見出し画像

富里市高松 農村に鎮座する人気のスイカ神社


地理と歴史

成田←→東金、酒々井←→芝山の往来の中継点として栄えた村。かつては継立場といって、宿場から宿場へ荷物を持って往復する人馬の拠点だった。幕末になると横芝光町に木戸(門限で閉まる防犯目的の門)が設置され、佐倉から木戸小屋まで往復する拠点として重要な役割を果たした。交通の拠点として栄え、食事や寝床を提供する宿が3軒もあったそう。
風習として、藁で作った武者人形をくっつけた竹でチャンバラをする人形送りという行事が伝わっている。

馬頭観音

酒々井から芝山を経由して八日市場へ至る街道沿いにある
現在でも車がバンバン通る主要な街道である
大正時代に建てられた

香取神社

台地から谷津へ降りたところ、街道沿いの十字路の目立つところに鳥居がある
西国三十三観音霊場の巡礼記念に建てられた道標
幟がたくさん
シーズンになるとスイカがたくさん浮かぶ手水鉢
狛犬
豊富な物販
神に供えるのはもちろんスイカ
ビニールハウスをイメージした小屋にスイカ絵馬
本殿は豊富な彫刻で彩られていた
階段下には水浴びする獅子
波と亀
基礎の石材をよく見ると奉納者と金額が刻まれている
龍や鳥
額に飾られた絵が胴羽目を彩る
境内の祠群
別雷(わけいかづち)神社が珍しい

道にあるもの

道の向こうにホースを渡すために鉄パイプを組んだ構造物
富里市のゆるキャラ、とみちゃんとはおそらく別個体の一般スイカキャラクター
富里が町だった頃の名残である

普門寺

Googleマップにも地理院地図にもなく、唯一ゼンリンには載っている。町史には「普門寺があったところ」とあり、町史が編纂された1981年か、これを再編成して市のホームページに載せた2013年の時点ですでに寺院としては消滅していることがわかる。ストリートビューはなく訪問記録もないため、確認するにはこの集落を再訪するしかない。

門戸は普門寺があったところで、明治6年には高松小学校が開校し、その後明治31年から昭和20年ころまで、私立高松学館があった所です。

富里町史より

行った日 : 2024/02/10

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?