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50代、そろそろ手放したい「〇〇すべき」

「肩バキバキに凝ってますね」
私「え、そうですか?」
定期的に通っている美容院で、シャンプーが終わってから美容師さんにかけられた一言。

美容師さんが私の肩を少し触ったら、すごい凝っているなと思ったそう。
自分では、少し凝っているかもと思っていたけれど、これが普通だと思い、気がつかなかった。
バキバキか。人に指摘されるほど相当なんだろうな。
知らず知らずのうちに「肩が凝っていること」がデフォルトになっていて、自分の状況がわかっていない。

これは、思考にも言えるかもしれない。
長年主婦でいると、家族のために「〇〇すべき」「〇〇しなければならない」という思考に凝り固まっているものだ。
当然、幼い子どもを育てている状況なら、大人が手を差し伸べるべき部分は多々ある。
しかし、もう子育ても終わって、家には成人した大人だけ。

そろそろ、自分のやりたいことを、家族に遠慮なくやってもよいのではないか。
近ごろはいろいろなイベントにも参加するようになった。
しかし、「〇〇したら、夜遅くなりそう。〇〇したら、ご飯はどうなる?」と、頭ではすぐに私がいなくなったあとの家事などを心配してしまう。

ところが、一緒に同居している夫や娘は、家のことはおかまいなしに、家を空けているではないか。
なぜ、私だけ家のことを考え続けなければならないのだろうか。
家事を全部自分で抱え込まずに、そろそろ、自分中心に考えてもよいのでは。

美容師さんと話していて、「〇〇すべき」をちょっとずつ手放そうと、本当に思えてきた。
私には私の人生がある。どうしてこう家に縛り付けられる考えになったのかというと、時代もあるだろうが、育った環境もあるだろう。

実家の母に、あれこれガミガミ言われたわけではない。
しかし、親の背中を見て子どもは育つ。
母はパートの仕事をしながら家事・育児に祖父母の世話をし、自由な時間がほとんどなく暮らしてきた。入院以外に家を空けたことなんて記憶にない。
それを見て育った私は、主婦はこうでないとダメだと、知らず知らずのうちに頭と心に刷り込まれているのだろう。

美容師さんも、お子さんを2人育て上げた同年代である。
「もう子育ても終わった私たち、そんな『〇〇しなければ』を手放してもいいんじゃないですかね」と、美容師さん。
彼女は完璧主義なので、いろいろ考えすぎることが多いそう。できない自分にがっかりしたことも。「でも、もう今まで十分やってきた。そろそろ自分によくやったと、言ってもいいと思いますよ」。

もう、すごい私に寄り添ってくれる。
さらに、私ができない自分を責めがちなことを吐露する。
「私も、ときどき離れていったお客さんのことを『なにが原因で離れていったのかな』と思うときがあったけれど、もう、あんまり考えないようにしました。『自分のところに来てくれるお客さんを大切にしよう』って。だから、せざきさんは、せざきさんでいいんですよ。考えすぎるのも、せざきさんのよいところ。それだけ真剣にものごとに取り組んでいるということなんだから」
こんなことを言ってくれて、私のことをまるごと受け止めてくれる美容師さん、私のお母さんですか?

いっときの美容院タイム。
私の肩はガチガチなままだけど、心がすごく軽くなった。
「〇〇しなければ」「〇〇すべき」の思考を手放して、自分をもっと認めてあげたい。


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