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自分軸で生きる前に、自分軸を模索する作業が必要

自分軸で生きると楽に生きられるそうだ。

んな感じの記事をよく見る。

そりゃそうだろう。
かなり当たり前だと思う。
歳だけはとってるから、まあわかる。

他人に気を遣いすぎないとか、無理に自分に合わないことを迎合しないとか。

それって、そもそも自分軸を理解している人が実践できることだな

ってところから、私には遠めの目標である。

自分軸ってなに?

誰でも、もう自分のことをわかってるよねって前提で、生きやすくなる方法って感じが、もう遠すぎる。

そもそも私はある程度自分勝手だし、別に謙虚じゃないし、うつ病なので、自分の意思とは別に心身の不調でときどきにそこそこ他人を振り回している。

それを病だから申し訳なく思う必要がないか?と言えば、逆に開き直りすぎだとも思う。

うつ病じゃない人でも、自分軸だから〜って理由でやっぱり他人の時間や予定や手間を奪いまくっていいとはならない。

なんだかんだで、

最低限の礼儀の上に自分軸で生きる


が成り立つのだ。

「うつ病の治療、療養と自分軸で生きる」は、簡単には成り立たない。

簡単に言うと、まだ自分軸が自分でもわからない、自分を思うように調整することも容易くない。

というわけで、私はまだ、自分軸で生きるを目指さない。

目指さないけど、自分軸をもてる時を待とうと思う。

自分軸の模索も調子が良い時にしかやらないよーだ。



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