ギリシャのストリートで三味線を弾いたら(後編)
(11〜15の日本語まとめです)
■日本語まとめ
https://note.com/shamisenist_jp/m/mbbc9df938c80
■1〜6 Greece with friend https://note.com/shamisenist_jp/m/m5fdccc1b021f
■7〜15 Street shamisen in Athens
https://note.com/shamisenist_jp/m/mee7a8335b519
■16〜20 Paris
https://note.com/shamisenist_jp/m/mdc3fee7a0cb4
次の日職場に行くと、5,6人くらいのポリスメンズがいた。
派手にやりすぎて捕まるのかと思ったらそんなこともなく、ここで弾いていい?と聞くと好きにやんなよ!とむしろ周囲を警備してくれた。
最初「ジャパニーズガールが何をすんのやら」という感じだった彼らはまず三味線を見て少し驚き、
何曲か引いたあとには「You are amazing!」と大きな拍手をくれた。
そのうちに「そろそろパトロール行かなきゃ」と去る時にみんなで記念に写真を撮ることになった。
全員超決めポーズをしてくれて、一人は横でmy girl感を出して写ってくれた。
どうしてどこのギリシャ人もみんなmy girl感を出してくるのか。
そして彼らは次々ウィンクをして去っていった。
この日は日曜日だから石畳に三味線を響かせるとたくさん人が集まってくれた。
「日本の方ですか?三味線、すごい遠くでも聞こえました!」
とこの日声をかけてくれたのはマルタから旅行にきている日本人の女の子だった。
喋っていると、わたしがいつもいたあたりでオーケストラがすごい音響機材と共にパフォーマンスを始めた。
連日で腕も疲れ始めていて、純粋に聞きたくてその日は早々に店じまいをして人だかりに紛れ込んだ。
トラックでマイクやスピーカー、譜面台、椅子を持ち込み、パルテノン一体がバンドの音楽に包まれ、何百人と人が集まり、路上演奏どころかフェスのようになっていた。
横の人になんのバンドか聞くと、プロとしてギリシャで大人気のジャズバンドだという。
一人一人のソロから何から本当に素晴らしくて、無料でこんな近くで本当にいいのか?と聴きたくなるくらい、溶けてしまいそうな幸せだった。
いつものアクセサリーカップルはそんな中変わらずすぐその横で開店している。
やっほーと挨拶しに行って、わたしは忘れかけていたタイヤやローラーのお店を知ってるか聞いた。
「こっちの道にずっとまっすぐ行き続けると、ある!」
と鼻ピアスに刈り上げドレッドヘアのディカプリオみたいな彼が教えてくれたので、そのまま言われた道に向かった。
三味線は、背負って歩いていると本当に重い。
木の塊を背負っていると思うと、二宮金次郎の気持ちになってくる。
さらにオーケストラがほがらかに外でライブするくらい、2月後半寒波を終えたアテネは突然半袖でも汗をかく暑さになっていた。
パルテノンを中心にして行ったことのない方向に歩いて行くと、人であふれるカフェ、アクセサリーなどの露店が次々に姿を現す。
だんだんそれはヴィンテージの食器や雑貨の並びになっていき、本来の目的を忘れてうっとり見ながら歩いて、時々思い出してその辺の人に道を聞いて進んで、を繰り返していた。
そして最終的にわたしは中華料理屋に辿り着いた。
このときギリシャに来てから3週間ほど経っていて、もう体がパンやパスタを受け付けず、米や出汁の味を心から求めていて
気づいたら中華料理屋に吸い込まれるように入店していた。
このときのチャーハンと餃子が沁みるように美味しくて、
「この味が恋しかった」
と話すと店の中国人の人たちは
「君の家だと思っていつでも帰っておいで!」
と言ってくれた。
「パックしていい?」
と伝えると、お弁当箱のような立派な容器と共に、
「You need this, beauty?」
と箸を3膳くらい入れてくれた。
この日も小銭でチップをたくさんもらっていたので少しでも減らしたく、「コインok? 」
と聞くと
「もちろん!」
と言ってくれたので、全て小銭で積み上げて支払った。
会計を済ませながら、
「みんなカードやお札だからコイン助かるんだよね」
と言っていて、わたしは宿にあるもはや大きな金塊のようになった大量のコインの存在を思い出した。
ありがたい話だが、本当に多くて重かった。
「わたし家にめっちゃあるんだけど交換しにきていい?」
と言うと、
「え、お願い!」
と言ってくれたので、そのうち取引をしにまた戻ってくることになった。
そうしてまた少し歩くと、パリの蚤の市のようなヴィンテージの小物から椅子、家具までなんでもある、好きな人にとってはたまらない一角にたどり着く。
その奥にスーツケースを売っている店があり、
この三味線ケースをのせてごろごろできるのある?
と聞いたら、奇跡的に店の奥に一つあると持ってきてくれた。
だいぶ省略しているがここまでの道のりは本当に長く、ヴィンテージの雑貨ばかり並んでいるので、あのディカプリオはてきとうなことを言っていたんじゃないかと疑い出していたところだった。彼は正しかった。
「三味線は振動に弱いです」と師匠が言っていたのが遠く思い出されるが、疲労は限界で、メルカリで数万円のスペアだったこともありとにかく地面を引きずらせてでも早く手から下ろしたかった。
しかしお店にあったのは普通のスーツケースのためのものだったので、長い三味線ケースを固定するのが難しい。
すると、店主と井戸端会議をしていたマンマも協力し、3人が知恵を絞り汗をかきながら、いろんな紐を駆使したりしながら転がせる三味線ケースを完成させてくれた。
重さから解放された嬉しさとマンマたちの優しさに思わず目が潤んだ。
ギリシャの優しさは、何度も人を泣かせにくる。
機動性が非常によく、どこまでも三味線を持って歩けそうだった。
その夜、エジプト家族とのメッセンジャーで「餃子が食べれました」と伝えたら、男の子が携帯で返信してくれた。
「今度は、エジプトで一緒に演奏して、いっぱい稼いで美味しいもの、食べに行こうね。僕の作る餃子も美味しいよ。がんばれー」
とメッセージをくれて、思わず携帯を抱きしめた。
その日の夜は津軽音頭の練習をした。
次の日も淡々と出勤をする。
慣れてきたのか、だんだんいつも人だかりができるようになってきていた。
客観的にいつも少し衝撃だったのが、中高生の現地の女の子たちの中でアジア人気がとても高いことだった。
日本の女の子がハーフや海外の女の子に憧れるのはよくあることだったが、それと逆のことが起きてみんな自ら
「フォローしたよ!」
「あなたのスタイルが大好き!一緒に写真を撮ってもらってもいい?」と
たくさんのガールズが仲良くなってくれた。
みんなBTSが好きだったり、韓国ドラマをネットフリックスで見ていたり、アジアな子が大きめのジーンズにスウェットにスニーカーをはいているのが、画面で見ていたアジアのイメージに近かったのかもしれない。
生き方を模索している日本人は、多分ヨーロッパで三味線を弾くだけで一瞬でスターになれるので一度は試して欲しい。
リクエストされるがままに女の子たちと写真を撮り、ガールズ、ギャルズに国なんて関係なく、みんな仲間なんだなあと思った。
その調子で次の日も弾いていて、そのときはイタリアのじじ父息子の3世代がワンダフォー!と声をかけてくれていた。
お父さんがイタリア語しか話せないのにすごく情熱的に何かを語りかけてくれていて、息子が隣で全部英語に翻訳してくれていて、
「イタリア語かっこいいなあ、、」と思っていると
「すちゃっ」とまた誰かが降り立った。
エジプトボーイが再び現れて、家族みんなとまた再会することができたのである。
嬉しくて嬉しくて、イタリアファミリーに「This is my family!」と紹介し、みんな仲良くなってなんかもうみんなファミリー!みたいになった。
「ちゃんと食べてる?一緒にお昼にしよう」と言ってくれて、その日はそこで閉店し少し遅めのランチにご一緒させてもらうことにした。
エジプトファミリーはわたしがいた場所のすぐ横のカフェに入り、わたしの分まで注文をしてくれていた。
三味線を片付けて合流し、ここ数日のそれぞれの話をした。
メテオラは温かかった、むしろ暑いくらいだったらしい。
私の旅の前半の凍えるギリシャはなんだったのか。
ご飯を食べながら、みんなでいろんな話をした。
「将来何になりたいの?」
女の子「バスケの選手か、Scientist!」
「かっこいい〜!」
お母さん「モデルになったらお洋服もらえたりするらしいよ」
「それはいいかもなあ〜」
とみんなで笑ったりした。
女の子はすごい笑顔が可愛くて手足もすらっとしたすてきな子だが、
頭脳や音楽、スポーツならまだしも、
この子の笑顔はわざわざ世間様のものにするより
家族や好きな人のものだけでもいいなあと
ふと我が子のように考えてしまった。
「俺はバスケかサッカー」
と男の子がハンバーガーで口の周りを真っ赤にしながら答える。
ちなみにこの兄妹は、エジプト人も参加するトライアスロンで2人とも優勝する超スーパーboy&girlなのである。
さらに音楽もできる。
その才能の豊かさに、「その夢普通に叶うよね…」と思わず笑ってしまった。
「お姉ちゃんに洋服選んで欲しいなあ。
そのパーカーとネックレスはどこで買ったの?」
女の子がとんでもなく可愛いことを聞いてくれた。
しかしパーカーはユニクロでネックレスは屋久島のお土産屋で買ったもので、
「ごめん、ユニクロと屋久島…」と気の抜けた返事しかできなかった。
屋久島は「呼ばれた人が行く島」と言われているらしく、
呼ばれたというよりもわたしは
自身がキューピッドをしたカップルが屋久島にすごい家を作ったため時々遊びに行かせてもらっている。
Sumuというその家は住めば住むほど、
屋久島の自然が澄み自然をより良くすることができる。
日本古来の建築法を使い、現地の菌や植生、風の通り道に最適な作用をするように作られ、
これを書いている現在世界的な建築、デザインのグランプリを何個も受賞し二人はドイツの授賞式に出かけていた。
Sumu
Yakushima
昔から人の縁を偶然つなぐことになることが本当に多いのだが、ここまでパワフルなカップルもなかなか珍しい。
そんな屋久島のお土産屋で買ったアメジストのペンダントをわたしはギリシャでもつけていた。
そこでふと思い出し、
「あっちの道をまっすぐ行くと、天然石のアクセサリーいっぱいあったよ!一緒に行く?」
とディカプリオに言われた果てしない道のことを思い出した。
お母さんが「ほんと?今日は少しみんなで買い物したかったの。
予定が大丈夫なら、ぜひ!」
ということでこの日はショッピングツアーになった。
エジプトボーイは体力を持て余しているのか、歩きながらボールを蹴っているかと思えば、塀を見つけてはパルクールをして忙しそうだった。
それに女の子がちゃんとついていけてるのもまたすごい光景である。
両親はいつものこと、というように平然としていた。
そして気づいたら男の子は横で水笛を吹いていて、アテネの空に高らかに鳴り響いていた。
天然石のアクセサリー屋に辿り着くと、さっそく2人ともエジプト方式で格安に値切りそれぞれ好きなネックレスを手に入れた。
例の中華屋を通り過ぎ、例のスーツケース屋ではみんなが昨日のマンマにお礼をしてくれた。
商店街で女の子のパーカーを選び、ギリシャ独自のブランド、その名も「ファンキーブッダ」の話で盛り上がった。
お父さんはブッダが好きらしく、お店があったらいいのになあ!と話していたらわたしたちの真後ろにファンキーブッダの看板があった。
仏は割といつでもそばにいる。
そこでお父さんもブッダTシャツを ゲットし、男子チームはタピオカ屋へ、女子チームはわたしの行きつけになっていたいつものコーヒーが美味しいカフェへ向かった。
エジプト編まで書けたらちゃんと書きたいなと思っているが、
この家族は何の見返りも求めず何年もシリア難民の支援を家族で行っていてNHKでも1時間特集の番組を組まれるほど、素晴らしい活動をしていた。
誰しも大人や人間にがっかりすることはたくさんあると思うのだが、
いてくれてありがたいな、存在そのものが光だな、と思うすばらしい家族だった。
そんな人が着るファンキーブッダの写真には、光が差し込んでいた。
「今日はゆっくりカフェで本が読みたかったんだよね」と女の子は英語でのギリシャ神話の本を読み出した。
愛読書は手塚治虫のブッダと火の鳥というから、小学校の時の自分と重なった。
竹山好きに出会った時もびっくりしたが、ブッダ火の鳥好きの小学生にも多分初めて出会った。
「しばらくはギリシャ?それかどこか行くの?」
とお母さんに聞かれ、先輩と母にヨーロッパを巡り尽くせと命を受けたことを伝えた。
すると
「本当にその通りだよ。今の時間、今しかないよ。
仕事、パートナー、子供、親、何にも今縛られてないなら、
本当に自由だよ。
とにかく行きたいところ無理してでも全部行っておいた方がいい。
お金とかはあとからどうにでもなるから。
わたしには姉がいて、姉はわたしに
『結婚は30過ぎたら考え始めなさい。
20代は絶対自分のことをしなきゃだめ。自分に時間を使いなさい。』
ってずっと言われてて、わたしもそうしたの。
だから今はとにかくやりたいことやって、三味線弾いて、
行きたいところに行って。
お姉ちゃんにかわいいお子さんもいるんでしょ?
もうご両親は孫の顔も見れたし、妹はもう少し好きにしてなさい。」
と笑って言ってくれた。
ちなみにこのあとパリで出会ったお母さんにもわたしは同じような言葉をもらうことになる。
そのあとはエジプトの魅力をたくさん教えてくれて、考えてもいなかったけれどすぐにでもエジプトに行きたくなった。
宿はあと3日くらいなので、今日明日には航空券を取らなきゃいけない。
そんなことを考えていたらその夜ロンドンにいる友達から連絡があり、
ちょっと悲しい出来事があったけれど会いたいからぜひロンドンに来て欲しいと言ってくれた。
その子は旦那さんの転勤でロンドンに住むことになり、
現地で出産し一人で育てていた。
姉の子育てを手伝い、
子供によっては大人3,4人いても子育ては大変だということをわたしは身をもって知っていたし
(正直旦那さんが育休を取って2人体制でも育児は大変だとわたしは思う)
それも言葉が不自由な中でさらに日常で辛いことがあったらその子は今どんな状況でいるのだろうと思い、
ギリシャの次はその子に会いにロンドンに行くことにしてチケットを手配した。
母にその旨を電話で伝えたら
「行って抱きしめてあげなさい」と新たな命がくだった。
その子の家が難しい間は、別のロンドンにいる先輩が家においでと言ってくれ、ロンドンに行くのも友達と先輩に会うのもとても楽しみになった。
次の日はエジプトファミリーが帰国する日で、子供2人にサプライズでホテルにお見送りに行くことにしていた。
お母さんとメッセージをやりとりしていると、女の子が
「最後にお姉ちゃんに会いたかったな」
と話してくれていたらしく、今すぐ抱きしめたい気持ちになった。
入り口近くに隠れていたら二人が
「あ!来てくれたの!」
と駆け寄ってきてくれた。
次の国の話になり、昨夜ロンドンに決めた経緯を話すと
「行って抱きしめてあげなさい」
とこちらからも命がくだった。
「エジプトで会おうね!」
と見送ろうとすると、
お母さんが紐のついた五円玉を出して
「これ持ってたんだけど、せっかくのご縁だからプレゼント。たくさんいいことやご縁がありますように」
と紫の紐のついた五円玉を手渡してくれた。
ありがたく受け取り、わたしはそれは財布のファスナーに結んだ。
写真を撮って、みんなはアテネ空港に向かった。
ファミリーを見送ったあと、その日三味線は休みいろんな用事を済ませることにした。
まずは重いコインを全て持ち出し中華料理屋へ向かう。
アテネでちゃんとおしゃれをして歩くと、道ゆく人が「You are beautiful!」と声をかけたり口笛を鳴らしてくれて、
「Thank you!」とか「I know!」と返してみんなで笑ったりしたのが楽しかった。
声をかけてくれるときも仲良くなりたいみたいな変な感じはなく、純粋にブラボー!Have a nice day!と爽やかな感じで通り過ぎていくのがとても清々しい。
三味線を褒めるにしても、Amazing,、You are talented、quality person、などいろんな言葉をくれて人間としてどの言葉も嬉しかった。
とにかくギリシャは温かい。
そして中華屋に着いてチャーハン餃子を食べ、コインの準備をしていると
「いつまでも家だと思ってくつろいでていいよ!」
とみかんを出してくれた。
実家に帰ったかのようにしばしわたしはのんびりしていた。
笑顔で私たちは取引を終え、あと2日くらいでロンドンに行くんだと伝えると「また絶対来てね」と優しく見送ってくれた。
ロンドン滞在中には友達の誕生日もあるためバースデーグッズを買い、お邪魔するからにはと思って衣類の全てを洗濯し、少し荷造りをはじめてその日は終えた。
フライトの前日、三味線の最終出勤に出かけた。
いつからか、わたしはまず自分が座る場所を掃除(コンマリ)することが習慣になっていて、この日もピカピカにしてから座った。
人だかりができたり、みんなSNSでシェアしてくれたり、中高生たちとも仲良くなった。
車から応援してくれる人もいる。
わたしがYoutubeにあげているアテネの動画も、見てくれた人がくれたものである。
するとこの日も、
「日本の方ですか?」と声をかけてくれた人がいた。
小学生くらいの女の子と一緒にいて、南仏から旅行に来ているところだという。
「ずっと弾いてるんですか?」
「今日が最終日なんですけど、ヨーロッパの人に三味線を聞いて欲しいなと思って。誰かがやらないと、伝統が途絶えてしまうから」
と話していたら、
「ぜひ南仏にも遊びに来てください!あとからまた連絡しますね。がんばってね」
と言ってくれた。
ここまででわたしはロンドン、スイス、ハンガリー、南仏、エジプトに行くことが決定した。
さらにこの会話がのちに南フランスでの大々的なコンサートにつながるのだが、そんなことになるとはこのときわたしは予想もしていない。
そしてまた弾いていると、昨日も来てくれた三味線好きで日本語も話せるギリシャ人のジョージさんが今日も来てくれて、数曲聞いた後、20€のお札を入れてくれた。
「ありがとう!」
とさらに数曲弾くと、
「20€じゃ足りない。僕たちは、あなたのような才能のある人にはお金を払わなくてはいけない」
と言って、20€を50€に替えた。
50€なんて、日本円だと8000円とかになるのだ。
わたしはなんだかありがたくて泣きそうになってしまった。
そのあとまた弾いていると、目の前にホームレスのようなおじいさんが近づいてきた。
「わたしのチップはやらんぞ…」
と思っていたら、その人は笑顔でわたしにチップを入れていった。
ギリシャ旅行中の老夫婦は
「アリガト!」
と日本語で言いながらチップと飴をくれた。
最後楽器を片付けていたら、ずっと遠くで聞いていたサングラスにタトゥーに革ジャンのショーンポールのようないかついいかにもやばそうなやつが近づいてきて、またもや
「わたしのチップはやらんぞ…」
と身構えていたら、
「You are amazing」
とチップをくれた。
身構えていたのなんてわたしだけで、ギリシャの人々、ギリシャを旅する人々はみんな音楽を愛する優しい人たちだった。
異動の挨拶に、アクセサリーカップルのもとを訪れた。
何かアクセサリーを買わせて、と言うと一緒に選んでくれて、インドからきたローズクオーツの指輪にすることにした。
「ローズクオーツはあなたのネックレスのアメジストのパワーをさらに高めてくれるよ。
このあとはどこに行くの?」
「ロンドンの予定、あなたたちは?」
「スペイン、イタリアのあたりを考えてる!」
「わたしもスペインとミラノに行きたいと思ってた!
また会えるかもしれないね」
「Finger cross! わたしたちはきっとまた会えるよ、あなたの幸運を祈ってる」
「この指輪があったらいつも一緒にいれるね。わたしもあなたたちの幸運を祈ってる」
わたしたちはハグして、お世話になった職場をあとにした。
帰り道の壁に
「Live your myth with Greece」と書いてあって、たくさんの奇跡をくれたギリシャに感謝した。
次の日宿をチェックアウトし、空港に向かった。
三味線も分解して詰め込み、準備万端である。
快晴で気持ちよく、バスの人が荷物を手伝ってくれたりしながら辿り着き、カウンターを探す。
聞く人聞く人皆違う番号を言うから何度もぐるぐるし、ようやくカウンターに着いてチェックインしようとする。
しかし、次の言葉にわたしは凍りついた。
「あなたが買ったのは、一ヶ月先のチケットみたいだね」
いろんな場所に何度も旅行してきたが、一度も経験したことがない、初めてのミスだった。
「うわあ!嘘だ!」
と日本語で叫び、
「Don't worry, you can go to London...」
と慰められた。
どこまでもギリシャ人は優しい。
宿はないしチケットはないし、当日のチケットは10万円だった。
頭が真っ白になりながら、ギリシャトラブルはまだ終わっていなかったのかと妙に納得した自分もいた。
結局このあとわたしは空港のソファで一晩過ごし、
ロンドンに行くはずだったのにパリに不時着することになる。
Contact : happy.michelle.island@gmail.com
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