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ボーイ・ミーツ・ボーイ (5/8)

 そして、おまえは待っている。待っているひとつのものを。おまえの命を限りなく増してくれるものを。  リルケ詩集より

 喧嘩は負け知らずだった。しかし、ヒーローが勝者になるとはかぎらない。
 おれはマサに頼んで、三輪を、深夜の普通科専用の第2グランドに呼び出した。ただっ広い体育館の真後ろの山をランニング用に整備したが、めったに使われない。
 警備員も見回りにこない。
 決闘にこれほどふさわしい場所はない。携帯用のカンテラを地面に置いて、心静かに待った。
 三輪は、かならずやってくる。ジュンのことで話があると伝えている。
 理由は簡単だ。
 何があっても、頭がカラッポの三輪にはジュンが必要なのだ。おれは普通科じゃないので、帰国子女の三輪の成績がどんな具合なのか、まったく知らなかった。
 マサは文武両道。そのおかげで、三輪の実体がわかった。限りなくカッコいいバラくんは日本とアメリカの学校を行き来するうちに、花が咲きすぎて、パァになってしまったようだ。英語は話せても、むずかしい構文になると、お手あげらしい。

「電車通学の女子には、騒がれてますけど、特進クラスではかるく見られてます」
 ジュンは三輪の勉学を手助けしていたらしい。お人好しのジュンを、三輪は利用したのだ。
 ジュンは、余計な話はひと言ももらさなかった。女子高生殺しの犯人だと見当をつけているらしきことを言ったのは偽りだったのか……。なんのために……。

 複数の乱れた足音が聞こえた。
 息づかいが耳につき、濃紺の闇の中から、滝沢良平ことビタミンがぬっと現われた。うしろには、バスケのはみ出しヤロウが2人、ガン首をそろえている。それぞれ手や肩にポリ管を持参している。
「そうくるか」とヤツに言った。「まさか、ゲスのおまえとウソ吐きの三輪がつるんでるとは知らなんだワ」
 重量上げのビタミンは、
「ミィナミガワ!これでもくらえッ」
 と大声で叫び、ポリ管を振り上げた。
「なんじゃ。素手やないんか? おもろいやんケ」
「おまえが、ナイフもってるからやろがッ」
「おまえらみたいなヤツらがおるから、しょうことなしにもってるんや」

 三方をふさがれた。
 いっせいにポリ管が振ってきた。
 頭をさげ、ビタミンの背後に回った。
 3人は同士討ちの格好になった。
 ポリ管をやみくもに振りおろしている、ビタミンの尻を蹴飛ばした。
 残る2人は、ビタミンより喧嘩慣れしていた。
 1人がポリ管でカンテラを叩き割ると、もう1人がおれに飛びかかった。そいつの喉首をこぶしで突こうとしたが、暗目なので外してしまった。ポリ管を投げすてる音がした。
 2人は、おれの両サイドに移動し、両腕を捕らえた。
 片方がおれを羽がいじめにし、もう1人がおれの腹にひざを埋めた。
 反撃するどころか、顔面をこぶしで殴られる。
 ビタミンは奇声をあげ、ポリ管で、おれの頭を殴った。
 地面がぐらぐらした。
 さんざん殴られ、腹や足を蹴られた。
 ひざを折り、頭が前にたれさがった。
 眼裏に、白い光が点滅した。
 両手、両足を地面に突いた。
 ビタミンのポリ管が、脳天を打った。
 意識が遠のいた。
 闇の中からジュンの悲鳴が聞こえた。
 マサとジュンが現われた。どんなに来るなと言っても、マサが来ることはわかっていたが、なぜ、ジュンまで……?

 何があっても、マサには手出しするなと言っておいた。そして、ジュンに報せるなと。
 しかし、殺されずにすんだのは、マサが巨体を見せたからだ。
 ジュンは茶色の小びんを手にしていた。
「そんなもん、にせもんや」とビタミンが言った。
 ジュンは、びんの中の液体をビタミンにむかって振りかけた。
 後ずさるビタミンのスニーカーにかかった。
 ジュと音がし、白い煙が立ちのぼった。
「足りないの?」
 まだあるとジュンは言い、ジーンズのポケットに手を入れた。
 3人は、脱兎のこどく逃げ出した。

「先輩、遅れてすンません。ジュン先輩がおれのアパートへやってきて、それで……」
 マサが懐中電灯で暗がりを照らした。
 紫色の小さな光が反射した。
「ワイヤレスイヤホンか……」とマサが言った。「なんも聞こえんようにしてるンやな。小ズルイやっちゃ」
 
 イヤホンの主は足早に近寄ると、詰まりながら言った。
「ぼ、ぼくは、か、関係ないんだ」
 手にはスマホが握られている。もしものことがあれば、警察に連絡するつもりだったという。
 おれは寝転がったまま、マサからもらったペットボトルの水をひと口、飲み、頭に振りかけた。
 半身を起こし、
「まだ何も言うてないやろ」
 三輪はビタミンとその仲間に、金を払ったのだろう。
「母にも、言われたんだよね。父親に迷惑をかけるようなことがあると、たいへんなことになるって――」
「なさけないヤツやな」
「あたりまえのことを言ってるだけだよ」
 彼には彼の理屈があって言っているのだろうけれど、おれの考えとは相容れない。
「ジュンはね、アリバイがひとつもないんだよ。殺された3人ともに対してだよ。信じられるかい?」
「オヤジから聞いたんか?」
「父が、そんなこと言うはずないだろッ。機密漏洩になるじゃないか。だいち、いま、日本にいないんだから」
「ほんなら――爺さんか」
「ほ、ほ、本人からだよ」
 おれは頭の痛みをこらえながら、立ち上がった。
「ジュンは、自分が犯人やて、認めたんか?」
 三輪は首をふり、
「アリバイがないせいで、疑われてると言ったんだ」
「おれが犯人や。これで納得したか」
 大きく息を吸いこむと、ヤツの顔にペットボトルを投げつけた。 ヒィという悲鳴と同時に、三輪はうしろに倒れた。
「おまえなー、おおげさ過ぎるやろ」
「ミークン、ありがとう。でも、もうエエねん。ゼッタイ、犯人やないんやけど、犯人になってもイイかな思てる」
 きのうの錯乱気味のジュンとは別人のように見えた。
 口調も落ち着いていて、顔色も平常だった。
「ナニ言うてんねん?」
 訝しむおれに、三輪はのそのそ起きあがり、
「無責任な発言は許されないよ」
 両手を頭の上にあげながら言った。
 このバカは、降参のポーズをとれば、危害を加えられないと信じているのだ。

「南川先輩は、真犯人を知ってるんスか?」
 マサの爆弾発言にも、ジュンはうろたえなかった。
「少年法は改正されたけど、死刑にはならへんと思うし、隔離されるのもエエかな」
 なんて言う。
 おれは、ジュンに押しつけられた黒い透けたスカーフが目の前でチラついた。すぐに、頭の中を消去した。

「そんなこと言わないでくれよ。表立っては親しくできないけれど、きみがいないと、おれは困ることがいろいろあるんだから」
「ぼくの能力なんか、しれてる」 
 肩ヒジを張らないところが、ジュンの長所だと思っていたおれだけれど、逮捕も歓迎というジュンには閉口した。
「周りをナめてないか」
 と言うにとどまったが、不完全燃焼の思いはぬぐえなかった。
 三輪と決闘をして、一瞬でいいから、万能感に浸りたいと思っていたが、独りでカラ回りしていただけなのか。
(ぶさいくやなァ)

 翌くる朝、新聞記事に目を通すと、『最初の事件から半年、遺留品もなく、捜査は難航』と書かれていた。
 以前、ジュンは、監視カメラに映るヤツは知能が低いと言った。、

 遅刻をして学校に行くと、おれが三輪をリンチしたというウワサが学校中に広がっていた。ジュンも三輪も登校してきていたが、おれ1人が早速、タニシに呼び出された。
「なんや、その傷だらけの顔は! オヤジに説教されたんやろ。そら、そうや。三輪にもしものことがあったら、責任は、おまえひとりですまンのやぞ。わかっとるんかッ。ドアホ」
 クソミソにののしられたあげく、頭を3発もハツられた。

 トレーニングをする気にもなれず食堂をのぞくと、ジュンがいた。プリンセス王子はおれの懊悩など歯牙にもかけず、コーヒー牛乳をのどを鳴らして飲んでいる。
 めまいがしそうだった。
「ジュン、元気そうやな」 
「体調もすっかりようなったワ。心配かけてゴメン。ミークンのほうが元気ないみたい。ボロボロの顔やし、かわいそう」
「……」
「きょう、フックを見に行ってもエエ?」
「かまへんデ」
「やっぱり、やめとくわ」
 ジュンは屈託のない微笑をおれに向けた。ちょうどそこへ、三輪がやってきた。学生服であっても、一分の隙もない。昨夜のことなど、おくびにも出さない。
「やァ、おはよう。ジュン、ちょっと相談があるンだけど、いまいいかな?」 
「うン」
 ジュンは子犬が尻尾をふるように、三輪のそばに行く。だれにも愛想がいいというタイプは考えものだと思う。本人はそれと意識せずに、なんでもかんでも引き受けているようだが、比重の異なる物事はきちんと遠心分離器にかけて、判断すべきなのだ。それこそが、化学者になろうかという者の心得ではないか。

 何事もなく、数日すぎた。
 もちろん、ジュンは逮捕されなかった。事件のことは1日ごとに忘れられていった。
 夏休みがはじまる頃には、さらに忘却は進行した。新聞も雑誌も政治の腐敗や芸能人ネタで紙面は埋められた。

 花火大会に、皆で、出かける計画がもちあがった。だれとだれが行くか、だれを誘わないか、そういうややこしい人選を頼まれなくてもかって出るのが、保田なんだけど、おれにマサがくっつくようになってからはなんとなく、友達の輪にひび割れができていて、昨日の夜まで行くのか、行かないのかはっきりしなかった。
 だれもが、ヘンだと思いながら、口にだせない。こんなおかしなことはないんだけれど、はっきりしろと言い出せない状況に全員が甘んじていた。
 おれ自身にも変化はあった。
 友達の輪の外だったならフランケンと呼ぶはずだった蓼科真也を、いまでは、マサと呼んでいる。
 男同士であっても、人と人との結びつきは入り組んでいる。
 最近になって気づいた。これって、大人になりつつある証拠なんだろうか。もしかすると、アホらしい喧嘩ができるのも、この夏が最後かもしれない。

 ちょっと前までのジュンなら、
「ミークンは、ぼくのこと考えてくれへん」
 とスネまくっていた。
 いまはちがう。留学の件はくずくずと先のばしにしているくせに、おれに対して妙に冷淡なのだ。こっちから話しかけても、どこかうわの空なのだ。ついでに言うと、人前では親しくできないと言っていたはずのバラくんはしつこく、ジュンの周辺にへばりついている。ケサマルはケサマルで、以前の何事にも無関心な態度にもどっていた。

 花火大会の当日、待ち合わせ場所の安価なコーヒーショップに、マサと2人で出かけると、おれたち2人の他、だれもいない。
 おれって、タフなんだと思う。
 ナミの神経の持ち主だと、怒り狂うぞ。
「先輩、思うんですけどね。これは陰謀ですワ。もっぺん決着をつけるべきなんっスよ」 
 マサは他の客を気にせず、挑発的な言動を繰り返した。待ち合わせの時間が、おれとマサでは2時間も違っていたのだ。今朝、マサのLINEでそれを知った。
「だいたいですね。メル友でもない、ジュン先輩のほうから連絡してきて、時間を言うたんですよ。それが、なんですねん。もしも言いなりになってたら、おれは置いてきぼりになるとこでした」
「おれもいっしょやろ。指定の時間より、1時間も早かったンやから」
 マサは三輪の企みだと言う。
 三輪がジュンをつかって、おれたち2人をハメタのだと。
「聞きちがえたかもしれんやないか」
「先輩を見損ないました。おれが1時間おそうて、先輩が1時間早いやなんて、どう考えても――ま、先輩は、ジュン先輩を信じきってますから、おれの言うことなんか――」
「そやないって……」
「気が回らんとこが、先輩のエエとこやと、おれは思てます。ジュン先輩には、それがわかってるんです」
「あいつのことは、何もわからん」
 物心つくころから、おれとジュンはペアだった。しかし、もはや歯車が噛み合わなくなっていた。

 マサは真剣な表情になった。
「おれ、ジュン先輩に毛嫌いされてるの知ってます。けど、エエんです。先輩とジュン先輩が一緒にいることが、あたりまえやと近頃は思うように努力してますから。それをあのアホンダラが横合いからでしゃばりやがって」
 たしか、マサは、ジュンはおれをダメにすると言っていたはず。 それが短い間に、三輪への対抗意識からおれとジュンが仲よしであるほうがいいと言う。大儀のためには、小事にはこだわらないということか……。
「遅いなあ。なんでやねん」
「ちょっと、見てきます」
 マサが行って五分もしないうちに、ケサマルがやってきた。時間をたしかめると、やはり、ケサマルとおれの待ち合わせ時刻は異なっていた。

「三輪のやりそうなことやな」
 ケサマルに言わせると、バラくんはマサが目障りなのだという。
 裏で糸を引いているのは三輪だと、ケサマルも考えている。
「こんだけ、大きなもんを、消すわけにもいかんしな」
 とケサマルはコーヒーのMサイズをひと口のみ、
「あいつも消える気ないやろし」
 眉毛の生えたマサは、ケサマルと同じ、五分刈りにし、まさにフランケンシュタイン。
「ナンチャンはええな。ジュンをほっといて平気やし」
「ヘンなこと言うな」
 おれにとって、ジュンは空気のような存在で、なくならないかぎり異変に気づかない。正直、窒息しかけている。
「おれ、勝手にさしてもらうことにした。ナンチャンといると、振りまわさる気がすンねん」
「ヘェー、そうなんや」
 少し前まで、彼に対して感じていた友情がいまのひと言で別の感情に変質した。
「三輪は気兼ねなんてせんヤツやけど、わかりやすい。そのてん、ナンチャンは難解や。ジュンのことホンマはどう思てるのか、わからん」
 ほどなく明るい笑顔の三輪がやってきた。
 バラくんの名にふさわしい登場の仕方だ。
「ひとりか??」
 と訊くと、
「ゴミでもついてる?」
 純白のひらひらしたシャツを着たバラくんは、ひや回りして見せた。ケサマルは歯を見せて笑っているが、よく見ると、片頬がひきつっている。
「思うんだけどサ」
 バラ君は腰をおろすと、ケサマルとおれを当分に見て言った。
「ランクはちがっても、一応、ぼくたちはライバルってことになるじゃん。だから、こうやって向き合って3人だけになった機会に言うんだけど――」
 言葉をきり、整った眉を斜め上に吊り、長めの前髪をかきあげ、
「決闘なんて前近代的だし、やはり、ここはジュンをものにしたヤツが勝ちってことにしないか」
「ものにするって……?」
 訊きかえすケサマルの横顔のこめかみが、脈打った。後生大事にとっておいたお菓子を盗み食いされた時のような顔つきだった。
 おれの口は開きっ放しだった。ふさがらないのだ。
「恐いの?」
 三輪は平然と、つづける。
「おかしなこと言ったかなァ。お互いに思っていることを口にしただけなんだけど、気に入らない顔だね」
 恥知らずなバラくんは至って平静。
 いっぺんでいい、三輪の頭の中をのぞいてみたい。日本語とアメリカ語がまざったせいで、雑な思考回路になったにちがいない。
 ケサマルの動揺は大きかった。
「勝手なマネしてみい。ただではおかん!」
「関西の言葉って、いやなんだよね。フツーに話せないんだから。ぼくの提案は当然だと思うンだけどね。もう人口を増やす必要もないんだし、愛し合っていれば、性的結合も自然な行為だと思うよ」
 バラ君はそう言うと、すくっと立ち上がった。

 ジュンがドアを入ってきたのだ。マサを最後尾に他の連中も姿を見せた。バラくんが入ってきた時もそうだが、店内にいる女の子たちはジュンをチラ見している。バラくんはジュンをエスコートするように、肩に手をかけると、自分の隣の席に座らせた。
 ジュンは頬を赤らめ、ほんのちょっとためらったが、正面にいるおれを軽くにらむと、そのまま座った。
 気まずいなんてものじゃなかった。
 マサは座っているバラくんにぐいと腕をのばすと、襟首をつかんだ。バラくんはその手をつかむと、あとにしようよ、怪物くんと言った。わけのわからない保田と遠藤と木村は目を白黒している。遠藤など、熊が道に迷ったような顔になっていた。
「余計な人間がまざると、こういうことになるんだよね」
 保田はわかったような口をきいた。

 みんながお互いを見た。ジュンひとり、視線を宙に泳がせている。飲み物も口にしない。ただそこにじっと座っているだけなのだ。ジュンが不機嫌だと、おれまで気持ちが暗くなる。
 保田が最近観た映画の話をはじめた。だれも耳を貸さない。相槌をうつやつがいなくても、カットバックがどうの、シナリオがどうのと独演会だ。
「映像美を追求すると、ストーリーの運びがまどろっこしくなるんだよな」
 遠藤が横から、
「こないだオリックスの試合、見に行ったんやけどな、ガラガラやったワ。なんでかなー。やっぱ、阪神でないと、ファンはつかんのかな」
「サッカーがある」
 木村が言うと、
「いっときの賑わいだよ。だれかさんみたいにサ」
 とバラくんが言った。
 みなが、一斉に、おれを見た。ジュンまでおれを見たのだ。ついさっき目を覚ましたような顔つきで。
 おれは咳払いをした。何かひと言、発言すべきなんだろうけど、その気にならない。なぜって、欲しいものを欲しい言う勇気がないからだ。

 ジュンが口を開いた。
「生きてる間に、阪神が優勝することないって、いつも言うてたけど、優勝したよね、ミークン」
「そんなこと言うてないぞ」
 ジュンはそっぽを向いた。
「子供の頃、今世紀中は無理やと言うただけや」
 おれとジュンはいつからこんなにいがみ合う関係になったのか。蜜のような間柄じゃなかったけれど、もっと感度のいい言葉を交わしていた。

 ジュンが何日も無断欠席したとき――、
 様子を見に行ったおれに、ジュンは物をぶつけて、手がつけられない状態になった。ジュンは誤解したのかもしれない。同じ思いを共有しないおれに、いままで以上の苛立ちを感じたようだった。
 翌日から、ジュンの態度は頑なになった。だからといって、三輪のように考えられない。心の奥底で望むことを行動に移すなんて、できない。なぜって、そうすることが、ジュンを大切に思うことだと思えないからだ。
「そろそろ、行こうぜ」
 保田は皆をうながした。

 店を出ると、南に向かって歩いた。舗道を埋める人の列が同じ方向に進む。ジュンは三輪と肩を並べている。おれはどうでもいいと思いながら、人込みの中を行く2人の一挙手一投足が気にかかった。

 潮の香りが漂う浜風に、秋の気配を感じた。
「先輩、どないしたんですか。うかん顔して」 
 気づかってくれるのはマサだけだった。遠藤など、幅広の図体に合わせて、無頓着を通りこし、残酷でさえあった。
「おまえとジュン、いったいどないなってんねん。ひょっとして寝取られたんか」
「おまえなー」
「やめとけ。遠藤。南川の身になってみい。つらいもんや」
 いつも冷静な木村までが嘲笑ったのだ。憮然とするおれに、保田が言った。
「思った以上に、ナンチャンって、常識人だったんだ。自分を守りたい気持ちが強すぎるんだよ」
「わかったような口きくな」
「ジュンはおまえが思うほど、お姫さまやない。きちんと自分の意志で選択してる」
 ケサマルは自分に言い聞かすように言った。
「お婿さんえらびに、もれたわけやな、ミィナミガワ」
 遠藤が言うと、
「立候補もせんうちに」
 とマサまで言った。
 保田は教養のあるところを見せたいのか、
「このさい、思いきって、男らしく立ち位置を公表すべきじゃないのかなァ」
「話がどっか、ズレてないか?」
 たまりかねたおれが意義を唱えると、いつも冷静な木村が目をむいた。そして、ゆっくりと言った。
「三輪が現われるまで、だれも、邪魔するヤツなんておらんかった。タカをくくってたやろ。みんなはな、天才のジュンが体育科に入ってきた理由を知ってたからや。ジュンは自分にいちばんむかんことをしても、おまえと一緒にいたかったんや。それやのに、おまえはジュンの気持ちも考えんと邪険にあつこうて……」

 誤解だと言いかけて、やめた。いままでに、ジュンをうっとおしいと思ったことは1度や2度ではなかった。男子ならだれもが夢中になる遊びについてこれないジュンにまといつかれると、どこかへ消えてもらいたいと本気で思っていた。そんな時期も短くなかった。 
 ということは、もしかして、おれのほうがわるいってことなの?
(ええっ アホな!)
 マサにまで冷たい目で見られると、人込みの中にいてもひとりぼっちを感じた。プリンセス王とバラくんの交わす話し声が、愛の語らいに聞こえるのは耳のせいだろうか。それぞれの軽口のどこまでが嘘で、どこからが本気なのか、お互いに皆目わからない。

 国道を越え、ひたすら南に向かって歩くうちに、海岸線に出る。その頃には日も落ちて、西の空がオレンジを絞ったような色に染まった。日没と夜明けの色は似ているが、星の輝きがちがう。太陽と入れ替わる星々は虫食い状態の心に灯りをともしてくれる気がする。「はぐれたんかなァ」
 ケサマルが言った。
 ものすごい人出だ。浴衣を着た女の子なんかもそこかしこにいて、海岸線に面した広場一帯がお祭り気分に沸き立っていた。
「ナイショで、帰ったかもな」
 保田はおれをちらりと見て言った。
「ほんまや」
 と遠藤はうなずいた。

 マサは吐きすてるように、
「三輪の腐った根性は、ちゃっとやそっとでは直りません。スルことナスことが、見えすいてますからね。女子高生殺しの犯人はあいつやと、思てます」
「言い過ぎじゃないの」
 保田がたしなめると、マサはカッと目を見開いた。それが合図のように、雷のような音が立て続けに鳴って、夜空に花火が散った。
「ああっ、カノジョが欲しいッ。どんなんでもエエわ」
 遠藤が絶叫した。
「似合わんこと言うな」
 木村がなだめた。
「なんで、おれらだけ、サミしい人生を送ってるんやろ」
 遠藤の嘆きは終わらない。おれは思わずうなずいてしまう。フラッシュがわりの花火に照らされて周囲を眺めると、まっとうなツーショットばかり。
「タマタマきょうは付きおうてるけど、おれはその中に入ってないからな」
 ケサマルは余裕のある発言をした。
「ぼくもサ」と保田。

 おまえら死ね、と胸の奥で叫ぶと同時に、身近に女の子がいないからジュンに惑わされるのかもしらんと思った。
「けど、ジュンより可愛い女の子なんて見たことないもんな」
 と木村はつぶやいた。
「おれの行ってた高校でも、ジュン先輩の噂は知ってましたもんね」
「ウソやろッ」
 のけぞるおれに、マサは頭をかいた。はじめて行き会った時、マサはジュンと知って、いちゃもんをつけたのだと言う。
「写真とか持ってるやつもいましたよ」
「電車でも、うるさいもんな。公立の女子なんて、ゴキブリみたいに寄ってくる」
 ケサマルが言った。
 あの女の子たちはケサマルやバラくんがお目当てじゃなかったのか……。
「知らんのはおまえだけや」
 木村は哀れみの眼差しでおれを見た。
「クラス写真とか、じっくり見たことあるか。ないんやろ。ジュンの隣に映ったやつなんて、かわいそうで見られへんぞ」
 それって、おれのことじゃん。いっつも、くっついてたんだから。

「あっ」
 保田が短く叫んだ。目が点になっている。どないしてんと言いつつ、頭を回すと、バラくんとジュンが人垣の間に見えた。二人は寄り添うように立っている。なんでだか、映画のワンシーンを見ているようだ。ドドドーンと豪快にあがる花火も、頭の上にふってくる光の雨も、彼らのロケーションであっておれらのものじゃない。
 おれは2人に背を向けると、人込みをかき分けた。
「どこ行くねん」
 木村はおれを呼び止めた。
「……」
 マサは回りこんで、
「先輩っ。逃げんといてください。男やったら、正正堂堂と一発かますべきですッ」
「ほっといてくれよ」
「なさけないっス」
「慰めてくれて、サンキュ」
 言い捨てると、強引に人波にまぎれた。
 1分でも1秒でも早く、ここから逃げ出したかった。みんなには敵に背中を見せる格好に見えたと思うけれど、かまわなかった。子供の頃から短気で喧嘩っ早いのが、おれの長所で欠点だった。考えるより先に手が出ていた。けれどいまは、そうしたくなかった。
 人の流れに逆らって、歩いた。
 
「南川くん」
 呼ばれて振り向くと、濃紺の浴衣を着た女の子がしっかりおれを見ている。
「忘れた?」
「……」
 はい、忘れましたと言うべきか、やあ、久しぶりと言うべきか、迷いに迷っていると、女の子のほうから名乗ってくれた。
「有元佐紀子。ほら、電車でなんどか会ったでしょ?」
 ゼンゼン記憶にない。こんな場合どうすればいいんだろう。人違いじゃないんだろうか。
「みんなで会ったとき、猫みたいな男の子が、死んだ藤沢吉江と一緒に歩いているところを見かけたって、言ったこと、忘れた?」
「ああ……あのときの……たしか、電車でひとごろしと言ったよな?」
「そんなこと言ったかしら。わすれちゃった」
「だれにむけて、言ったんだよ」
「わたしね、いつも思い出してたのよ。南川くんの背中にグランドが見えてるって」
「そんな大きなもん、背おてないけど……」
「かまわない。こうして会えたことが、すごくラッキーだから」
 有沢佐紀子はおれの顔の前に小さな顔を突き出すと、小首をかしげた。女の子にしては背たけがあるので、それほど見下ろす必要はなかった。

「花火、はじまったばっかりなのに、帰るの?」
 うなずくと、
「じゃあ、わたしも帰る。いっしょに帰ってもいい?」
 電車で見かけたときもだが、合コンで会ったときと、有元佐紀子が違って見える。なぜなんだろう。くりくりした目と先の丸い鼻が子犬みたいに可愛らしいせいか……。
「わたし、ポメラニアンに似てるって言われるの」
 心の中で思うことが読めるみたいだった。彼女はおれの隣にくると、目と鼻をくしゃくしゃにして笑った。
「ねっ」
「犬が笑うか?」
「わたしね、フランスにいた時も、南川くんと似た男の子がずっと好きだったんだよ」
 関西弁じゃないと気づいた時、彼女は思いがけないことを口走った。
「運命が、わたしたちを結びつけたと思わない?」
 佐紀子はおれの腕に手を回した。そばに来ると、いい匂いがする。
「いつか、きっと、こんな日がくるって、信じていたわ。電車ではじめて見かけたときから」
 おれは佐紀子の目に映る花火を見つめた。催眠術にかかったようだった。
「これからは、サキって、呼んでね。ねェ、トシオ」
「うん……」
 ヒーローの気分にはしてくれるけれど、勝者の気分にはなれない。
 これって、どういうことなんだろ。


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