七年後の春
今年の春、南三陸へのボランティアに向かう途中で写生した五句に『七年後の春』というタイトルを付けて市のコンテストに応募したところ、運よく入選したようです。写真やコメントとともにご紹介します。
風光り怯ゆる町のトン袋
第二原発から第一原発にかけて、道の両側に積み上げられた黒い袋。一袋に一トン入ることからトン袋と呼ばれているそうです。中身は汚染土です。嬉しいはずの春風も、近隣の住民には恐ろしく感じられることもあろうかと思うと、悲しくなりました。
山吹も信号も黄や大熊町
大熊町の辺りでは、信号が全て黄色でした。まだ居住制限区域なのですね。ところで、一つ手前の富岡町は昨年から帰還してよいことになっているようですが、まさか「注意して住んでください」ということではないですよね。ガイガーカウンターとにらめっこしながら偉い人が決めたことですから心配ないのはわかっていますが、信号と同じ色の山吹は不安そうに揺れていました。タイトルの写真が山吹です。
藤の花戸を塞ぎをり双葉町
空家を覆うように藤の花が咲き誇っていました。その逞しい生命力に拍手を送りつつも、家主の気持ちを思うと辛くなりました。また、空家は民家だけでなく店舗もまたしかりで、量販店のシマムラはガラスが割れたまま、店内の洋服はかかったままの状態でした。
セシウムに怒る浪江の竹の秋
空き地から黄色い竹が鬼の角のように伸びて、空に突き刺さっていました。竹林のように整然とではなく、行儀悪くあっちこっちに伸びている様は、まるで大地が怒っているようでした。
勝ちてなほ勿忘草よ大川小
大川小学校の悲劇をご存知ですか? 津波の際、学校側の判断ミスにより児童と教職員あわせて84名の尊い命が失われました。どのような判断ミスかというと、裏山に逃げずに橋の下に逃げたのです。津波よりがけ崩れを恐れたのかもしれません。あるいは、裏山を登るのは児童には無理だと思ったのかもしれません。いずれにしてもやりきれないのは、「地震がきたら山に逃げろっておじいちゃんが言ってた」と泣き叫ぶ子供を無理やり橋の下に連れていったということです。言うことを聞かずに山に走って助かった子供の証言です。この悲劇に遺族は裁判を起こし、仙台高裁は市と学校に14億円以上の損害賠償を命じました。私が大川小学校を訪れたのはまさにその判決が下された翌日でした。「勝ちてなほ」とあるのは、そういうことです。
大川小学校の児童が拓けなかった未来を、かわりに拓いてあげなければいけないような気がします。「かわりに」というのが僭越な気もしますが。
最後に、さいたま市民文芸第17号の写真をアップして終わります。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。