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夏めく下町と駄菓子屋と私


あれは小学5年生の6月だった気がする。
6月といえば梅雨なのに、その日は珍しく晴れていた。
近くに駄菓子屋があると父親に教えられ、さっそく二人で訪れた。
店内に入ると、そこにお菓子は無く、あるものといえば精々中途半端に余ったくじ引きと埃を被ったぬいぐるみくらいだ。
父親は、店主のおばあさんを見るなりジャーキーを目の前にした犬の様に走り、何やらぺちゃくちゃと喋り始めた。彼はおしゃべり好きなのである。
私は父親が店主の気分を損うような言動をしないか気が気でなかったが、
そこは年の功といったものか、店主は嫌がるどころかむしろノリノリで会話に参加していた。
しばらく会話を聞いていると、今度は店主の身の上話になった。
聞いているうちに、段々と店主の境遇が分かってきた。
一緒に駄菓子屋を切り盛りしていた夫に先立たれたこと。
最近の学校は規制が厳しくて子供達もなかなか来てくれなくなったこと。
もう駄菓子屋を経営する気力も残っていないこと…。
そんな訳で、この駄菓子屋はもうすぐ閉店するのだという。
自分でこう言うのもなんだが、私は現代っ子なのでそれまで駄菓子屋に行ったことが数えるほどしかなかった。
私は、こんな近所にベタな駄菓子屋が現存することに喜び、頭の中では既に友達を引き連れて一緒にアイスを食べるところまで妄想していた。
そこに突然舞い込んできた駄菓子屋閉店の知らせ。
妄想と現実のとのギャップに茫然自失としていたその時、店主は
「商品ももう持っていても仕方がないし、あげるわ」
と言った。
ということで、私は飛行機のプラモのような物と、くじ引きのトカゲをタダで貰った。
トカゲも飛行機もそんなに欲しくはなかったが、私はとても嬉しかった。
私はそれが必要かどうかではなく、それをいくらで買ったかで物の価値を決めていた節があったので、それで喜んだのだろう。
タダで貰ったという事実が重要なのだ。少なくとも、当時の私にとっては。
そうして私と父親は、この世からまた一つ昔懐かしいものが消えていくという寂しさと、飛行機のおもちゃを抱えながら帰路に着いた。
#創作大賞2023 #エッセイ部門

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