富里市七栄 三菱財閥の別邸と実験牧場
地理と歴史
富里市十倉と同じく、広大な平地に馬を放牧していたエリアの一つ。江戸時代は佐倉藩直轄の内野牧として馬の生産が行われ、明治時代に開墾が始まった。火災や台風に加え、入植者が農作業に慣れない武士や町民だったため開墾作業は過酷を極めたという。
末廣別邸
主屋
東屋
石蔵
予備知識
三菱財閥の創業者は岩崎彌太郎で、弟が彌之助(2代)、長男が久彌(3代)である。この土地は彌之助が購入し、久彌が農場を設置した。
佐倉藩直轄の内野牧は民間に払い下げられ開墾が始まり、これが難航したため牧羊場として明治政府に買い戻され、再び払い下げられたのを彌之助が購入したという経緯をもつ。
江戸時代に牧だったエリアは投機対象として都内の富裕層を中心に買い漁られることが多かったが、この地は西洋の畜産実験場として経営された。畜産技術発展のため採算度外視の実験場という位置付け経営され、小岩井農場とともに農業における久彌の功績に貢献した。
社長引退後の久彌は趣味の農牧に本格的に傾倒するもののGHQにより財閥は解体、農場は払い下げられた。
末廣別邸は昭和初期に建てられた。東京の本邸を接収された久彌の終の棲家である。
(参考:末廣別邸で貰える案内の紙とWikipedia)
稲荷神社
行った日 : 2024/03/02, 2024/03/09
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