安心できないこの社会で

『正しき地図の裏側より』(逢崎遊)を読んだ。誰もが自分の人生を生きることに必死ななかで、余力を他人に注ぐことが愛なのだと思った。
物語の全貌が見えてきたクライマックスあたりで、タイトルに納得する作品が好きだ。最近読んだものだと、『なれのはて』(加藤シゲアキ)はため息が出るほど深みのあるタイトルだった。
『正しき地図の裏側より』もそんなタイトルだ。あっけなく人生のレールを外れてしまった主人公の耕一郎が、「普通の」人生とかけ離れた場所で生き延びていく。彼がいる場所は公的に存在が認められた建物が記されている地図の表側ではない。しかし、同じ街で、同じ地面の上で確かに生きている。身一つで自分の居場所を築いていく彼を見ていると、裏側も社会という地図の一部なのだと当たり前のことに気付かされる。地図を裏側から透かして見たときの太陽の眩しさを思った。

大学卒業を控え、就職活動中の私には堪える物語でもあった。耕一郎が出会うホームレスや日雇い労働者は、皆事情があって定職に就けなくなった人達だ。働くことに対して気持ちが折れてしまった人もいれば、若気の至りで日本社会の正規ルートに乗れなかった人もいる。今、私も道に乗れなければ安定した人生は得られないのだろうか。仮に就職先に巡り会えたとして、一度も道を踏み外さないように気を張っていかなければならないのだろうか。
耕一郎が出会った人達の中には定職に就くことができた者もいる。確かにそれは希望だが、皆がいつでもやり直せるのではなく、やり直せた人もいる、とただそれだけの話なのだと思った。この社会で自分がいつでも望む人生に戻れる側の人間だと、誰が信じられるだろうか。

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