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苦悩することについて

第二次世界大戦で自由を奪われた
ユダヤ人の精神科医
ビクトール・E・フランクルは
人間の存在を「苦悩する人」と捉え
「ホモ・パティエンス」と定義しました。

人は苦悩する生き物であり
苦悩すること故に、人生の「意味」を見つけられると唱えたのです。
それをロゴ(意味)セラピーと言います。

今日の散歩で
いつもよりもう少しだけ
歩く距離を伸ばそうかな?と意識しました。
それはあまり意味のないことに思えたのですが
それはそれで一種の苦悩です。

誰もが「成功」「自己実現」など
求めていますし、
それは、日本なら憲法でも保障されています。
タイパ、コスパは働く中で当たり前
ワークライフバランスなどの概念も提唱され
SDGsのような世界規模の目標も
打ち立てられる時代です。
自ら「苦悩」することは
鼻から無駄、無意味に感じてしまうよう
私はそんな感じなってしまいます。

私たちを含め
今の社会は何事も
「合理的」に思考し行動した方が無難に
物事が進捗します。
先の私が「もっと歩こうかな?」の悩み
のようなことは些細なことです。
私は「悩む」こと自体が無駄に感じられます。

フランクルによると
悩まなくなってしまうと
(生きるための苦悩を避けていると)
人生や生きていることに
意味を見いだせなくなってしまいます。
そうなると人は簡単な享楽的な楽しみに
走ってしまうそうです。
刹那的な楽しみに囲まれた人は
「実存的虚無感」(生きていることに
意味を見いだせなくて虚しくなる)に
悩まされてしまうというのです。

ヘーゲルやマルクスなどの
世界精神や唯物論に覆われた
世界観に異を唱えたのが
デンマークの哲学者キルケゴールでした。
彼は世界がどうなるかではなく
自分にとって主観的な生きる上での理念が大切だと言いました。
それは実存主義として
フランクルにも受け継がれました。

それにはやはり生きる上での
「苦悩」すること、悩み尽くすことも
必要になってきます。

スマートに生きられれば
それは素敵な生き方です。
iPhoneもシンプルなデザインなので
世界的シェアを誇っています。
それでは、「悩む」ことは無駄なことなのでしょうか?

私はそうは思いません。
いつだって生きる意味を追い求めることは
素敵に感じます。
一見無駄な思考のようなことでも
本人にとって大切なことなら
「悩むこと」はその先に
「生きる意味」を見出してくれる
からと私は思うのです。

今回は「苦悩すること」について述べて見ました。
最後まで読んでくださり
ありがとうございます。

では また
おわり


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