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『マイ・ブロークン・マリコ』と、ひとりでする食事

もう誰とも一緒に食事はしない

幼なじみのマリコ(奈緒)が死んだと知った、主人公シイノ(永野芽郁)。マリコを弔うため、彼女の実家へ乗り込んで遺灰を奪ったシイノは、マリコとの記憶をたどる旅へ出かける。回想シーンで明かされるマリコの過去。電車やバスを乗り継いで目的地へ到着したシイノだったが、ひったくりにあい財布を取られてしまった。親切な釣り人のマキオ(窪田正孝)から五千円をもらった主人公は、自暴自棄になったのか、酒に酔って野宿することに。かつてマリコが「行ってみたい」と話していた土地へやってきたものの、虚無感にさいなまれるばかりである。自分に何の相談もなく命を絶った友人に、やりきれなさを覚えたシイノだったが……。

劇中、シイノは誰とも食事を共にしない。冒頭、マリコの死を知ったラーメン屋。夜行バスで移動した先の店で食べる牛丼。ひったくりにあった後に寄った居酒屋。電車の座席で食べる駅弁。そして最後に、冒頭のラーメン屋へ戻ってきた彼女がとった昼食。どの場面でも、主人公はかたくなにひとりで食事をする。「私が共に食事をする相手など、この世の中にはもはや存在しないのだ」といわんばかりに、彼女はひとりの食事にこだわっている(考えてみれば、最初のシーンでシイノがラーメンを食べているとき、すでにマリコは死んでいたのであって、物語冒頭ですでに「共に食事をする相手」は失われていたことになる)。唯一、彼女が誰かと何かを食べる可能性があったのは、マリコと待ち合わせた店でテーブルに運ばれてきたパンケーキだが、シイノがマリコの行動に激怒したところでシーンが終わっている。あの後、ふたりは気を取り直してパンケーキを食べたのだろうか。それとも、主人公はパンケーキに手をつけず店を出てしまっただろうか。

ひとりで食事をし続ける主人公

死の影がつきまとう旅

映画全体を通して描かれる、シイノの無力感に惹かれた。主人公がマリコに対してできることはあまりない。どのように回復すればいいのか見当もつかないような深い傷を負いながら、マリコはかろうじて生きていたのであって、いかなる説得も励ましも、本質的な治癒にはつながらない。このどうしようもない無力感。たとえどれほどに仲のよい親友であっても、手を差し伸べるには限度があり、マリコは誰にも手の届かない場所でもがいていた。シイノが二人前の牛丼を食べたのは、だからきっと、マリコと一緒に食べられなかったパンケーキの埋め合わせなのだと、映画を見ながら思った。自分を傷つける選択をしてしまうマリコに正論をぶつけても、あまり意味がない。そのような段階はとうに過ぎてしまっていたのだ。

主人公が遺灰を抱えて向かった旅には、濃い死の影がつきまとっている。遺灰を奪った主人公が川を渡る場面も、不吉であり象徴的だ。シイノが遺灰を抱えて渡ったのは、まるで三途の川のようにも見える。川を渡った向こうにあるのはおそらく死の世界で、シイノは旅を続けるなかで死にぎりぎりまで近づくのだが、思い直して生の世界へ引き返す。「いなくなった人に会うには、自分が生き続けるしかない」と、マキオに教えられたためだ。生きるのはとにかく面倒であり、死んでしまえばすぐに人びとの記憶からも消えてしまう。テレビから流れる誰かの訃報は、すぐに別のニュースに取って代わられる。吹けば飛ぶような命の軽さに直面した主人公は、途方もない虚しさを抱えながら、それでもひとりで食事をして生きていこうとするのだ。どれほどしんどくても、シイノはそうして暮らすと決めたのだった。私たちが生きていく上で、それ以外に希望などあり得るだろうか?

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