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競争ができない僕〜補助席物語〜

どうも主に姫路にいるhideです。
毎日好き勝手な事書いて、友達の仕事を手伝って、あんまり働かずにチンタラ頑張って生きてます。漫画とゲームと音楽好きです♬
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それでは本編へGO



電車を並んで待てない

こんなの並ばなくていい。

電車移動が多い僕だが1人でいる時は僕は乗り場に並ばない。
いや、正確にはとてつもなく混んでたら並ばないといけないので仕方なく並ぶのだが、そこそこ並んでる、、ぐらいなら並ばない。

ホームの椅子があいてれば椅子に座って電車が来るのを待つ。
当然後から来た人はどんどん並ぶので、どれだけ早く着こうが電車に乗るのは一番最後。
混んでる時には座れない。

長い列車などは端の方の一番人がいない入り口にまで行く。

正直なところできれば座りたい。
座れた方がスマホの操作もしやすい。
だけども座るための競争には参加したくない。

限られた数の椅子に座るためには「我先に!」と並ばなければならない。
しかし並び順というのは座る順番を約束されたものではない。

一番前に並べば一番座れる確率が高いのは確かだろう。

だが、電車がついた時に、中から人が出てくるのを僕は余裕を持って待ちたい。

僕は中から外に出る時も遅い。
「我先に!」
と出る動きが嫌なのでゆっくり最後に出る。
すると入れ替わりで入ってくる人が少し食い気味に入ってくる。

ダルい。

でもわかるんよ。

並んでて一番前の場合、自分が早く中に入らなければ後ろの人は続いては入れない。なんとなく「もう行けるやろ、早く乗れよ」と急かされているような気になるのだ。見えない圧力、もしかしたらあるはずもない圧力に気持ちが滅入るのだ。

だから最後まで待たずに食い気味で入ってしまう人の気持ちも少しはわかる。

僕のストーリーをよく見てくれる人にはお馴染みだが僕は電車を降りると東京都内以外は人がいなくなるまでホームに佇む。

そして人波がおさまってからエスカレーターなり階段に向かう。

近くの人の気を感じるのが嫌なのだ。

電車に乗る話に戻ろう。
そして入ったは良いが、ガラガラの電車でもない限り、今度は空席を探すという作業に追われる。
中に入ってからは順番など関係なく早いもの順、圧の強い順に席をゲットする事になる。

この椅子取りゲーム感も死ぬほど嫌いだ。
僕は目の前の補助席にしか基本的に興味がない。何故かあそこは他が埋まるまで使わないという暗黙の了解をみんな持ってるらしい。

そんなことは俺には関係ない。

補助席が空いてる状態で開けれる状態なら
おもむろにそこを開けて座る。
最高だ。

椅子取りゲームに参加する事なく目的を果たす事ができる。

席が一つしかない場合、近くにいる誰かも、こちらに向かってくるあの人もきっとそこに座りたい。
その「気」がとても不快だ。
だったら僕はその勝負には参加しない。
その椅子はくれてやる。

誰かを負かせて自分が勝つという結果の起きる行為が気持ち悪いのだ。
楽しめないのだ。
不快で不愉快で落ち着かないのだ。
勘違いしてほしくないのだが"良いヤツだから"ではない。あくまでも自分が気持ち悪いからなだけだ。

そんなこんなで僕は移動もできれば1人が良い。
こんな思考に連れの人を突き合わせるわけにはいかないので、誰かといる時は普通の動きを頑張る。空いてる席を探すし、連れの人が座れるようにもする。

公共で人が集まる場所には
人としての生き辛さがギュッと詰まってる。
それがとてもしんどいけど、とても面白い。
そう。面白いなとも思ってる。

今日も僕は一番最後に乗り、一番最後に降りる。徹底的に競争に参加しない。
これが僕の生き様だ。

サバイバルゲーム状態なら体力が尽きれば先に死んでしまうだろう。
面倒だから自死するかもしれない。
誰かを押し退けて何かを達成しようとするエネルギーがない。

もし、そんな事になるとしたら僕は極端だから、全力で全てをブチ頃してやろうと思う。


とある電車のエピソード

そんなわけで、電車の話を掘ると自分の競争嫌いの輪郭がクッキリと浮かぶ。
例え席に座れても気持ちが悪い。

例えば賞レースなんかも1位を取れた事に喜ぶより、2位や3位、、てか死ぬほど頑張っても見向きもされない人の事を考えてしまいそこまで喜べない。

そんなん仕方ないやん。
で済ませられない。
良いようのない気持ち悪さ。
なので最初から参加しない。頑張らない。
テキトーにやって、運が良かっただけにする。

もう一つエピソードを書こう。

いつものように最後尾から電車に乗ると
その時は補助席も利用されていた。
僕は端にもたれかかりスマホをポチポチする。
立っていようとそれができれば問題ない。

補助席🅰️は1人(2人座れる)
補助席🅱️には2人座っていた。

もうすぐ駅につくとう時に補助席🅰️の人が
立ち補助席🅰️は無人となった。

それを補助席🅱️の人が見逃さずピクリと動き目線をそちらにやっていた。

僕はその様子を見ていたので、動かなかった。

賛否あると思うが僕はこの
「座れてるのに席を移動する」
という行為もできない。

席を自ら移動するということは隣にいる人から離れたかったという意識の表明となる。
もちろんその通りだろうが、なんとなく嫌なのだ。よほど嫌でない限り僕はこれはできない。

好意的に捉えると向こうも遠慮して動けないのだろうからこちらから離れてあげる、、という解釈もあるが、それはそれで遠慮できるものどうし、そこまで不快ではないのなら動かなくて良いと思う。

というわけで補助席🅰️も🅱️もともに2席中1席だけ埋まる状態となった。
当然そこに座る気にはなれない。
わざわざ席を移動した意味がなくなってしまう。

やがて渦中の人たちは電車を降り、補助席がシンプルに空くのだが、その頃には他の立っているお客さんも多い。
きっと座りたいはずだ。
挙動が重なる事は避けたい。

僕が座るのは完全に動きがなくなって、席が空いてからだ。
(体調悪い時とかは別よ)

目的駅の二つ手前でその時はきた。
僕は誰に気を遣うことなく、遣われることなく補助席に座った。

至高の瞬間である。



競走とは他人との究極のコミュニケーションだ。コミュ症✖️人嫌いの僕にはとても難易度が高い。

それ以外のコミュニケーションは必要に応じて頑張るし、なんならある程度は器用にできる。
競争はダメだ。

こんな無能人生を僕は生きてきたし今日も生きるしこれからも生きる。
死ぬまで生きる。
生きられないなら死ぬ。
殺さなきゃ生きられないなら殺さない。
それをやるなら殺しきる。

バランスを大事にしてる割には深層の思想は極めて極端。
だからこそバランスに酷く焦がれるのだろう。

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