまうことも多いんだけど、その後は必ず起きてアリソンの夢の話しを聞き、一緒にその殺人の夢についてどう考え、どう行動したら良いかを考えてくれるのだ。
私はあまり人のことをうらやむような性格ではないのだけど、このジョーに関してはもうほとんど「愛してる」って思えるほど大好きだった。
心底アリソンが羨ましかった。
このドラマで何度も嗚咽するほど感情が揺さぶられた。
アリソンのわがままな態度にむかつき、ジョーの優しさに悶え、娘たちのかわいさに癒された。
当時は「ジョーの優しさが大好きなのだ」と思っていたのだけど、私が悶えるほど羨ましかったのは優しさということではなかったのだと今になって思う。
優しさで言えば、うちの夫も本当に優しい人なのだ。
なんなら私がゆっくり目覚める日は朝ご飯食べる?ってベッドまで持ってきてくれることもあるし、子ども2人を連れて1日出かけてくれたり、私が好きな食べ物を何も言わずに買ってきて冷蔵庫にストックしてくれたりする。
私が忙しくて家事が全然できない時も文句ひとつ言わない。
じゃあ何故ジョーのことがあんなに好きだったのか。
それは「情緒的交流がバケツから溢れるほどあるから」だったのだ。
優しさももちろん嬉しい。冷たいよりずっといい
私のわがままを許してくれることだってそう。
でも、喜怒哀楽を分かち合い、喧嘩したり、真剣に話し合ったり、お互いが辛い時には支え合い、妻の尋常じゃないとっぴな行動にも苦しんだりしながら、結局決して突き放さない。
これぞ家族なんだ。。。
私の思う
「手分けして分担してくれる優しさ」
ではなく
「手を取り合えって支え合う優しさ」
なのだ。
そして・・・・・
その情緒的な家族の交流って、、、それもバケツから溢れるほどの量を生み出すのは、お互いにバケツが大きくないとできないのだ。
と今は痛感している。
私はそのバケツ、もしかしたら平均よりかなり大きいかも。
そして夫は、ティースプーンくらいのサイズしかないと思っている。
だから私のバケツはなかなかいっぱいにならなくていつも渇望しているし、夫はちょっとした喜怒哀楽で一気に溢れてもうこれ以上無理。。。ってことになってしまうんだと思う。
そりゃお互い辛くなるはず。
カサンドラって本当に誰も悪くない。
うちのように優しい夫でアスペルガーとHSP(エンパスにより近い気がしているが)があるようなキャパが小さい人に器を大きくしてほしいと言ったって無理。
犬に猫になれと言っているようなもんだ。
でも私も悪くないのだ。
私のバケツはいつもカラカラ・・・・
寂しさや孤独感が積み重なり、限界を超えてしまった。
私たちはアリソンとジョーのようにはなれなかった。
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