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「気づく」ことが9割

おはようございます☔️

生きていれば「まさか」という坂があります。

人はいろいろ先を仮説を立てながら
進んでいく生き物です。

「まさか」とは生活するにおいて
「上り坂」「下り坂」と「まさか」の一つ。
想像を超えるようなことに会う。または
ぶつかることだと思います。

まさに自分の立てた仮説が外れてしまう。
そんな自体にいつの間にかなっていることです。

結論から言いますと
「魔法の杖はない」です。
???

私たちが対処できる
範囲、許容量、重さは
一人一人違います。

ですから、Pという出来事があるとします。
それにAさんは上手く対処できた。
Bさんはその問題に溺れそう。

だからAさんBさんでも
Pという問題に全く同じ対処法で解決する
ということはないだと思います。

誰もが安心したい、幸せになりたいと
願っています。

それには、「気づくこと」だと思います。
何かを達成することや何かを得ることも
嬉しいことです。
それよりも「気付ける」こと
以上の幸せはないと考えます。

問題に対処することも
同じです。
まずは「問題」を自分なりに「気づくこと」
から始まります。

そんな時、私のいつも思うことは
「生きていればいろいろあって当たり前」です。

これは決して私が人生に達観して
考えたことではありません。

そう思うことで
まずは心を落ち着かせるのです。
そこで一旦立ち止まります。

ここでもう一度
生きる上で問題に対処するための
「魔法の杖はない」ということです。

多くの人が
人が困難に立ち会うと
視野が狭くなる人がほとんどだと思います。
「中庸」な考えから離れてしまいます。
思考も極端になりがちです。
しかし、一気呵成に問題は解決は出来ない
と思うのです。

だから、そこで問題に「気づいて」
立ち止まることが大切になってくると考えます。

ですから
「幸せ」や「安心」でも
「困難」や「苦しみ」でも
「気づく」ことが大前提になると思います。

「気づくこと」に大切なことは
「なぜこのように思うのか?(考えるのか?)」
と自分の心に問いかけることだと思います。

昔から、多くの哲学者たちが
この世界について自分の頭と経験で
「気づいて」きました。

ソクラテス然り、ハイデガー然り
フロイト然りです。
それぞれの哲学の世界を
自分の頭で考え広げて来ました。

この世界は
いろんな万物が流転しながら
流れていきます。
それは観念だけではなく
歴史上の史実を学ぶことが出来たので
私は、心からそう思えました。

そこから
「この世界にはいろんなことがある」と思えるようになれたと思います。

とにかく「気づく」ことが出来ないと
人は「行動」を起こすことが困難です。

今書いているこのnote自体
私の気づきです。

脳のメモリには限界があります。
あれもこれも全て「気づく」ことは
出来ません。

それでも、1日に3個でも1個でもいいです。
「気づけた」ことが今日一日自分が
「目的」に向かって進んだ証拠です。
強くなれた証拠です。

「問題に気づけ」たら
そこからまた一歩ずつ地道に
進んでいけば良いと思います。

結局、人生に「魔法の杖」はないのですから・・・。

おわり

juxmuxさん素敵なイラスト
ありがとうございます。

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