見出し画像

富里市新橋 田んぼを見下ろす神社とお堂


地理について

地名の読み方はにっぱし。高野、立沢、八街市文違の水源から谷津を伝って水が流れ込む地で、古くから水害に悩まされてきたそう。そんな場所にも関わらず橋があったことを伺わせる地名が残っているのは興味深い話。また、隣の立沢地区に縁が深い千葉胤政の言い伝えが残っている。

「葦ケ作の伝説地」の芳ケ作(芳は葦の別名)には窪地があり、千葉介胤政(ちばのすけたねまさ)が弁当を食べる時、葦を折って箸に使用し、その箸を地に立てて置いたところ、不思議にも2本ずつ葦が生えていたので、この地を芳ケ作と呼ぶようになったと言われています。また、その時高台の松の木に笠を掛けたことから、この地を笠掛といい、その松を笠掛松と呼んだそうです。

地名に見る富里の歴史(第5回 新橋編1)

麻賀多神社

集落の中心、消防倉庫の隣にある
台座に牡丹
古びた石段を登る
木仏にアイスココアとプレモルがお供えされている
拝殿はこの地域の特徴である横長形
神楽殿を兼ねたものではないようだ
石祠にお供えされたプレモル
木の間から田んぼが見える
拝殿の裏から本殿へ
覆屋の中には獅子と牡丹の彫刻がある本殿がある
この神社はすべての祠にプレモルが1〜3本お供えされていた

商店跡

麻賀多神社の斜向かいにある商店
2012年時点でシャッターが閉まっていた

地蔵尊

ポンプ小屋と橋
川から田んぼへ水を汲み上げるための施設である
地蔵
小学校の頃に被ってたあの紅白帽
よく似合っている

新橋環境保全会

地蔵、麻賀多神社、新橋観音、そして田園風景
割と最近と思われるタッチのイラスト

新橋観音

馬頭観音を祀るお堂
台座には獅子、中台には地紋が彫られている
文化3年の鰐口
いい眺め
明治時代の学制に伴い教員になった四宮先生の頌徳碑
このような石碑は千葉県中にある
石仏群の案内看板
地蔵尊と馬頭観音、そして下総型板碑
筑波山から産出される黒雲母片岩製の板碑が分布する南限とのこと
遠くに中沢集落が見える

行った日 : 2023/06/10

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?