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コロナ騒動拡大は昭和の戦争拡大の再現

以前から指摘されているが、今回のコロナ騒動では協力金という名目で100兆円以上の税金が医療業界に流れ込んだ。

一例として井川意高氏は、補助金によって利益が50倍になったり、数百億の借金を協力金だけで完済した病院、30億の別荘を建てた病院経営者の話を紹介している。

これだけの税金が湯水のごとく使われていながら、自粛界隈から疑問の声も批判も皆無だった。以前の記事にも書いたが愛国自粛オタクの多くは「表現の自由の聖戦士」(通称:聖戦士様)である。

今春、聖戦士様のほぼ全員が「女性支援団体による不正な税金着服」(Colabo疑惑)を1日中批判していたが、桁外れな補助金(税金)が病院が医療機関に注ぎこまれたことは誰1人として批判しなかった。

彼らは医師を世界を救う善意の神様だと信じ疑わず、その神様が不正を働くはずがないという盲目的な信仰心を持っていたのではないだろうか。

結局のところこの3年間、医師会が感染対策(及び象徴であるマスク)を煽りに煽ったのは、1930年代から様々な要因が重なり戦線を拡大して最終的に対米開戦・大敗北へ至った事情とリンクしていると筆者は思う。

政治家に代わる清廉潔白な救世主願望


1925年の普通選挙法で納税要件が撤廃され下層階級が政治に参加できるようになると、政治家は常に有権者のご機嫌とりに迫られるようになる。わけても政策議論より天皇を利用した政敵攻撃の方が効果的だと判明。政策そっちのけの政党政治に国民は愛想を尽かしてしまう。
やがて清廉潔白な天皇や皇族・軍人・警察・官僚が腐敗した政治家や財閥から日本を救うという救世主願望が国民の間に広がる。

1931年の満州事変へと至るこの風潮だが、コロナ騒動で「右往左往する愚かな政治家に代わり、賢くて清廉潔白なお医者様が日本を救ってくれる」と人々が熱狂したのによく似ていないだろうか。

今でこそ「給付金を毎月配れ」は(先鋭化した)野党支持者の常套句だが、2020年当時は愛国自粛オタクからも「自粛を徹底させるために補助金や給付金をどんどん配れ。緊急事態だ。細かい審査も検証も後回しでやれ」という声が上がっていた。それらに釣られてノンポリのネット民も「金を配れ」と主張していた。

野党支持者だけでなく愛国自粛オタクからも
「国民の不安に寄り添ってくれない頼りない政府」
「マスクは配ってくれたけど給付金は10万円だけ」
「金を無制限に配れば事態は収拾するのに政府は何をしているのか」
という不満の声が多数上がっていたと筆者は記憶している。

20年の騒動初期から政治家に代わる清く善なる救世主を求める下地がすでに出来上がっていた。
5月29日には医療従事者へ感謝を示す自衛隊の展示飛行があった。
自衛隊員を尊敬する愛国自粛オタクが、そのまま医療従事者を尊敬する風潮に易々と絡め取られていったのは想像に難くない。

今にして思えば世の中全体が医師への期待や尊敬を過剰に煽り立てていたのではないだろうか。

清き聖人が日本を救うという85年ぶりの誤謬


29年の世界恐慌で経済が大混乱し、32年には庶民の窮状を見かねた海軍将校による五・一五事件発生。
国民は(清廉潔白な)青年将校たちに拍手喝采を送り社会現象となる。

腐敗した政党政治に代わり、清き者が日本を救うという願望から皇族や軍人への期待が高まる。
1937年、皇族人気に押され近衛文麿が総理大臣となる。
今でこそ日本を滅ぼしかけた史上最悪の総理と揶揄される近衛だが、当時は「皇族の近衛様と軍人が腐敗した政治家から日本を救う」という期待で圧倒的な支持を得た(近衛文麿は悪人ではないだろうが聖人でも人格者でもない。軍人も保身と自己の利益で動くただの公務員に過ぎないのだが…)。

2009年の民主党政権交代時、テレビと新聞だけが情報源の高齢者たちが「鳩山さんという立派な人が日本を根底から改革して素晴らしい国に生まれ変わる」という新興宗教のごとく熱狂していたのをはっきりと覚えている。
「税金が安くなる」「景気が良くなる」「高速道路が無料」とテレビの受け売りを信じ、知人の自動車会社では「もう高速道路は無料になるからオプションのETCは要らない」と言う高齢者も数名いたほどだ(それらの高齢者が1年後には「詐欺師の鳩山」と呼び捨てにし、嘘つき、死ねとさんざん罵倒し始めたたのもよく覚えている)。
それと同じ救世主願望が当時もあったのだろうと推測される。

2020年に「尾身茂会長やお医者様が日本を救う!」と一気に期待が寄せられたのはそれら救世主願望の焼き直しではないだろうか。

愛国自粛オタクは多くはそれまで尾身会長の名前すら知らなかったはずだが
「総理に提言できるほどの人だから、お医者様がすごいと言うのだから、これはすごい先生に違いない。尾身先生を批判する者は国賊だ!」
と神格化していったのは非常に不気味だった(オタクの異常な権威主義・スネオイズムについてもいずれまとめたい)。
単純な二元論でたやすく正義のヒーローに心酔してしまうオタクの悪癖がここでも発揮された。

愛国オタクはテレビや新聞しか見ない高齢者を情弱と見下すが、ツイッター空間で愛国インフルエンサー(その多くはテレビの視聴率と同じくインプレッションが目的に過ぎず善意や正義感で発信しているわけではない)の投稿を引RTする様は正に“我々の世代”の情弱と言えるだろう。

全ての政党とメディアがコロナ騒動を歓迎した


40年に大政翼賛会成立。41年、総理は近衛から東條英機に代わったがすでに対米開戦は避けられない状態だった。
やはり「腐敗した政治家ではない皇族」に続き「専門家」の「清廉潔白な軍人」が日本を救うと考えられた。

視聴率と新聞部数を伸ばすには悲惨な事件や社会の混乱が不可欠だ。コロナ騒動は低迷するメディアにとって千載一遇の好機だった。
右も左もこれに飛びつき、感染対策の遅れを批判することはあってもコロナ騒動そのものを批判するメディアは皆無だった。それどころかマスクを着用しない通行人を撮影し(さすがに顔はぼかしていたが)全国放送で晒し者にしていた。

新聞は国民の不安を煽るために感染者の相関図を作り、非国民に対するリンチを推進した。

福井新聞による感染者リンチ。

高齢者(最もコロナを恐れる層)を支持基盤とする野党は大事件や社会の混乱が起これば政権批判をすることで支持者へアピールできる。
コロナで社会が混乱するのは天佑だったと想像できる。全ての政党が大政翼賛会と化してコロナ騒動拡大・社会の混乱を望む状況が生まれた。

対米開戦と同じくメディアが煽り、恐慌をきたした国民から絶大な支持を得た(無能な)専門家が日本を滅ぼしかけたのは間違いないだろう。

監視社会は国民が自発的に作り上げた


大東亜戦争は白人支配の世界を打破し有色人種の独立を理想に掲げていた。
その大義を信じて戦った者も大勢いたし、敗戦後に軍を離れ植民地解放戦争に身を投じる勇士が幾多いたのも事実だ。
しかし軍の上層部は最初から戦争に勝ち目がないと知っていたし、まず戦争を渇望するラジオ・新聞や世論があり、そこに理由が後付けされた。

国民が相互監視をし、もんぺやゲートルの着用を拒む者は非国民として社会から排除された。

最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないような滑稽なことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。

伊丹万作「戦争責任者の問題」より

わけても特高や憲兵より国防婦人会(のちの大日本婦人会)の女性がもっとも異端者監視・排除に熱心で恐れられたとものの本にある。
選挙権もなく家庭内に閉じ込められていた女性たちが初めて社会に参加し、正義の権力を行使する喜びに沸いたのだから当然だろう。

オタクコミュニティに属する筆者の体感だが、コロナ騒動で「ノーマスクを社会から排除しよう」と大はしゃぎしていたのは男性より(中年のオタク)女性が多かったと感じる。
特にオタクの中年女性はこれまで差別をされる側ではあれど、差別の楽しさを経験したことがないせいか
「変人をあぶり出す格好の目印になる!」
と嬉々として語っていた(筆者も当然ノーマスク側なのだが、それを悪気もなく話せることが、正に社会性・知性を欠いた中年オタク女性の悲哀を象徴しているように思えた)。

幼い子供を抱える母親や若く活動的な女性はみなマスク社会に否定的だったし、異端者排除などと狂気じみたことを言いだす者はいなかった。

我が子を戦場へ送りたくない母親や若者たちを監視していた大日本婦人会の女性が、75年の時を超えて愛国自粛おばさんとして蘇り、育児女性や若者に自粛やマスクを呼びかけ、非国民を排除する喜びに沸いていたのだ(もちろん異端者差別を呼びかけた男性も大勢いたが、筆者の実体験として狂気的な異端者排除を嬉々として語ったのは全て中年女性だったということだ)。

町や工場には士気を高めるため(実際にはなんの効果もない)戦時標語がたくさん貼られ、工場では「生産効率を上げるため」に毎朝決まった時間に、夜勤を終えた者も叩き起こして皇居を遥拝するという生産効率を下げる行為も行われた。

コロナ騒動では厚労省から「無意味どころか逆効果だから撤去しろ」と通達されたアクリル板を「人々を安心させるため」「今さら無意味でしたと言えない」ということで厚労省通達に逆らってまで設置し続けたのは記憶に新しい。

玉音放送が流れない終戦

300万の日本人が死に、戦争は大敗北を喫した。
すでに海軍も(大陸戦線をのぞいた)陸軍も行動不能状態に関わらず、国民は42年までに快進撃した姿そのままに、最後までアメリカに勝てると信じていた。
玉音放送は流れたが、徹底抗戦を叫んだ軍人は大勢いた。

日本だけが無意味な感染対策を続けたのは
「米英に数字で勝っている!」
「始めてしまったものは今更やめられない」
「誰も責任を取りたくない」
からに他ならない。
本土決戦を続け支那大陸でゲリラ戦を展開すれば長期的には勝利できると計画していた日本軍と重なって見えるだろう。

コロナ騒動では各国の首脳が無用な混乱を避けるため終結宣言を出したが、日本の岸田総理は論争の火種になりかねないことに関わりたくないためか何の発表もしなかった。

玉音放送が流れないのだから、徹底抗戦を叫ぶ者が出てくるのは当然だ。
特に左翼側の自粛・マスク固執派は
「給付金も出さず経済活動を優先する売国岸田政権への抵抗」
の象徴としてマスク着用を叫んでいた。自民党が政権を明け渡すまでマスクを外さないつもりだろうか。

あれほど若者を特攻へ駆り立てた軍の将校はほとんど責任を取らなかった。
死んでいった若者へ責任を負って一人で自決したのは大西瀧治郎はじめごくわずか。
「最後には自分も特攻する」と訓示し続けた菅原道大中将は結局「死ぬことが責任を取ることではない」と言って逃げ天寿を全うした。

40万人が死ぬと予言して日本中を混乱させた西浦は「全責任を取る」と言うが、まさか切腹するわけでもないだろう。口では勇ましいことを言い逃げきった。若者の人生を狂わせ責任も取らずに逃亡した軍人とそっくりではないだろうか。


将来この騒動に歴史の判断が下されるだろうか


映画「秋刀魚の味」の有名なシーンがある。
敗戦を悔しがる加東大介にかつての上官だった笠智衆が言う。

「けど、負けてよかったじゃないか」

「そうですかね。うーん。そうかもしれねえな。
バカな野郎が威張らなくなっただけでもね」

そうだ。
3年間のコロナ騒動で医者は常にいばり散らしていた。
他の職業を見下し、医療従事者が社会で一番偉いと思い上がっていた。

最初は好意的に医クラを見ていた人々も、そのうち他人を見下す選民思想を隠そうともせず、的外れな投稿や単なる誹謗中傷が目につく医師に嫌悪感しか抱かなくなったのではないか。

誹謗中傷ではないが、これらの投稿も医師が内心で他業種をどう見ているか分かりやすいだろう。

熊谷知事は立場が上だから言っているのではないが、なぜ上下関係の話にしたがるのだろうか。
中小企業の財務経理は医師より肩書きが下だと言いたいらしい。

筆者の持論だが、全く尊敬に値しない人間ほど「俺を尊敬しろ」「俺を敬え」と言いたがるものだ(まともな人間ならば恥ずかしくて口に出せないものだが実際にそんな人は存在する)。
スネオ的心性の信奉者は「尊敬に値する立派な先生」をますます応援するだろうが、大多数の常識ある者にはやがてそっぽを向かれるだろう。

コロナ騒動も今や趨勢は決したが、政治家やマスコミは有数の権力組織である医師会を批判することはできない。
アメリカから占領軍が来るわけもなく、社会が混乱することでぼろ儲けをたくらんだ者たちが裁判で断罪されることはないだろう(あるとすれば責任者が鬼籍に入った後のことだ)。

筆者はぼろ儲けした権力者やその口車に乗って差別や偏見を撒き散らした市井の者たちも絶対に許さない。このnoteも怒りが動力源だ。
これを読んだ方にもできる範囲で「戦時中」の思いを書き綴っていただきたい。ツイッターでは文字の砂丘に埋もれてしまうだろう。

今回のnoteは筒井清忠:著「天皇・コロナ・ポピュリズム 昭和史から見る現代日本」を下書きにしている。興味のある方はぜひ御一読を。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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