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たまには止まってみよう

桜前線が順調に日本列島を北上しています。

皆さんお花見には行かれましたでしょうか?
それとも、近くをこっそりと家族で・・・というのもいいですね。

温暖化で正確には言えなくなって来ています。
それでも春は、三つの花が順番に咲くことを知っておられますか?

①梅の花、耐え忍んで咲く
②桜の花、パッと咲く
③桃の花、無邪気に咲く

この三つの花の順に咲くそうなのです。

しかし、日本には気候からか
ちょうどこの三つの花が同時に咲く場所があるといいます。

そこは福島県の「三春町」という街です。
ちょうど、三つの花が同時に咲くのだそうで「三つの春」
という地名がついているそうです。

そこにあるお寺のお坊さんに
玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さんという方がいらっしゃいます。
僧侶であり、作家でもあるお坊さんです。

玄侑和尚は小説家でありお坊さんなのですが
一番最初のエッセイ集に「釈迦に説法」(新潮社)という新書がありました。

だいぶ昔に読んだ記憶があるのですが
とても題名からして
ユーモアに富んだエッセイでした。


玄侑和尚の「釈迦に説法」のなかで
「正しい」の語源について
述べられている箇所がありました。

「正しい」とは「一」に「止まる」と書きます。

例えば、お正月は「一に止まる月」だそうなのです。
よく「この世は一つのもの(一)から生まれた」という考えもあるそうです。

さてその「一」の正体とは何なのでしょうか?

それを私が、一言で言おうとすれば
人の「執着」だと思います。
昔から仏教の教えは「執着を捨てよ」と教えています。

人間は考え出すと良い意味でも、悪い意味でも
「観念」に縛られてしまいがちです。
今風に言えば「〜ism」でしょうか・・・?
「なになに主義」と言えば伝わるでしょう。

話はそれますが
教育学者の齋藤孝先生も
「イズムにはなるな」という
同じようなことを
仰れています。

花は主張しませんね。

和尚言いたい「一」もこの
人間特有の「主義」や「〜ism」だと私は思うのです。

人間は一つの観念に従って行動する習性があります。

それは人は省エネで行動する(脳のエネルギーの節約)習性だからです。

人は基本、恒常性(ホモメタシス)を保つ
生き物だからです。
(体温を一定に保つことなど)


「お正月」の話に戻りますが

「一に止まる月」というのは
自分の考え、主義主張から突き進まないで
一旦止まってみる、または修正してみる月。
ということになるみたいです。

排水溝にゴミが溜まってしまうと
水が詰まるように
心も考えも詰まってしまうと
何事も(心も)流れなくなって詰まってしまうのだからです。

ですから、心の詰まり「執着」や「主義」「こだわり」にいくのをやめて
一旦止まってゼロの地点に戻る(修正する)のです。

禅寺で「掃除」が作務(修行)の一つになっているのはこの詰まりをいつもきれいにする事です。

排水溝をいつも掃除しておく事と同じです。

そのように心や考えを
いつでもニュートラル(中立)にしておくことが何事にも臨機応変に対応できる
生きるスタンスになると考えるのです。

何もお正月だけではありません。
一週間や毎日の朝や夜に
5分でもいいです。

自分の「一に止まる」ことのために
穏やかなゆとりある時間を取って
1日を振り返ることも
大切だと思います。

今回は「正しい」の意味を
深掘りしてみました。

他のnoterさんも取り上げていらしゃるくらい
「正しい」の語源の話は
日本ではとても有名な話です。

豆知識だけではなく
日々の健康にも
応用できる考えではないでしょうか?


「止まることを忘れなければ
危険を避けられる。
足ることを知ればその人は
豊かになれる」(koh超訳)

中国の古典「老子」にも
このような言葉もあります。

最後まで読んでいただき
本当にありがとうございます。

それでは また
おわり



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