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真夜中の交渉

クマが物に執着するという話は聞いた事がありますが、猫にもその傾向があるようです。意外と古い物や使い込んだ物にこだわったりして。必ずしも、新しければ良いという訳でもなさそう。欲しい物に対して、意外と粘り強い交渉力を示した事がありました。

高校生だった私は、ある日の午前2:00頃、耳障りな声で目を覚ましました。見上げると、当時の飼い猫『マロン』がデンと私を見下ろしていました。エサにされるというのはこういう心境でしょうか。猫に間近で見下ろされ、とにかく『恐い。』と思いました。

爪でも立てられたら大変と、私は起き上がりました。以前、眉間の辺りをシュッとひっかかれた事があったのです。あまりの速さに、何が起きたのか分かりませんでした。なぜそんなことをされたのか…あんなに可愛がっていたのに…。

とにかく主従関係をはっきりさせねばと、私が彼を見下ろす体勢をとり「何?」と話しかけました。

マロンは特に鳴きもせず、ただ、思いつめたような表情をしています。何だか分からなかったので、ひと撫ですると「おやすみ。」と言って再び寝ようとしました。すると、寝かせまい!とまた先ほどの耳障りな声を発します。

『エサかな?』とマロンを連れて階下へ。しかしエサには見向きもしません。『外かな?』と玄関を開けても出ようとしません。床にベタっとはりつき、違う!と言わんばかりの態度です。

結局、彼の要求が分からず、また2階に戻りました。しかし、私が寝ようとすると、再び寝かせまいと耳障りな声を出してきます。普段は大人しいのに、その晩に限って、珍しく頑固でした。

仕方ないので、また階下に連れて行きましたが、やはり下に用事はないようでした。真夜中に猫を連れて階段を上がったり下がったり…まったく何してるんだか…さすがに参ってしまいました。

寝室に戻り、マロンと向き合うと「私は今日、学校なんだよ。イイ子だから寝ておくれ。明日聞いてやるよ。」とコチラが下手に出る形になり、寝ようとすると「明日じゃダメだ! まだ話は終わってない!」とばかりに、また耳障りな声をあげています。(←確かに明日ではダメでした。今必要な物を欲しがっていたのですから。)

「まったくウルさいなぁ…静かに。」と言いつつ『困ったなぁ…どうしたっていうんだろう…』と私は座ったままウツラウツラ。マロンの方も困った顔をしています。『とりあえず話は聞いてくれているんだな。しかし、何でこの程度の事が通じないんだろう?』と思っているように見えました。

その時のきちんと前足を揃えて座っている姿は、初めて実家にやって来た時の姿に重なります。当てのない長旅で埃にまみれ、あやうく交通事故に遭いかかった所で、目の前の実家に飛び込んで来たのです。物凄い急ブレーキの音がしました。

「何事か!」と慌てて外に出てみると、1匹の仔猫がいました。たまたま庭掃除をしていた母の横を、茶色い仔猫がすり抜けて来たそうです。仔猫はしばらく恐怖で震えていましたが、やがてきちんと前足を揃えて何度も鳴きました。まるで「ココにおいて。」と言っているように。他にどこにも行く所がない事を、本能で知っていたようです。

あの時は片手にのるほど小さかったのに、その時は両手で抱えなければならないほど大きくなっていました。けれど、身体は成長しても、中身は仔猫の時とちっとも変わっていなかったのかも知れません。

さて、困った私はマロンを抱き上げ、背中を撫でてみましたが『どうして自分の気持ちを分かってくれないのか…』とグズグズ不満そうでした。何か言いたい事があるのは分かったのですが、何が言いたいのか、どうしても分かりませんでした。

その時、ちょうど私とマロンの間にあった枕を、私は何気なくポンポンと叩いたのです。すると『ようやく許可が出た。やれやれだ。』と勝手に解釈したのか、マロンは枕に全身を預けると、スースーと寝入ってしまったのです。

「何アンタ! そんなモンが欲しかったのォ?! 変な猫。」と思わずつぶやいてしまいました。その枕は小学生の頃から使っていた古いもので、取られたからといって、特に惜しいものではありませんでした。ただ、猫に枕が必要とは思わなかったので、理解できずに交渉が長引いたのです。交渉が終了した時は午前3:00くらい。私もマロンも疲れ切っていました。

この騒動で、私の睡眠時間は1時間削られました。翌朝、私が睡眠不足の頭を抱えて学校に行ったのは言うまでもありません。とんだ騒動に巻き込まれた夜でした。

それにしても、何て粘り強い交渉力! 猫は飽きっぽいイメージがありますが、いざとなったら驚くほどの外交的手腕を発揮します。決して譲らず、自分を曲げず、狙った獲物は必ず手に入れ、気位は高く、プライドを保つ。そして感謝も示さない。常に自分が王様です。やっぱり猫って素晴らしい! あの交渉力には脱帽しました。

もっとも相手を選んでのことのようです。『この人なら聞いてくれそう。』と思った相手に、必要があれば交渉を持ちかける事があるのです。あの時ほど『猫と話せたらなあ。』と思ったことは、後にも先にもなかったです。

時に困った事はあるけれど、たまに猫は恩返しをしてくれます。本人は自覚がないかも知れませんが。イタズラのつもりでタンスの後ろに入り込み、失くしたハズのペンをくわえて出てきた時には感激しました。

何といっても猫の一番の魅力は、悩んでいる時に、そっと寄り添ってくれること。何かしてくれる訳ではないけれど、まるでコチラの気持ちを汲み取ってくれているかのようです。

足音がなく、いつの間にか足元にいて、スリスリと身体を擦りつけられて脅かされたことが何度もありました。意外と音楽が好きだったり、さまざまな面を見せてくれる猫の姿に、どんなに癒されてきたことか。

しかしあの時、偶然枕を叩かなかったら、どうなっていたことか…朝まで交渉が長引いたかと思うとたまったものではありません。

その枕はよほど気に入ったらしく、その後も私の部屋で寝る時は、よく使っていました。長い交渉の末、苦労して勝ち取った『戦利品』ですものね。


マロン



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