見出し画像

人生の試練

一月最後の日、
移動する職場の仲間を見送って
少々、人恋しさを感じた私kohは
帰りに実家に両親の顔を見に行きました。

二人とも元気そうで安心しました。

そうして帰宅したのですが
またもや母からのスマートフォンへの着信。

「何かな〜?」と思って電話に出ました。
母は自宅でのストレスで
私に「愚痴」の言い残しがあったようです。

いきなりの母の「愚痴」トークに
せっかくいい雰囲気の頭の中が
またもやモヤモヤモードになり
電話を切ってから呆然となってしまいました。

早速、YouTubeで
「親」のカテゴリーを調べて
自身の心の対処の仕方を調べました。

その中で腑に落ちる言葉に出会えました。

両親との関係とは人生において試練、課題である。

なかなか、当たらずとも遠からずのフレーズだと私は思いました。

なるほど、人は思春期を過ぎて
両親とぶつかったりして
両親の「エデンの園」から一歩出て
「人」というものを知っていきます。

私たちは、子供の頃から
両親を「万能の私の味方」と思い
愛着を知ったりしていきます。
大人になるに連れて実は「両親」は万能な人間ではないと学習してゆくのだと私は考えました。
だから
親の言うことに振り回されると言うことは
私は、いまだに自立できていないと
感じるのです。
(両親に精神的に頼っている・・・)

それは私だけでなく
ある調査では多くの人が
そう思っていていることも事実だそうです。
逆に親子関係が「上手くいき過ぎている」なら
そちらの方がレアなのだそうです。

だから、両親との関係は誰にとっても
「人生における、試練または課題」なのです。

先の電話の後のモヤモヤも
また「試練、課題」なのだと私は思いました。
逆にどんな関係であれ
大人になって「親」との関係を築いている方は
今の時代「リアルな現実」と真摯に向き合っていると言っても過言ではないと思います。

人には夢があり、逆にまた「親」のリアルな悩みもあります。
ですからその矛盾に負けないで
親との関係の「試練」に立ち向かえることは
それもまた社会における立派な成長なのです。

私は「毒親」の存在を否定しません。
または、親からの子供への虐待はいけません。
それはまた、今回の話とは別な話しになります。

そうではなく
両親を敬うことを忘れずに・・・
また親の言いなりにならず・・・
自分のスタンスを貫いて
「親との関係」のモヤモヤに負けない
自分の精神が保てることが
真の意味の「大人」または「自立」であると
私は考えたいのです。

今回は私の「両親」に対する
私見を述べてみました。

再度、「両親」に真摯に向き合えることは
「リアル」と向き合うことにもなります。

これからも、地に足をつけて生活したいと願い
また一方で
「両親」とモヤモヤしながら付き合って行くでしょう。

それでは また
おわり

aomingさん素敵なイラスト
ありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?