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無駄を楽しむ


昨夜、店を訪れてくれたお客さん2人は、共に年齢では私よりも三回りほど若く、つまり36歳ほど年下だった。

私の店のBGMは、フォークや歌謡曲、ロックなど、その多くが私が若かった頃のポップスで、1970年代から1990年代に流行したものがほとんどなのだが、意外なことに昨日のお客さんたちはそのほとんどを口ずさめるほど知っていた。それらの曲がテレビやラジオで盛んに流された頃には生まれてもいないのに・・・。

もちろん、親の影響でそんな古い曲も聞く機会があったのだろうという推察はできるが、例えば62歳の私は親が若い頃に流行った曲などほとんど知らないし、知ったとしても惹かれることはほぼなかった。

3人で楽しく話が盛り上がる中、ふと私は音楽が親から継承される世代と、そうでない我々世代とでは何が違うのだろうと、どうでもいいことを頭の片隅で考察していた。

媒体がレコードから、カセットテープ、CD、そして今ではサブスクのウェブ音声配信に変わってきたことも要因の一つだろう。今の若い世代にはジュークボックスがレコードの曲を小売りする箱だったと説明しても、なぜそんなコスパの悪い機械に存在意義があったのかすら理解できないだろう。

考えてみれば、音楽鑑賞といっても今ではその多くが、ながら鑑賞でカーオーディオやipodのようなイヤホンで聴くスタイルがほとんどだろう。
移動中の人の半数は耳からうどんを垂らして歩いている。あのうどんからは、音楽に限らずYouTubeやゲームの音声が流れているのかも知れないが・・・。

音楽を聴く時間は、生産的でなく、何も生み出さないかも知れない。
言い方を変えれば時間の使い方として、コスパが悪いとも言えるのだろう。

効率至上主義ともいえる時代になり、とにかく無駄を排除する風潮が強まる中でも、お客さんや仲間とお酒を飲みながら無駄話をして、生産的でもない音楽を聴く。
そして、またその音楽についての思いを喋り、笑う。

社会では言えない話や、口にできない言葉が増える一方だが、そんな時代だからこそコンプライアンスがどうのということも気にせず、誰かに話を聞いてもらうことで心が軽くなることもよくある。
そんな空間でのルールは、誰も傷付けないということだけ。

そんな無駄話をした後の表情は、その多くが晴れやかにも見える。
これは私の実感で多分気のせいではない。
多くの人が、もっと無駄な時間を共有して、晴れやかな表情で生きていける社会になることを願いたいし、私の店もそんな一助になりたいと思う。

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