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世界遺産 三谷坂を歩いて①【和歌山・取材記事】

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のひとつとして登録されている三谷坂。かつらぎ町三谷の丹生酒殿(にうさかどの)神社と天野の丹生都比売(にうつひめ)神社を結ぶ、約5.5㎞の急登です。

古い時代、丹生都比売神社の鎮座する天野は聖地とされ、神に仕える者といえども住むことは許されない地でした。神職はふもとの三谷に家を構え、そこから毎日、天野まで山の中を歩いて通っていたとのこと。その道筋が三谷坂なのだと伝えられています。

そんな歴史ある三谷坂を2024年4月半ば、紀州かつらぎ熱中小学校ライター部員4人で歩いてみました。

若葉あふれる三谷坂


丹生酒殿神社の大銀杏

「まちなみの駅みたに」に車を停めて、私たちはまず丹生酒殿神社へ参拝、道中の安全を祈りました。
秋には黄金色に輝く境内の大銀杏も、この時期には小さな若葉をまとい、明るい緑を空に広げています。


丹生酒殿神社の鳥居を出てすぐ左に進むと「天野大社参道」と彫られた石柱があり、いよいよここからが三谷坂です。坂の両側には野の草が色とりどりの花をつけ、柿畑が連なり、とても長閑な風景でした。
が、傾斜は思いのほかきつく、更にどんどん急になり、どこまで歩いてもずっと上り坂。
「ああ、真面目にしんどい。足が上がらない~」
そんな状態に陥った頃、現われたのが「笠石」でした。

「笠石」


笠石は、お大師様の被っていた笠が雨引山から飛ばされて引っかかった、と伝わる笠塔婆(かさとうば)。
笠塔婆とは故人を供養するために建てるもので、笠の部分は小さな屋根のように形を整えることが多いそうです。
でも、この笠石の笠はほぼ原石のまま、平たい石をちょんと載せたようなかたちをしています。お大師さまの飛ばされた笠、といういわれも楽しいです。


ちょっとわかりづらいのですが、阿弥陀如来坐像です

実は南北朝時代のものと推定される、とても珍しくて貴重な笠塔婆なのだとか。
石柱の上部には、うっすらと阿弥陀如来坐像が彫られています。
笠石の前には瑞々しい高野槇が供えられ、丁寧にお祀りされていました。

「鉾立て岩・経文岩」


明るい春の日差しの中、どんどん三谷坂を登っていくと、まわりの山々をぐるりと見渡せる絶景が目の前に広がります。ふもとに横たわるかつらぎ町の町並みや、山の斜面を利用した遠くの柿畑など、人は自然に包まれて生きているのだな、と、実感できる風景です。


空へと伸びる柿若葉
奥が鉾立て岩、手前の白っぽいのが経文岩

そんな道の脇に並んでいるのが、鉾立て岩と経文岩。
鉾立て岩は丹生都比売(にうつひめ)さまが鉾を突き立てた場所だそうです。


丹生都比売神社の公式HPに、
「丹生都比売大神は、古来魔除けとされる丹(赤)をつかさどり、あらゆる災厄を祓う女神。その御神威をもって元寇を退け、当社を紀伊国一之宮としました」
という一文があります。
二度目の元寇(鎌倉時代中期)の際の神風は丹生都比売さまが吹かせたもので、その功績により丹生都比売神社は位の高い「紀伊国一之宮」となったそうです。
そんな丹生都比売さまの勇壮な故事をも思わせる、鉾立て岩です。

ちなみに経文岩には経文が彫られていた形跡はなく、なぜそう呼ばれているのかはわからないそうです。


鉾立岩・経文岩を過ぎれば、ほどなく三谷坂はうっそうとした杉木立の中へ入ってゆきます。相変わらず、ずっと登りの続く道ではありますが、日差しは枝にさえぎられ、すうっと涼しい空気があたりに満ちて、少しだけ体は楽になりました。

(~②へ続く)

(ライター部:大北美年)


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