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イオンシネマ障害者車椅子問題を考え、、ない。

どうも主に姫路にいるhideです。
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それでは本編へGO



炎上のあらすじ

イオンシネマ、車椅子、障害者、感謝、当たり前、、、

このあたりがバチバチとネットで議論をかましている。

ちょっと本題が熱を帯びすぎてるのでポストのスクショなどは今回は控えて記憶だけでテキトーに振り返り僕なりに考察したい。

今回の結論の一つがもっとテキトーにやろうぜ、、なので。

影響力のあるインフルエンサー的な障害者の方が(あ、ちなみに僕、障害を障がいと書くような配慮しません、が、してもいいししなくてもいい、どっちでもいい)どっかのイオンシネマに行った際のスタッフ対応が悲しすぎたと投稿。

字面だけ見ると確かにメンタルにくる人にはくるだろう言い方。
乱暴というよりは諦めてください的な。

そのポストがバズり、イオンシネマが謝罪文を出す流れになる。

このあたりで世論は完全に二分する。

イオンシネマのスタッフ側に同情する意見と
障害者に同情する意見だ。

一方が正義だと信じきっているから、反対側に刃を向けることをなんとも思ってない。
正論や感情のままに責め立てるから、責め立てられた方も、なにくそ!!と反抗。
対抗意見の穴をお互いに探しての論破合戦。障害者の過去の振る舞いなども晒され、ほれ見たことか!!と制裁される。

ちなみに僕の意見はややイオンシネマ寄りですが、言葉を選ばずに中庸の暴力を届けたい。

どちらもバカだなと。

"お気持ち"がキッカケになるのは人間だから仕方ない。でもすぐに理性的に相手のことを考える振る舞いをしないといけない。


国民総ガーシー化

まず僕の思う一つの問題は、なんでもネットやSNSのチカラで正当性をアピールしたり報復しようとすること。

嫌なことがあったらすぐにSNS。

建設的に解決したいとか改善したい!じゃない。後からそんなことを言いだしたりはするが基本憂さ晴らしと共感募集だ。僕も良くやる←
(でも僕はどこか笑いにしたり、自分が悪者になるような自虐的、露悪的な表現をする)

たしかにインターネットのチカラは強い。正義は勝つ!!をやりやすくなってきた。

果たして人社会はそんなことで成り立つのだろうか?
僕は正義が勝つとは思わないし、正義が勝つ!が人にとって良きものをもたらすとは思わない。

もちろん悪が蔓延るのは論外だが、人が行使する正義など悪と大差ない。

自分に正義がある!共感がある!と信じ諦めることをしなかったため戦争がはじまった。
(これが障害者側)

そして間違ってるのはお前だろ!!と間違いを許さないことで戦争は激化した。
(これがイオンシネマ側 イオンシネマそのものはなんもしてないけどね!)

全てを飲み込め!
我慢しろ!諦めろ!
なんて言ってない。

我慢しないといけないこともあるし
我慢しなくてよくなったこともあるやろ
と。

全てを許せ!とも言ってない。

間違うこともあるやろ。
所詮人間ごときなんやから。


虚無れ!!

自分ならどう向き合うかなぁ、、
まず映画館にいってスタッフに対応を断られましたと。

しゃあないやんw
アカンもんはアカンねん。

車椅子やから冷たくされたわけじゃない。
誰に対しても無理なもんは無理やねん。

今日どうしても映画が見たいんです!
でもお金がないんです。
私は不治の病で、、思い出が、、
とか言われても「帰ってくれ」ってなると思うのよ。
この例はお金がトリガーやけど、金払えばなんでもええとかでもなくてね。

車椅子やから諦めないといけない、、でもないのよ。
みんなそれぞれたくさんのことを諦めてる。
スタッフもその対応すると通常業務を諦めることになる。
誰が何を諦めるか?なのよ。
誰かが何かを諦めないといけない。

読んでないけどw
諦めない方法ばかり探さずに
どうやったら気持ち良く諦められるか?
も考えた方が良い。

車椅子だから諦める事が多い。
それはそうだろう。
でもそうやって誰が1番大変か可哀想か大会に参加すべきではない。
ただ受け入れるしかない。

今日死ぬ人もいる。
明日も誰か死ぬ。
それはそうなっただけのこと。
諦めるしかない。受け入れるしかない。

でもね、とはいえね、そんなロジカル哲学の話だけじゃなくてね、障害者の人はただ気持ちが欲しかっただけなんやとも思うのよ。

どうしても映画がその席で見たい!とかじゃなくてね。それが悲しくて辛くて行き場がなくてインターネットに表現してしまうんやと思う。

その"お気持ち"も少しは理解してあげてほしいよね。

スタッフの立場から
医療関係の立場から
障害者の立場から
様々なお気持ち交じりの正論が飛び交う。
話は捻じ曲がり、感謝論のような議論がなされてたりする。

ちょっと嫌やっただけやねん。

ちょっとブツクサ言っただけなのに、、

ここを言うならば、、なんやろな、、
「よしよし、、」
と寄り添い型のスルーが無難なんだろうなと思う。

でもみんな改善魔なんよな。
もっとより良く!とか
もっとwin-winに!とか

そんなもんないのよ。

いや、あるんかもしらんけどめちゃくちゃ少ない。そのめちゃくちゃ少ないものを手に入れられなかったらダメ!クソ!みたいに生きてたらそら生き辛いよ。

誰かが割りを食い、誰かが少しずつ傷ついて、誰かが嫌な思いをすることで成り立ってる。

だからこそ癒し合うことが必要。
傷つかない方法ではなく傷はつくものだからそれを癒す方法が必要で、それはSNSで議論することじゃない。

こんなことをいくらやっても人の未来は変わらない。変わったように見えてもまた新しい絶望を探して新しい争いを始めるだけだ。

まぁそれもおもろいからそれでもいいんじゃないと僕は思ってたりするけど、少なくとも皆んなの思う平和的解決だとか皆んなで笑顔に、、なんてことは議論からは生まれない。

平和とは虚無だよ。

争いに、飽きたから、諦めてる
虚無いけどとても平和だ。

この先、何かに肩を入れて争うこともないとは言い切れないけどね。
中庸というポジションで、どちらも敵に回してるとも言える。
中庸とは第三のポジションで、結局は争いにしかならないのだろうか?

てなところでお開き!!

今日もテキトーに生きます!!


追記!考えたい人へ

僕はそんなに考えなくて良くない?
の方向で問題を収束しようとしてるが、とことん考え尽くしたい人には僕の友達のポスト
14000文字を読んでほしい。




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https://camp-fire.jp/projects/view/91309


「絶望と共にenjoy」を理念とし、日々を生きやすくする発信を毎日しています。  

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