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着用モニター協力者の寺田雅美さんが経験された服の不自由

SNSでシェアされた情報を見てcarewillについて知っていただいた寺田雅美さんは、過去のご自身の服の不自由の経験からの気づきなどをケア衣料の着用ヒアリングで提供してくだっています。そんな寺田さんは、島根県隠岐諸島にある海士町(あまちょう)と東京の二箇所を拠点に仕事と生活をされています。

寺田さんに、ご自身の服の不自由のご経験やcarewillについての気づきや思い、そしてご自身の価値観や隠岐・海士町と東京の二拠点生活について詳しく伺いました。今回は第一回、寺田さんご自身が体験された服の不自由についてのお話です。

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寺田雅美氏
海士町×東京の2拠点暮らし。隠岐ユネスコ世界ジオパークにおける「海士町ジオ魅力化コーディネーター」として、ホテル×ジオパーク拠点複合施設「Entô」の設立・運営、「後鳥羽院顕彰事業」文化事業等に携わる。ほか、科学者×社会起業家らの共創による社会実装へむけた場の設計などの科学コミュニケーション活動や起業支援など。
キーワード:サイエンス×アート、「センス・オブ・ワンダー」(レイチェル カーソン)、大自然や私たちの暮らしにひそむ様々な「まなざし」


ーーいつも着用ヒアリングにご協力いただきありがとうございます。carewillを知っていただいたきっかけを教えてください。
寺田さん:長嶋りかこさんの投稿を私の友人が以前長嶋さんと北海道で一緒に仕事をされていたご縁で見て、carewillについて知りました。投稿されている内容を読み、「私も四十肩・鍵盤損傷!この痛みが、何か新しい事業をおこす種になるのならば!」と反応したのがきっかけです。

ーー投稿からアクションしてくださる寺田さん、シェアをしてくださるご友人も本当にありがとうございます。そのシェアをご覧になられる以前に、ケア衣料について意識されたことはありましたか。
寺田さん:実は3回あります。まずは10年前に私自身が甲状腺の全摘手術をしました。術後3ヶ月ほどは日光(紫外線)を傷口にあててはいけないと医師から話があり、首周りをカバーする必要があったものの、病院で何か具体的な製品を紹介されたわけではありませんでした。

時期が夏だったのでショールを巻こうにも隙間がどうしても生まれたりずれますし、タートルネックを着るわけにもいかないしと困っていたところ、ふと百貨店のスポーツ用品コーナーを訪れてみたんです。

ゴルフ用品の売り場で、首周りをカバーできる様々なデザインの商品が並んでいる光景に出会い、快気祝いも含めて家族とともに購入しました。このネックカバーは1つ1万円を超える商品だったのですが、伸縮性もあり、アタッチメント機能もあり、通気性もよく、使っていてとても心地よかったです。Tシャツを着用した上でその製品をつけることができましたし、さまざまなデザインもあり、心身ともに快適でした。

我が家では、まるでその様子がエリマキトカゲのようだったので、「エリマキテラ」なんて愛称をつけて呼んでいました。私の回復期の「相棒」です。

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ーー首の日焼けを防いでね、と指示をされて、スポーツ用品店に行かれたのがすごいですね。
寺田さん:他には服飾雑貨店の商品で、指が通せるショールを購入したりもしましたが、使っているうちに、機能面をよりしっかりさせたい場合には、おそらくスポーツ用品がベストなのだろうな、と考えつきました。

2点目が祖母の介護の体験です。96歳まで自宅で介護をしていました。笈沼さんの原体験とも重なる部分ではありますが、祖母が自宅で過ごしている時間や、病院に入院する際、「普段着用しているパジャマを持参していい」と案内されたものの、日常の中で「装う」行為の必要性はあまりなく、実際は部屋着を着用していました。ただ、振り返れば「もっと院内における服のバリエーションがあれば、たとえ身体が物理的に移動しづらい日常生活にいるとしても、それに全く関わらず、より彩りがある生活も送れたのだろうな」と思うのです。物理的に動いたり・移動することが容易でない状況にある一人一人にとっても、衣・食・住(自宅の部屋や病室)こそ本当に大切で、さまざまな気分転換やインスピレーションを起こしてくれる要素だと感じたので、たとえばそうしたサービスや衣・食・住があることにより、結果的に社会との接点が生まれ続けられるようなものが必要で広がっていけばいいなとずっと感じていました。

例えば、当時、祖母が毎日部屋の窓から見あげていた空の景色は、実際に世界の他の土地のどんな空とつながっていて、そこに暮らしている人にはどんな日常があるのかなど、物理的な制約要件(身体や体調の都合、実際にいる場所)をこえて、さまざまな人にとっての「まなざし」が交差、共有できるようなテクノロジーの可能性にも関心が芽生えました。知人が取り組む、ドローンを用いたバーチャル観光サービスにも大変共感していました。また、先日笈沼さんが投稿されていた、介護施設に普段は入っていらっしゃるお母様へテーラーメイドのケア衣料を贈られたご家族のお話にもとても共感しました。

3点目は、以前からとても共感、応援しているケア衣料の取り組み事例として「CO-FUKU」を笈沼さんに紹介させて頂きました。起業支援の仕事をしていた際に出会い、事業を起こされたご本人とお話しさせていただいたり、ワークショップに参加する中で、本当に素敵な世界観だと思っていたためです。現在もとても注目しています。


ーー以前から、ケア衣料に多くの意識が向いていらっしゃったのですね。
寺田さん:ご縁ですね。その他にも、ミュージアムに勤めていた際のご縁で、一社)星つむぎの村さんが展開されている「病院がプラネタリウム」という活動にプロボノとして関わらせて頂いています。全国の、小児病棟などに伺い(コロナ禍ではオンラインの場づくり)、星空を分かち合う場や、宇宙の果てまで旅しに行き、ふるさとの地球にホッとかえってくるようなプログラムを展開されていてその世界観に魅せられ、志や活動をリスペクトしています。


ーー仕事もプロボノも、色々なご活動をされていらっしゃるのですね。
服の不自由の具体的なお話しをお聞かせください。

寺田さん:昨年の11月頃から、肩にピリピリとする痛みやしびれを感じていましたが、きっと肩が凝っているだけだと思っていました。当時は気づいていなかったのですが、おそらくすでに四十肩を発症して、症状が進行していたのでしょう。年末に、隠岐に大雪が降って、友人の子どもたちと一緒に雪の中で戯れていました。そんな中、私ひとりでコロコロと雪積もっているゆるやかな斜面を転がった際、激しい痛みが右肩に走り、一週間経つ間に「拘縮肩」ができあがりました。転がった直後の数日は、帰省移動の際に乗った飛行機内でスーツケースを上げたりする動作も無理なくできていたのですが、1週間ほど経つ間に、前にならえ、もできないくらい腕と肩がすっかり固まってしまい、髪を結ぶのにも激痛が走り難しくなってしまいました。とはいえ、なんとか、テーブルに右肘を置き首を傾けるようにして結んだりしていましたね。洗髪も、左手は動くのでシャワーをなんとか使ってやっていました。利き手の右腕がその状況なので、つい最近までは運転も怖くて控えていたほどです。

実家のある東京で2ヶ月間リハビリをし、こちらに帰ってきてからもリハビリにお世話になっています。日常生活の中で「歩く」だけでも腕が揺れ、当初は激痛が走っていたので、手持ちの肩掛けポシェットのようなものをどうにか角度調整して肘をその上に乗せて歩くなど、工夫していました。ただ、そうやって手を支えていても、時間が経てば手の向きがずっと同じなので疲れてきます。この手首をどこかにおいて休ませたい・・・と、一度下ろして、またカバンの上に乗せて腕を支えるを繰り返していた生活でした。リハビリを続けるに従って、症状や痛みは緩和されてきています。

carewillのヒアリングにこれまで3回協力しました。一番最初に送っていただいた、1着目の(昨年末のクラウドファンディングで販売した)グレーのシャツを着たときに、服に内臓されているポケットに腕を入れようとした際に腕が揺れて痛みが走りましたので、自分の症状にとって楽な着用姿勢を伝えフィードバックしました。また、冬はタートルネックをよく着ていたのですが、タートルネックであれば素材が伸びるので着脱が楽なのですが、背中で整える動作のある服は難しく、今も真上までは肩が上がらず、完全に元に戻るまでにはあと2ヶ月程度はかかるのかなと思っています。


carewillを知る以前から、ケア衣料についてご関心をお持ちだった寺田さん。ご自身の服の不自由のご経験とそれに対応できるグッズとの出会いの話が印象的でした。第二回では、carewillの着用モニターにご協力いただいた中での気づきや、ご自身の価値観とその原体験についてお話しを伺います。




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