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リライト版:【読み切り】小雪が舞う日のポートレート

プロローグ

1枚の肖像画が、額に入れられて飾ってある。

すました幼女がフード付きのコートを着て、真正面を向いている鉛筆だけで描かれた肖像画。世界でたった1枚の、私の大切な宝物のポートレート。
あれは寒い冬の日だった。

第1章

肖像画の左上に書かれた日付によれば、20年近く前の冬。お正月が過ぎ、5歳の誕生日を目前に控えた小雪が舞うある日。

私は母に連れられ、都心の雑踏の中を歩いていた。その際、何人かに声をかけられたのだが、母はまるで気づかず、私の手を引き、どんどん歩いて行った。
あれは3・4人目だったと思う。

この子、描かせて頂けませんか?

ようやく気付いた母が足を止めた。私は急きょ、その場で肖像画のモデルとなった。その人は、15分くらいで大きな画用紙にササっと鉛筆でクロッキーしてくれた。

気が付くと、画用紙の中に私がいた。鉛筆だけの肖像画。その絵がいくらだったのか知らない。

微かに憶えているのは、その絵描きが優しそうな若い男性だったという事だけだ。その絵は額に入れられることもなく、長い間物置に放置されていた。

やがて大学生になったある日のこと。
私は街で偶然見つけた画廊に入った。そこでは小さな個展が開かれていた。
特にその日は用事もなかったので、展示されていた風景画を一点ずつ、丁寧に眺めていった。花、湖、月、空、鳥…絵のことは門外漢だったが、繊細で優しいタッチにとても癒された。

最後の1枚は、シャボン玉を飛ばして遊んでいる子どもたちの無邪気な姿。何気なく左下を見ると『Shira』の文字。そのサインが私の記憶に引っかかった。

自宅に着くと、私はすぐにあの肖像画を探した。それはすぐに見つかった。
長い間放置していたため、ところどころ破れたり、色が変わったりしていたが、保存状態は良かった。

とっさに左下を見ると『Shira』のサイン! 私は確信した。あの個展は、あの時の絵描きのものなのだと。

第2章

「先生!」
ギャラリーのオーナーが急いでやって来た。
お菓子の包みと一通の手紙を抱えている。

私は美大を卒業後、絵とは関係のない百貨店に就職した。目まぐるしい業務に追われ、毎日お叱りを受け、憶えることも多く、いつしか心を病み始めていた。

休日は何をする気力もなく、ただ寝ているだけ。そんな時、サイドボードに置かれた5Bの鉛筆が目に留まった。

『長く絵を描いてないな。』

何気なく鉛筆を手にすると、本棚からスケッチブックを取り出した。最初は線をひいているだけだったが、そのうち雑然とした部屋の中を描いてみた。

いつしか夢中になり、気づけば夕方になっていた。気持ちがいつになく落ち着き、静まっていた。
『また描いてみよう。』
そんな思いが湧いて来た。

才能の限界を知り、一度は捨てた画家の夢。
きっぱりと画家の道に背を向けたつもりだったが、やっぱり描くことが好きなことに変わりない。一度離れてみて、そのことに気づいた。

久しぶりに鉛筆とスケッチブックに触れ、描く楽しさを思い出し、それ以来、私は再び描き出したのだった。『頑張る』というより『楽しむ』をモットーに。実に8年ぶりの再出発だった。

それから10年。

相変わらず百貨店で働き続ける一方で絵を描いていた。縁あって、私の絵を気に入ってくれたオーナーに、恐縮ながら、いつしか『先生』と呼ばれるようになっていた。そのオーナーの勧めもあって、私は小さな画廊で個展を開かせて貰うことになったのだ。

名もなき画家の…いや、画家のなり損ないの、名もなき個展。告知もしていない。たまたま通りかかった人が見てくれたらそれで良い。軽い気持ちで開催した。

「これ、先ほどいらしてたお客さまが先生にと…。」
「名前は?」
「それが…名乗ったところで分からないと…。女子大生でした。先生がいらっしゃるのをかなり長くお待ちしていましたが、どうしても外せない用事があるという事で、つい今しがた帰られて…先生に宜しく仰っていました。何でも、以前先生に肖像画を描いて貰ったことがあるとか。お心当たりは?」
「何だったかな?」

ヨックモックの焼き菓子シガールと手紙を受け取る。
私は早速、宛名のない手紙を開いた。

突然このようなお手紙失礼致します。
お会いできなかった時のためにと、したためました。
私は一度、先生に肖像画を描いて頂いた者です。同封の写真の肖像画にご記憶がおありでしょうか?
偶然こちらの個展に立ち寄った際『Shira』のサインを見て『もしや…』と思った次第です。
立派な画家になられたのですね。
今後のご活躍をお祈りしております。
小雪が舞う日の幼女より。

差出人名もない手紙を読み終えると、私はすぐに同封されている肖像画の写真を見た。
鉛筆描きの幼女の肖像画。
左上には20年近く前の日付。
左下には『Shira』のサイン。
このサインは確かに私のものだ。

おぼろげな記憶を辿る。
当時、美大生だった私は、数人の仲間と都心の雑踏の中にある公園で、肖像画を描くアルバイトをしていた。声をかけても、大抵の人たちは足早に通り過ぎて行く。

小雪が舞う、ある冬の日の夕暮れ。

一組の親子がやって来た。
とっさに声をかけてみた。

この子、描かせて頂けませんか?

その日、初めて振り向いてくれたお客さま。
その幼女は緊張していたのか、あまり笑わなかった。正月明けの寒い日で、あの子はフード付きの赤いコートにすっぽり覆われていた。

『あの時の子かあ!』

思わず画廊を飛び出した。
あの日と同じように、外は小雪が舞っている。道行く人たちの間を探してみたけれど、女子大生らしい姿は見当たらなかった。小雪の光景とともに、徐々にあの日の記憶が鮮明によみがえってくる。

『今見ても、分かるはずないよな…』
雪に覆われ、苦笑しながら戻った私をオーナーが不安そうに見た。

あらためて写真を手に取った。
画家のなり損ないの私を、写真の中の肖像画の幼女はまっすぐに見つめていた。

エピローグ

1枚の肖像画が、額に入れられて飾ってある。

ショートボブの女子大生が、襟の大きな長いベージュのコートに身を包み、左側から振り向いている笑顔の肖像画。写真の幼女を元に、女子大生に成長した姿を想像して色鉛筆で描いた、左下に『Shira』のサイン入りの、世界で1枚だけのポートレート。

このポートレートを、彼女が目にする日が来るだろうか?
いつかまた、きっと、どこかで…

                                                        fin

※ 以前書いた作品に軽く手を入れ、エピローグを加筆しました。
  実話と創造の物語です。



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