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足りない「優しさ」

「今の日本に足りてないものは
石油ではない『優しさ』だ」
と述べられたのは
ラジオ人生相談のパーソナリティーで
有名な加藤諦三先生の言葉です。

自慢ではないですが(自慢ぽい・・・)
私は一度だけ先生の講演会に
出席させていただいた時があります。

その講演会の質疑応答で
私は挙手しました。
色々な相談に向き合っている先生に
どうしても聞きたいことが当時あったのです。

しかし結局、私が質問を発する機会はなかったです。

しかし、なんと幸運か・・・
私の席はホールの出入り口に近かったのでした。

先生が退席される時
近くを通った先生に握手を求めました。
先生は気さくに握手をして下りました。
そして一言
「頑張ってね」と述べられました。

「何お?』というツッコミは
いいのですが、必死だった私から
先生は何かを感じ取ってくれたのでしょう。

今でも嬉しい思い出です。


さて、本当の優しさとはなんでしょう?
プラトンの「優しさのイデア」がありそうですが・・・。

私の好意に対しての
言葉が二つほどあります。

一つは、誰かをかばった時に
「そんなの本当の優しさじゃないよ」
とか「そんなことは、自分の親にやってください」とか。

これは、痛い思い出ではありますが
やはり、その一言にも私に対しての「優しさ」や
一理もあります。

というか
私は本当の「優しさ」を
知っていると言えるのでしょうか?

論語に「仁とは人を愛すことだ」という
くだりがあります。
優しさとは人に興味を持つことだと
孔子先生は言いました。

ちなみに心理学者のアドラーの「共同体感覚」は
英語で「social   interest]」と言いました。
訳すと「社会への関心」です。
これもなんとなく社会に対する「優しさ」に思えます。

以前noteでも言いましたが
元来、お医者さんのやるべきことは
「手当て」でした。
痛いところに手と直に当てることです。

これらに共通することは
全て相手に「関心」を持つことです。

関心なくして
他の人に優しさを表すことは
難しいのでしょうか・・・。

先の私を非難した人の例も
それを見越して諫言(いさめること)してくれたのだと思います。

「優しさ」を定義することも
実際に行うことも難しいです。
それは、一人一人価値観が違うからでもあります。
多様性の難しさもそこにあるのでしょうか?

それこそ本当に
古代ギリシアのプラトンに
「優しさ」のイデアを教えてほしいと
思ってしまいます。

今回は
「優しさ」ということについて述べてみました。
長い呟きに最後まで読んでくださり
ありがとうございます。

では また
おわり

・イデアとは
物事の本質、原型、雛形のことです。

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