罰としてのトイレ掃除
高校時代、部活の後輩が、校則を破り、先生に怒られた。部活中の出来事だったこともあり、部としてどうするか、キャプテンを中心に話し合われ、1週間、部活前に皆で校内を掃除することになった。
何か悪いことをした時に、罰として、「〇〇をするように」と命ぜられることはよくあった。今は、時代が変わり、なくなっているかもしれないが。
罰として何かをする(させられる)ことは、その後の人生に大きな影響を及ぼすのではないかと思う。
罰ではなく、生活の一部として、その行動が必要になった時であっても、無意識に、罰を受けていると認識し、嫌だなと感じるのではないか。
罰としてトイレ掃除をしたことがある人は、自分の家のトイレが汚れ、掃除しなくてはならなくなった時、どう感じるだろうか。なんとなく嫌だなと感じるのではなかろうか。それは、トイレ掃除そのものが嫌なわけではなく、罰を受けているような感覚になるからなのではないか。
自分が、なんとなく嫌だ、やりたくない、と感じることの背景には、昔受けた罰が関係しているかもしれない。