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「YouTubeは難しい」と痛感した裏側

「思うことと口に出すことは別だよ」

ADHD脳を持つ(他の難病で神経発達症/発達障害の診断が主としてついたがADHDの診断は特にない)わたしの子どもに良く言っている言葉。

神経発達症は遺伝率が高く,わたしも小学生の時から通知表に「机を教科書でトントンとそろえる音がうるさいです」「忘れ物が多いです」と書かれまくって来た履歴を持つので,ADHD脳なのだと確信している。

でも,取り立てて生活面で困っているわけではないので,診断はもらっていない。

研究の世界は神経発達症の人ばかりと思うし(診断こそついていないだろうけど),医療の世界もそうだから,まわりを見れば「おぬしもでせうか」と心の中で思っているはずだ。

わたしの指導教授は,どうみてもASD脳だ。

院生同士で「ドストレートの物言いだから女性教授たち至極に受けが悪いけど,先生はいい人なのが伝わらないのがくやしいよね。先生の良さを教えてあげたいよね」と,言っていたくらいだ(余計なおせっかい)。

「あなたは日本語が上手じゃないから」

教授に言われたけれど,確かに自分目線の文脈が目立つ悪筆なので,「はて?」と思ったが抗議するまでもない正論で,「おっしゃる通りで」とお茶を濁したこともある。

精神医療の現場でも神経発達症の患者さんは当り前だけど普通にいらっしゃるし,学校臨床の場でも普通に出会う。そうじゃない人の方が珍しいくらい偏った世界でもないのだ。

だから,本当はこんなことは書きたくない。だけど,たぶんそうなのだろうと思うのだけども,勇気を振り絞って書く。

「神経発達症であることを嵩にしている」とか「なまけもの,努力不足」と思われてしまう悲しさのことだ。

神経発達症は,脳の生理的な機能のガタつき,未熟さなので,確かに訓練で(療育:治療と教育)でスキルアップすることもある。

だけど,努力してもできないことはある。

だから,苦手さを減らして得意を増やす方向に伴走するのが心理士のような治療者(セラピスト)なのだけど,それでもそんな魔法のようにすんなりなんて上手くいかない。

指導計画道理になんて上手くいったら御の字で,あれこれ試行錯誤して,ヒット率を高めていく職人芸が教育者だと思う。

でも薄給……。おっと,口が滑った。でもそう。

臨床心理士の単価をついぽろっと,ある起業家に話したことがある。

「え~。安すぎる!こっちはその10倍,100倍の世界ですよ」

ぎゃふんである。

まぁそれがビジネスの世界でマネタイズなのだから,いいのだけど,大学院修士課程,何ならわたしのように博士課程まで出ても心理士の世界は甘くない。

だから,療育や介護の世界で頑張っている心理士は薄給さゆえに辞めていくし,それを止めるのも忍びない。

もともと大学院まで進学できるだけの潤沢な資金がある《太い実家》がないと成立しない高等遊民の学問が心理学なのだから,誰もそんなことを疑問に思わない。

そもそも大学院に進学する時点で,一般企業に就職することは無理で《世捨て人》の烙印を自ら押してもらいに行くちょっとMっけがないと,大学院の世界はビジネスと無縁で無理だ。

「あなたは付き合っている人いるの」
「わたしは大学院進学を薦めません」

大学院進学を教授たちに相談すると,男性の教授たちはみんな反対した。女性の教授たちは,応援してくれた。

心理学を選んだ時点で男性は,将来の学者になるしかマネタイズは無理なので,家庭を持つ野望はない。

でも女性はなんなら実家に寄生できる逃げ道があった。

それが逆差別でもあるけれど,とにかくそうだ。

努力して努力してつかみ取った仕事だけど,まわりがみんな当たり前に努力を重ねている世界で生き残るのはとても大変だ。

特に神経発達症っぽさを抱えている身としては……。

しかも,まわりも神経発達症っぽいから,ダブルバインドが当たり前。

大学院進学=無限の努力沼にいらっしゃい。それができない人は無理です。

大学院進学の時にこの先制パンチをくらい,2年間の暗黒時代を生き延びてやっと修了できるのだ。

だから決して努力不足ではないし,ましてや人に努力を強いることはしたくない。

だから,ADHD脳の世界を赤裸々にカミングアウトして,決して努力をしていない訳ではないし,むしろ普通に近づくために努力を重ねて疲れ切ってしまうことを伝えてみたのだ。

結果,YouTubeのチャンネル登録者数が減った。何より,再生数が全く伸びなくて,たぶん何らかのブレーキがかかっているのだと思う。

そこで新しく動画を作ってみた。

ちゃんと再生数が伸びている。

難しい世界だな…と思った次第。

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論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。