見出し画像

中島岳志.N H Kテキスト100分で名著;ガンディー獄中からの手紙 より ガンディーが、今を生きる私たちに投げかける真理


真理は神なり

 ガンディーは、真理は一つだがそこに至る道は複数ある、という宗教に対する考えに至理ました。 真理に至る道はヒンドゥー教的な道もあるし、イスラーム教的な道もあるし、キリスト教的な道もある、あるいは、仏教な道もあります。どの道を通っても『真理』に至るのにどうして通る道の違いで争うのか、ということです。(参1)
「わたしは、それぞれの聖典を尊敬のこころを持って読み、どの聖典にも同じ基本的な精神性を見出したのでした。「神は真理なり」というよりも「真理は神なり」と言ったほうがより的確です。(参2)
 これは、『神は真理なり』と言ってしまうと「イスラーム教の神は真理である」「キリスト教の神は真理である」といったように特定の宗教が定める神こそが真理であるということになって、「俺の宗教こそが正しい」となりかねません。そうではなく、「真理」という一つのものが、神となって現れているというのがガンディーの考え方です。それがアッラーという名前を与えられていようが、イエス・キリストという名前をもっていようが根本は「真理」であって、それは人間には把握しきれない「何か」である。だから「神は真理」ではなく「真理は神」なんだとガンディーは言い続けたのです。(参1)

 アヒンサー(ahimsa)


 ガンディーは「塩の行進」や「断食」を始めとした多くの政治的な行為を行なってきました。その根幹にはガンディーの「非暴力」という考えがありました。「非暴力」とはガンディーのシンボルのようになっている言葉だと思います。たとえば、デモのとき、インドの警官はラーティーと呼ばれる警棒のような堅い木の棒をもっています。デモを鎮圧するときにこのラーティーを使います。市民が隊列を組んで進んでゆく、その最前列の人を警官はラーティーをつかって思いっきり殴ります。もちろん痛いし、怪我をする人もいます。しかし、ガンディーは、そこで抵抗したり、やり返したりするのではなく、ただ次の列の人に一歩前に出ることを命じました。再度その列の人が殴られたら、次の列の人が前に出る。怪我した人は待機している救護担当の人に治療してもらい、回復したら、再度列に並び、そしてまた殴られる。それをひたすら繰り返すというのが、ガンディーが提唱し続けたデモの手法でした。『勇者とは、剣や銃の類ではなく、無畏をもって武装した人のことです。恐怖にとりつかれたものだけが、剣や銃で身がまえるのです。』(参2)本当に強い人間とは剣や銃で武装している人ではなく畏れを乗り越えた人々のことをいうと、ガンディーは「獄中からの手紙」で述べていました。さらに、抵抗せずに殴られ続ける民衆と向き合ううちに、殴る側の警官にも痛みが生じてくるとガンディーは考えていました。それは「なぜ自分はこんなにも人を殴り続けているのか。」という心の痛みであって、その痛みが民衆が殴られる物理的な痛みを上まわったときに、初めて本当の「非暴力」が生まれると、ガンディーは信じていました。そのように、「非暴力」というのはたんに「殺生しない、危害を加えない。」といった消極的なものではなく、「生きとしいけるいっさいのものを愛する。」という極めて積極的な概念でした。(参1)

 ガンディーは、『バガヴァット・ギーター』に書かれたヒンドゥー教の聖なる教えに深く影響を受けていました。かれはまた、預言者モハメッドを崇拝し、他方で「悪に対して逆らってはなりません。誰かがあなたの右頬を打つのであれば反対側の頬をも出しなさい」とのキリストの教えを信じていました。かれは、これらの言葉を真剣に受け止め、暴力を決して用いない人は暴力を用いる人よりも強いと確信していました。ガンディーはこれらの考えを不正義に抵抗する非暴力の方法に導入していきました。(参4p 126)
 わたしは、ガンディーの求めるアヒンサーが、イエスキリストの教えに深く根ざしたものであると感じました。

スワデシー(swadeshi)

 スワデシーとはガンディーが提唱した非常に重要な概念で、「自国産品愛用運動」と、よく訳されますが、これはたんに「外国製品を排除して、自国製品を使え」というわけではありません。獄中からの手紙でガンディーは次のように述べています。『スワデシーの真正の信奉者は、外国人に対して悪意をいだくことはありません。言いかえれば彼は、世界中のいかなる人にたいしても敵対感情を持って行動することはありません。スワデシー主義は憎悪崇拝ではありません。それはこの上なく純粋なアヒンサーに根ざした無私の奉仕の教理です。』さらにガンディーは新約聖書マタイによる福音書を引用し、次のようにも述べています。『スワデシーの信奉者たちには、万人への奉仕のための祭壇に家族を犠牲に捧げるよう求められる機会が生じるかもしれません。このようなとき、進んで家族を犠牲に供するのが、家族にたいする最高の奉仕となるでしょう。「自分の命を得ようとする者は、それを失い、主のために命を失う者は、かえってそれを得る」というのは、個人にとってと同様、家族という集団にとっても、そのまま当てはまります。』つまり、スワデシーとは、隣人を助けようという万人への奉仕の極致である、とガンディーは述べているのです。(参1)

全てが平等、愛する対象であるとする考え

 ガンディーはヒンドゥー教徒も、イスラーム教徒も、貧しいものも、富めるものも、すべてを平等と考え、愛する対象としました。私は彼にイエス・キリストの生き方に近いものを感じました。イエス・キリストが同じユダヤ人に殺されたように、ガンディーもヒンドゥー教徒の過激派に喑殺されました。『ガンディーの死後、ヒンドゥー至上主義を唱える民族義勇団は非合法化され、インドの国民を反イスラーム的なコミュなリズムでなく、宗教が平和的に共存する「インド型世俗主義」の方向へと向かわせるための礎石となった』(参3)と国際政治学者の竹中千春は述べていました。ガンディーは死後も平和へ貢献したのです。
 現在、民族間の争いは激化し、貧富の差はどんどん広がっています。社会の分断も広がっています。その中で、ガンディーが投げかけた「真理は神である」という考えが、人種や宗教などの垣根を超えてつながることができるヒントであると思います。

参考文献
1:中島岳志.N H Kテキスト100分で名著ガンディー獄中からの手紙 N H K出版
2:ガンディー.獄中からの手紙 森本達雄訳 岩波書店
3:竹中千春.ガンディー  平和を紡ぐ人 岩波新書
4:ジェイミー・バイロン他.前川一郎訳.世界の教科書シリーズ34 イギリス中学校歴史教科書「帝国の衝撃」 明石書店


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?