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27.POMを乗り越えた人々とは《前半》

どんなに頑張ってもPOM(=Cancerの呼び名を可愛く)で亡くなる方はいますし、治癒させる方もいますし、共存し続ける方もいます。何がその違いを生み出すのか、それは明確ではありません。個々の生命力、治癒力、生き様、思考と思想などが複雑に絡み合うものですから。

今まで色々と綴って参りましたが、治癒と無縁とはいえ、現代医学が無意味な手段ではありません。また、自然療法さえすれば安全に治癒するというものでもありません。幸せの青い鳥[治す為の方法論]を探す旅に出ては様々な方法論に翻弄されがちですけれど、実のところ、幸せの青い鳥は家にいるのです。

世の中にはPOMをご自身で治癒させてしまう方が多くおいでになり、事あるごとにお話を色々聴いてみました。そうしていく内に、POMを治癒させた方々には共通点があることに気づきました。ほぼほぼ同じ内容をおっしゃるのです。

POMになって良かった と。
それも さらっと。

今日はいいお天気ですね の感じで POMになって良かったと今では思っています と。肩に力は入っておらず、無駄な力なく、自然体です。自分に医学島の意識が残っていた最初の頃は意味不明で頭のおかしい人々かと理解できませんでしたけれど、余りにもたくさん普通に講演先で出会うものですから、それが当たり前なのかもしれないという意識に切り替わっていきました。医学島に居たときには1人も出会ったことが無かったのに、講演先では普通に出会う不思議。それは、治った方は病院へ行く理由も無くなり、医者が遭遇しなかっただけなのだと理解したのです。

例え遭遇したとしても、なかったこととして目を覆う習性が医者にはあることも分かりました。科学者として不思議ですよね、医学で根治できないことは嫌というほど経験している医者がですよ、自力で治しまた人が目の前にいたら「研究させてください!」とすがりつきそうなものなのに、いままで誰もやっていないのです。まあ、理由は明確でして、現代医学以外がPOMを治す手段を見つけたら自分の首を絞めるという発想になるからです。以前にこの手の質問を何人かの医者に問いましたが、全員「それじゃおまんまの食い上げじゃないか」と答えました。私は病人が治りゃあ良いじゃないかと想うのですが、医者にとっては病人が治るよりも自分のおまんまの方が重要なのだと気づかされました。

一般的に理解できない点は、死ぬかもしれない病気になって「何が良かったのか」 です。それは死を意識して生み出される感覚とも言えますが、だからといってPOMにならなければ到達できない意識でもありません。せっかくですからその方々から学び、ご自身の意識へ取り入れていけばよいのです。それに必要な要素は「素直さ」です。素直にその言葉を受け入れること。そんなことはあり得ないとか、科学的根拠がどうしたとか、疑念に満ちている限り素直さは発揮できません。疑念を持ったとしても、受け入れる前提で向きあってください。そもそも治癒の過程を証明する必要なんぞ、ないのです。だって、POMを乗り越えた人が目の前に存在しているのですから。その事実だけを認め、その方の言葉を素直に聞くだけでいいのです。

とは言え、人は理解できない事は受け難いのも分かります。ですから、その辺の理解を深めていきましょう。前回はナウシカのお話をしました。荒廃した世界で生存を脅かす腐海の森は必然で生まれた存在。POMがそうかもしれないし、そうではないかもしれない。そんな存在論も納得できるなら良しとして、そうでないなら聞かなかったことにすればいいでしょう。

POMになって良かったと心の底から言える出来事に気づけるかどうかが人生の分岐点になると私は考えております。POMになったことでしか得られなかった大切なことに気づけるか、否か、です。

なんでこんな病気になったんだ!
なんで自分なんだ!
どうしたら治す方法が見つかるんだ!
これは発症したどなたも通る道といえます。

周囲の方も、これ飲め、これ食べろ、これをやれ、ここへ行け、これを使え、あれはやめろ、ああしろこうしろと善意のアドバイスがたくさん来まして、結果的にPOMの方は心身および経済的に疲れてしまうのです。善意ですから根源は愛なので断りにくいし、方法論への期待感もあって始めたらやめられなくなったりします。

もちろん、何らかの方法で治癒に至った方もたくさんいらっしゃるのは存じておりますけれど、二匹目のドジョウはなかなか見つからなかったりするお姿も多々見てきました。治った方がいる事実、愛から発せられる意見、死から逃れられる期待。故に、方法論を支持も否定もできません。現代医学を受ける際に重要な点は「引き際の見極め」と申しましたが、それは自然療法も同等に言えるのです。1ヶ月に15万円以上をかけてたくさんの健康食品を口にして体調を崩された方もいましたし、勧められた健康法で体調を崩された方も多々おりました。これが方法論に支配される問題点です。

方法論は方法論。
それでPOMが小さくなったり、体調が良くなるならOKです。
しかし、それとPOMになったことで得られる「気づき」は別ものです。

あらゆる人はその人なりに最善を尽くして生きています。他人から見てぐうたらでも、本人にとっては最高のパフォーマンスかもしれません。競技で世界一になる人の努力は常人の理解を超えた努力であり、その方々から見たら自分はぐうたらの極みです。何が言いたいかというと、比較に大きな意味はないですよと。病気の前に人は平等です。

比較は素直さの邪魔をします。

つづく、、、

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