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京都府宇治市に行ってきた①

桃山駅で降りると

 朝早く出発し、京都駅に到着し、すぐに乗り換える。伏見駅で結構な数の乗客が降りた。おそらく伏見稲荷大社に訪れる人だろう。そしてしばらくして10時20分頃に最初の目的である桃山駅に着いた。改札を出る際、モバイルPASMOでタッチすると警告音が鳴った。どうやらエリアを跨いでのICカードの利用はできないらしい。駅員にいろいろ言われ初っ端から嫌な気分になる。

 乃木神社へ

 とりあえず今日の主な目的の一つである、伏見城の前に乃木神社を目指す。この神社は明治天皇が亡くなった後、後追いして殉死した乃木希典とその妻、静子を祀っている神社だ。乃木神社は全国にあり、幼少期を過ごした下関市長府や自害した東京都港区赤坂などwikipediaには9つ載っている。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%83%E6%9C%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE
 ここの乃木神社も明治天皇の墓である伏見桃山陵の麓にあり、乃木希典にゆかりのある場所と言える。
 途中で急な坂道もありながらようやく到着。地図アプリではわからなかったが、思ったより距離があった

石碑。
昭和15年(1940年)11月10日に建てられた(神社自体は1916年9月13日)。
逆光で見づらいけど入口

 入り口には灯籠や'乃木神社' と書かれた提灯、それに獅子の像がある。

この神社の創建者、村野山人(さんじん)

 村野山人は衆議院議員で様々な鉄道の建設や取締役をしていた。乃木将軍が亡くなった時は京阪電気鉄道の代表をしていたが、その出来事に衝撃を受け、役職を辞職し全財産を投じてこの神社を作った人物だそう。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%83%E6%9C%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82)

さざれ石
乃木将軍の銅像   

 また境内には恵比寿神を祀った山城ゑびす神社があります。元々は静子夫人を祀ったものでしたが、本殿に御霊を通してから恵比寿様のみを祀る神社となり、名称も精魂神社から変更されたようです。

山城ゑびす神社
中には鯛の石像が

えびすといえば鯛を抱えた姿を思い浮かべますが、その鯛と、幸せになりたいの'たい'をかけています。 

 伏見桃山陵へ

 境内を出て、伏見城の前に先ほど文中に出てきた伏見桃山陵へむかう。地図アプリで表示されている道が関係者以外立ち入り禁止となっている。しょうがないので少し遠回りして向かう。事前に道を調べていないため、かなりの森であることに戸惑いながら進む(歩道が整備されています)。分かれ道を左に進むと桃山天皇陵に入る。かなり自然豊かな場所だ。
 そのまままっすぐ進むと地図があり、陵までの道のりは2通りあるようだ。近いが階段を登らなければ道にする。少し進むとかなりの段数のある階段があり、面白そうなのでそっちにした。かなりの角度、段数に圧倒される。

急な階段

 なるほど、登山時のような格好をしている人が多いのも納得だ。この階段に周辺は地図アプリで見ると山であり、おそらく伏見城に向かう時も山を歩かなければならないだろう。

登り始める直前。かなり急なのが分かる。

 20数段ごとに奥行きが少し広いところになる。段数を200段ぐらいまで数えたところで段数が分からなくなった(230段らしい)。終盤は足に疲労を感じながら登り切った。ここの地理はよくわからないけど、上からの景色は、方角的に宇治の街並みが見えます。

上からの景色

 上に着くとだだっ広い砂の空間の先に鳥居があり、その先の丸っこいものが伏見桃山陵です。
 あとで地図を見てわかりましたが、もう一方のルートを進むと伏見桃山東陵(明治天皇の皇后である、昭憲皇太后の墓)があります。

画面中央鳥居の先に伏見桃山陵が

形としては、上円下方墳で、表面にさざれ石が敷かれています。先ほどもさざれ石がでてきましたが、君が代に出てくるさざれ石は、石灰質角礫岩のことです(上のさざれ石の写真参照)。岐阜県揖斐川町春日には君が代の発祥という説があり、その周辺はさざれ石公園となっているとか。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%96%E3%82%8C%E7%9F%B3

伏見桃山陵。近くから。

 近くから見ると鳥居の中にさらに鳥居のようなものがあり、円丘部に石(さざれ石)があることがわかります。
 ようやく主な目的地の一つである、伏見桃山城を目指す。

 伏見桃山城へ

伏見桃山陵を右に曲がったあともしばらく砂道が続き、さらに右に曲がるとしばらく杉並木になります。

杉並木

 行った時はあまり人が歩いていないため、自然をゆっくり楽しみながら歩けます(本当は時間が押していてあまりゆっくりできなかったけど)。実際は数100メートルですが、写真や動画を撮りながら風景を楽しんでいたので、かなり長い道に感じました。
 しばらく進むと右手に「桓武天皇御陵参道」と書かれた場所になります。そこを右に曲がりそこをそのまま道なりにまっすぐ進むと桓武天皇陵(柏原陵)に行けます。しかしその時は知らなかったので参道の石碑を曲がって分かれ道で右に曲がりました。

ポールに伏見城のマークがついている
中に入ると伏見桃山城運動公園に入れる

曲がるとアスファルトの道に変わり寂れたポールに伏見城のマークがついていました。そのまままっすぐ行くと門に突き当たり、その中に入ると伏見城にすぐ辿り着けますが、それを知らなかったため伏見桃山城運動公園の外縁部を回ったため、かなり遠回りになってしまいました。
 公園外縁部からは伏見城が見えましたが、木で隠れてあまりよく見えません。


伏見城

 伏見城が見えてきた。ここは伏見桃山城運動公園で、さらに行くと広場があり、人がちらほらといた。 
 伏見城といえば、豊臣秀吉の隠居先として建築されたものだが、現在のものを含めず伏見城は3つあった。
 初代(指月(しげつ)伏見城)
・場所 京都市伏見区桃山町泰長老(たいちょうろう)付近
・1592年 築城開始
・1596年 完成直前に慶長伏見地震で倒壊
・史料が少なく、発掘も困難(泰長老は宮内庁が管理する大光明寺陵や多くのアパートがあるため難しいだろう)「幻の城」と言われる。 

二代目(木幡山伏見城、豊臣秀吉時代)
場所 伏見桃山陵、伏見桃山城運動公園、伏見北堀公園辺り
・1597年  指月桃山城倒壊後すぐに建築着手。              
       3ヶ月で本丸完成。
・1598年8月18日 豊臣秀吉、没(61歳)。
・1600年 伏見城の戦いにより落城。

三代目(木幡山伏見城、徳川家康時代)
・1601年 伏見城の再建を開始
・1605年 本丸完成
・1619年 一国一城令により廃城が決定(二条城を残すことに)
・1623年 廃城に。城の建物が全国に移築(天守は二条城に)

 その後
・1964年 「伏見桃山城キャッスルランド」という 遊園地が建設。洛中洛外図(京都市街と郊外を描いた屏風絵)の伏見城を参考に大天守と小天守を建設

・2003年 遊園地閉園。伏見城は京都市民の希望により保存。遊園地跡地は伏見桃山城運動公園として整備。
・天守は耐震基準を満たしていないため、内部非公開。

各代の伏見城のおおよその位置


 先ほどの場所からさらに進むと2つの模擬天守がよく見えるようになりました。

大天守と小天守

 名称について、伏見城というと何代目の伏見城かわからないため、地名をつけて指月伏見城、木幡山伏見城、伏見桃山城と呼ばれています。「桃山」という地名は伏見廃城後、跡地に桃の木が植えられたことから来ています。

以上https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E5%9F%8E

https://smtrc.jp/town-archives/city/katsura/p02.html   を参照

歴史がわかりやすくまとめているサイトとしてhttps://xn----h36a23lx0pugj6v2avtnvol.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/category/%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E5%9F%8E%EF%BC%88%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E6%A1%83%E5%B1%B1%E5%9F%8E%EF%BC%89/%E7%AF%89%E5%9F%8E%E3%80%81%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%80%81%E8%90%BD%E5%9F%8E%E3%81%A8%E5%86%8D%E5%BB%BA%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%80%8C%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E5%9F%8E%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%A3%AE%E7%B5%B6%E3%81%AA

を参考にするといいと思います。

模擬大手門

 本来はここから入りますが、かなり遠回りになってしまいました。予定時刻から30分ほど押しているので急いで桃山駅に向かいます。

桃山駅へ向かう途中の杉並木。

 天気が良かったため杉並木が非常に綺麗に見えました。そしてここを抜け、桃山駅から宇治駅へ、、、
 ②へ続く。
 

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