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映画アマデウス 大天使になったサリエリ

この秋は、ショパンコンクールに注目し、辻井伸行さんのピアノコンサートに行き、クラシック音楽に興味を惹かれています♪
そんな中、好きな映画の一つである「アマデウス」を久しぶりに観たくなりました。1984年度アカデミー賞8部門を獲得しているこの映画…37年前とは驚きです。そんなに前になるのかぁ


「神童」と呼ばれ、天才的な才能を持つモーツァルトと、その才能に憧れ嫉妬し復讐する宮廷音楽家サリエリ。映画の終盤、二人でレクイエムを創作するシーンは色々な想いがよぎります。

私生活は不調和そのものだったモーツァルトが、幾重にも楽器と音を重ねて「ハーモニーだ!」と叫びます。音楽の中では素晴らしい調和を生み出します♪
モーツァルトからよどみなくあふれ出てくる音を必死に譜面に書き起こすサリエリ。モーツァルトの素晴らしい感性をキャッチし、二人の意気が投合する場面、サリエリはとても満足気で嬉しそうな笑顔です。
モーツァルトは少し休もうと言いますが、サリエリは「疲れていない、平気だ」と言って続けようとします。サリエリは早くレクイエムを完成させてモーツアルトに死んでほしいと思っているのか…
いや、この2人での楽曲作りの過程がサリエリにとって至福の時なのではないかと私は感じました。

モーツァルトは自分の死が近づいているのを察していますが、レクイエムの作曲依頼者がサリエリだとは知らず、サリエリの優しさに今までの非礼を詫びます。
「恥ずかしい…バカだった…許してくれ」と…

サリエリはモーツァルトの理解者であることを自負しています。自分の圧力によって5回で公演を打ち切らせた「ドンジョバンニ」は、こっそり5回見に行ったと告白しています。サリエリがモーツァルトの才能に惚れ込む愛と妬み憎しみとの葛藤が切ないです。

「愛情と憎しみは紙一重」
「愛情の反対は無関心」

もし、この映画のこのシーンでモーツァルトが死ななかったら…この後二人は意気投合して大儲けしていたのでは?
サリエリは宮廷音楽家としてこれまで常に道徳的で紳士的な態度で周囲に接し、とても策略家。サリエリは十分にモーツァルトの才能を理解しているし、すでに影響されている。惚れている。モーツァルトをサポートする立場に自分を受け入れることが出来たなら…自分の中で、二人の間で何かとてつもなく良い化学反応が生まれたのではないかと思います。

【大アルカナ・節制】keyword:反応
大天使ミカエル


とはいえ、サリエリが欲しかったのは
「才能」と「自分の死後も曲が残り名声が語り継がれること」
こんな風に像が建って、観光地になるとか望んでいたのかな…

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↑モーツァルト像

サリエリは、神に祈り生涯純潔を守り自分を律してきました。過剰な道徳心でモーツァルトへの妬みを正当化してきました。「神はモーツァルトには才能を与え、自分にはその才能を理解する能力を与えた」として、自分がどんどん陥れられてゆく感覚が浮き彫りに…神に対して失望し…十字架も火に焼べてしまいます。

ヨーゼフ2世から信頼され、晩年まで宮廷音楽家として活躍し、音楽教育者としての才能人望もありました。地位も名声もあり十分誇れる人生です。ところが時が経つにつれ、自分の曲は忘れ去られ、モーツァルトの曲は愛され受け継がれてゆくことを目の当たりに…

最後のシーン、うなだれている若造神父にサリエリが言います。
「慈悲深き神は、愛する者(モーツァルト)を殺し、凡庸な人間にはわずかな栄光も与えはしなかった。」
「あんたも同じだよ。この世の凡庸なる者の一人。私はその頂上に立つ凡庸なる者の守り神だ」(英語ではチャンピオンと言っている。)
一緒に入院している精神病患者に「凡庸なる人々の罪を赦そう」「罪を赦そう」そう言って回るサリエリ…

とうとう自分は「神・大天使・守護神」になったのだ‼︎

【大アルカナ・審判】keyword:解放
大天使ガブリエル


映画の冒頭、モーツァルトに許しを乞うていたサリエリは、自分が守護神になることで自分を赦すことができたのだろうか。モーツァルトの呪縛から解放されたのだろうか…

モーツァルトの才能を感じる印象的なシーン
義母が怒りをまくしたて金切り声をあげている。金切り声からオペラの曲が浮かぶ♪モーツアルトならではの才能なのか…音楽家ならある程度あり得ることなのか…

美しいクラシック音楽・ミステリー・心理…37年経ってもとても見ごたえのある映画です

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