見出し画像

自動手記で質問に回答していただきました


フォローさせて頂いている、さくスピ好き@自動手記する人 さんが、自動手記への質問を募集されていたので、最近気になっていたことを質問させて頂きました。
正直「自動手記」というものもよくわかっていなかったのですが、とてもスッキリする答えを頂けたと思っています。

質問募集はこちら  ↓


私の質問への回答はこちら  ↓


質問では「身近な人」とボカしましたが、姉のことです。身内のことをいうのも憚られてぼやかしましたが、その結果回答がぼやけたかというとそうでもないと感じます。
血の繋がりがあろうとなかろうと自分と他人は分けられた存在ということを再認識しました。

姉とは子どもの頃は4歳の年齢差も大きく、活発で気の強い姉とおとなしいタイプの私で、一緒に遊んでいても支配され横暴に付き合わされている感じで嫌でした。
お互い社会人になってからは、よく旅行に誘われて一緒に行きました。時はまさにバブル時代。軽井沢、伊豆、スキーにゴルフ。姉の車ローバーミニであちこち出かけました。その際、姉は自分のファッションとコーディネートした服を「これ着てね」と私に渡してきました。当時は姉に対して好きも嫌いもなくニュートラルな気持ちだったので、誘ってもらってラッキー服も用意してもらえてラッキー、子どもの頃は嫌いだったけど今は仲良くなったなと思ってました。
今こうして振り返ってみると妹の私を支配してアクセサリーにしてたんですね。私の方に反抗心がゼロだったのでうまくいっていたのでしょう。
素敵なテラスハウスを見つけたけど一人で住むには家賃が高いから一緒住んでと誘われて一緒に住み、結局通勤が遠いのとやっぱり家賃が高のとで長続きせずすぐにまた引越し、ということもありました。
随分振り回されてたなと思いますが、ずっと一緒にいるとそんな感覚にも慣れてしまうのでしょう。

徹底して自分のやりたいようにやるタイプの姉ですから、親とは喧嘩が絶えなかったようですが、私はあまり感知していませんでした。
父と仲が悪いことは知っていましたが、今年の夏に母が亡くなり、思い出話をするうちに母との間にも根深い確執があったことがわかりました。

結婚して海外住みとなった姉とはメールでやり取りしていましたが、だんだんと疎遠になっていきました。姉は向こうで病気をしたことや色々あって、だんだん弱音を吐くようになり、愚痴になり、僻みになってきました。そして自分にとっては親が毒親で虐められたと言ってくるようになりました。

母が亡くなったことで当然姉とも連絡を取る必要があり、十年以上ぶり?くらいで電話の声を聞きました。
「責めるわけじゃないけど一度も電話してこないじゃない」と責められました。話したい相手なら電話してるでしょう。こちらがメールで悩みを書いても、その百倍くらい自分は辛いと返ってくるような状態でした。

とはいえ、親が他界するステージとなった今、姉が親への恨みを募らせたまま今後の人生を生きていくのは良くないんじゃないか、などと思うようになりました。姉が自分は嫌われていると思い込んでいる父と私が今一緒に住んでいることで、余計に僻まれてもなという気持ちもありました。

それで質問させて頂いたのですが、実はこの質問を書き込んだ直後に事態が好転する動きがありました。
偶然かも知れませんが、私が思いを表面に出したことで、位相に変化が起きたような気がしました。気のせいだと思いますが。

そしてこの回答をいただいて、自分の立ち位置を確認することができました。私の親と姉の親は同一人物だけれど、パラレルワールドのように別々に存在しているのだと悟りました。私は私の人生を生きることしかできない、姉の人生の中の親子関係は私の問題じゃない。そのことがはっきりしました。

私は私の人生の中で出来ることをするのみ、それは私の問題解決としてこのような質問をさせて頂いたけれども、それで姉の問題を解決するものではない、ということがよくわかりました。

質問でボカした割にはがっつり姉について語ってしまいました。

ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?