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過去になりゆくもの、残ってゆくもの

わたしたちは、時々手紙のやり取りをする。もちろん手書きで、書くのに時計の長針が一周や二周してしまう、内容の濃い手紙を。

その手紙が送られたのは1月22日。『きみどり色』にも書いた手紙だ。「送ったよ。」というメッセージを受け取ってから、わたしは何度も自宅のポストを確認しに、つっかけを履いて京都の底冷えの寒空の下に出た。もちろん楽しみだったし、家族に知られたら恥ずかしいな、なんて気持ちもあった。とっても楽しみにしていた手紙には、数日前に話していた彼の「手紙用フォント」の文字が綴られていた。感性が女性のような彼は、女子のようにたくさんの字体を持っているらしい――多くのひとが持っていないなかで、彼もわたしもたくさんの字体を持っているところにちょっとしたなにかを感じているのを彼は知らないだろう――。几帳面にお手本のような字は好みではないのがわかったのかな、というような、男性らしさはあまりないけれどクールな、やさしさのあふれる丸みを帯びた文字が並んでいた。

わたしは字にこだわりがある。このこだわりに気づいたのは小さい頃。父がとてもきれいな字を書く人で、それに憧れて、字の研究をした。こだわりが強くなったのは、教える仕事をはじめてから。多くの生徒とは彼らが中1になるときに出会うのだけれど、男子生徒は高確率で「よくそれで『ちゃんとやりました』と言えるな」と呆れ返ってしまうような字を書く。中2には彼らは反抗期を迎え、雑さが1.5倍増しになる。放っておくとそうなってしまうので、毎週の授業で字のチェックをする(漢字とスペルのチェックも兼ねている)。過去の生徒には、鉛筆(シャーペンを使うことを禁止した)の持ち方から指導した子もいるし、ノートをすべて書き直させるなんてザラだ。そんな、毎日雑できたない字と毎日向き合っているわたしは、人生をともに歩んでいく(つまりずっと文字を見続けることになる)人だけは絶対、絶対、オトナな自分の字を書いてくれる人が良いと心に決めていた。(ここは特に自分でもわがままだなと思うのだけれど、)五十音表にある字では嫌だった。彼の、彼らしい自分の字がいい。

彼の部屋には、書き初めで書かれた書がある。お習字をしていたわけではないという彼の言葉を疑いたくなってしまうくらい見事な彼の書。(彼には話していないけれど、)その言葉を、部屋に行ってからはじめて手紙を見るまでは実は疑っていた。しかし、手紙を初めて見た日、その事実をしっかりと実感した。お習字をしていた人の字は、少し苦手だった。その人らしさがなくて、まさに習った字だから。彼の字はだれにも習っていない、彼らしさであふれた字なのだ。

手紙をはじめてもらう前に一度だけ、自筆でやりとりしたことがある。「メモ用」の字で。一緒にいるときに体調を崩して、彼に迷惑をかけた。仕事終わりに緊急病院に連れて行ってもらい、次の日は仕事を休ませてしまった。その日の朝、わたしは言葉を発せなくなった。意思疎通も思い通りにできず、とてもとても焦った。そんなわたしに、彼は彼自身も不安だろうに、「だいじょうぶ。ゆっくりね。話したくなったら、書いて。」と声をかけてくれた。そこで、前日の晩に見た夢、今恐れていること、過去の過ちを書いた。そうしたら、彼はそのメモ用の字で、"I'm always here."のようなことをいとも簡単に書いてくれた――正確になんと書いてくれたかは、その直後にあまりに安心して熟睡してしまったので覚えていない――。そのさらりと出てきた優しい言葉と彼の優しい字を見て、わたしの「好き」はまた深まったのだ。

今までの誰よりもしっくりとくる彼との生活は、実は始めてからまだ日は浅い。いわゆる「お付き合い」をまだしていないわたしたちは、まだ互いの気持ち――もっぱらわたしの気持ちはだだ漏れなので彼の気持ち――を探り探り…状態なのだが、2回めの滞在となった今回、彼の深いところにある思いを知った。はじめて彼の家に泊まったわたしが突拍子もなく言い出した「あなたと結婚したい。」という言葉に対する彼の気持ちを、そしてどうしたいかを、ちゃんと考えてくれていた。

先週彼のもとから帰る新幹線のなかでまた、その1月22日に出された手紙を読み返した。1度目の滞在の直後に出されたその手紙は、2度めの滞在を終えたわたしたちにとってはもう過去のものになっていた。読み返すたびに緩まっていた涙腺はもう緩まない。そこにあるのは、わたしの愛する彼の、彼だけの字で書かれた過去にもっていた思い。きっと、わたしが綴った手紙も――たとえ「彼への思いは変わらない。」と高をくくっているわたしが書いた手紙だったとしても――、もう過去のものになっているだろう。

でも、たとえ綴ったその思いが過去になってしまったとしても、わたしたちは綴り続ける。だって、綴れば綴るほど、また新たな思いが生まれたり、そのすてきな思いに気づくことができるから。

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